バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

香港―大陸中国南部

長沙 ~メニュー選択失敗

1991年3月24日

8時すぎ、長沙に到着。
翌日の岳陽への列車の切符を確保した後、ホテル探しに街に出る。3件回ったが、いずれも「没有」あるいは「外国人不可」だった。しかし、そのうちの銀河大酒店では、若い女性服務員が「申し訳ございません。外国人は宿泊できません」と、日本のホテル並みの応対をしてくれた。
後にも先にも、中国旅行の中で、これ程姿勢の低い服務員と出会ったことはない。断られたとはいえ、気分は悪くなかった。
しかし、喜んでいる場合ではない。宿を探さなければ…。
結局、銀河大酒店に程近い芙蓉飯店に泊まることになった。1泊100元と高かったが、居心地はよく、体調も良くないので、たまにはいいだろう。 長沙駅
そう言えば長沙駅の駅舎の上にも唐辛子が…

長沙に立ち寄った目的は一つだけ。馬王堆古墳から出た、前漢時代の美女のミイラを見ることだ。
博物館のケースに展示されたそのミイラは、2000年以上前のものとは思えない、ミイラとは思えないほどみずみずしさを保っていた。遺跡を見る以上に、中国の歴史の深さを感じさせられた。
ただ、彼女の死因は食あたりらしい ―― 先日のことを思い出して、背筋が一瞬凍った。

それにしても、腹が痛い。何か消化のいいものを、と町の食堂で豆腐料理を適当に頼んだ。
一口食べてみると、口から火が出るほど、辛い ―― 唐辛子たっぷりの「紅焼豆腐」だった。
ますます胃に刺激を与える結果になってしまった。
(後になって知ったのだが、湖南料理は四川料理の系統に属するらしい。辛いわけだ)


岳陽―武漢 ~トラブル連発、旅の道連れ

1991年3月25日

岳陽の見所といえば広大な洞庭湖だが、天気が悪く、霞がかかっており、よく見えなかった。その上、目当てにしていたホテルがあるはずの場所が、空き地…。
他のホテルを探すのが面倒に思えたのと、どんよりとした空気に耐えかねて、岳陽楼の参観すらすることなく、足早にこの街を立ち去ることにし、駅に向かった。 洞庭湖
洞庭湖

列車を待っている間に、男2人、女1人の日本人学生グループに出くわした。
男2人が、あきえれたような口調で話す。
「こいつ(連れの女の子)が武漢のホテルにパスポート忘れてきて…これから武漢に引き返すところなんですよ
武漢といえば、私の次の目的地。しかも、そのホテルというのも、私が目をつけていた所だ。
(4人部屋に泊まれば、宿代が安くなる…)
私は彼らと行動を共にすることにした。

またもデッキに4人して座り込みながら列車に揺られるうちに、武漢の駅に到着した。
さあ、改札をくぐろう、とその時、女子学生が、
切符、ホームにいたおばさんに渡しちゃった…
何と、列車を降りた所にいた、駅の職員でも何でも無い老女に、切符を渡してしまったというのである。
駅員が女子学生を、ジロリとにらみつける。「無賃乗車か」と別室に連れて行こうとした。
まずい、彼女は今、パスポートを持っていない!
とにかく、その老女を捜して、切符を取り返さなければ…。
駅員に事情を説明して、私たちはホームに戻った。
その老女はすぐに見つかり、切符もあっさりと返してもらえた。3人の切符の番号が続いていることを主張すると、駅員はブツブツ言いながら、私たちを通してくれた。

その後、彼女は無事パスポートを取り戻した。
彼らとは大東門飯店で1夜宿を共にした後、別れたが、無事に旅を続けられたのだろうか…。

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