バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

大陸中国・重慶―三峡―赤壁

重慶市街 ~辛いものづくし

2000年9月24日

重慶港
三峡賓館から見下ろした重慶港
朝、窓の外をのぞいてみると、多少霞がかかってはいるものの、やはりそこには港と長江を一望できるいい眺めがあった。本当なら今頃はこの河のもっと下流で船旅を楽しんでいたはずだったが、いつまでも悔やんでいても仕方がない。何とかここから武漢へたどり着く道を確保しなければ・・・。
私は、昨日も一度は立ち寄った、ホテル近くの船のチケット売り場に足を運んだ。
窓口では、英語を話せる女性が応対してくれた。今日出発か、明日出発か、何等の部屋にするか、観光地巡りはするのか、などと尋ねてくる。私は、今日の夜出港で、豊都、石宝寨または張飛廟、小三峡を訪れる船の3等室を選んだ。
切符は、拍子抜けするほどあっさりと手に入れることができた。しかも料金は、220元(約3000円)と、船と部屋のクラスが落ちるとはいえ、私が日本で予約した昭君号の10分の1程度だ。「切符が手に入るだろうか」などと心配して、日本で予約したあの苦労は、一体何だったのだろうか。

三峡下りも無事できることになって一安心。私は部屋に戻って、チェックアウトの12時までテレビを見ながら時間をつぶした。
折しも、シドニー五輪開催の真っ只中。どこのチャンネルを見ても、いろんな種目で五輪中継をしている。しかし、中国選手がメダルラッシュだったこともあって、日本を含む外国人選手の活躍は、ほとんど見ることができない。女子マラソンを見ようと早起きしたにも関わらず、その中継さえ見られなかった始末だ。と、その時、スタジオからニュースを流す画面が映し出された。
「女子マラソンで・・・日本の高橋が・・・」
当時の私の中国語の聴力では、これだけしか聞き取れなかったが、わざわざこういうニュースを流すのだから、結果は画面を見るまでもない。案の定、日本の高橋尚子がトップでゴールテープを切る映像が、次に映し出された。
高橋の金メダルは予想していたが、やはり素直に嬉しい。中国に来てから嫌なことばかりだった私の心に、少しばかり明るさを戻してくれるニュースだった。
解放碑一帯
重慶一の繁華街・解放碑一帯

正午になってチェックアウトした後、私はバックパックをフロントに預けて、重慶の街中の散策に出掛けた。
重慶一の繁華街・解放碑一帯は、歩行者天国になっていて、人でごった返していた。中国での歩行者天国は、初めての体験だ。車道まで道幅いっぱいに人が歩いているというのに、それでも恐ろしいみ具合だ。
郊外まで含めれば、重慶は中国一の人口を誇る街だという。この光景を見ていると、そのことに「なるほどな」とうなずかざるを得ない。
しかし、人の多さ以上にたちが悪いのが、空気の悪さ。目で見て分かるほど汚れている。本当に、歩いているだけで気分が悪くなってくる。
正午を随分回っていたが、私はまだ昼食をとっていないことに気が付いた。ちょっとしたレストランに入り、私はあのメニューがあるか、メニューに目を通した。
あった!麻婆豆腐。 6年半前に西安で辛さの余りに悲鳴をあげたあの料理 ―― 今こそリベンジだ。
しかし、意気込んで食べてはみたものの、全然苦になる辛さではない。しかも、唐辛子よりも山椒の辛さの方が際だっている。
私が辛さに慣れてしまったという問題ではない。根本的に、辛さが足りないのだ。何か肩すかしを食らった感じで、もの足りなかった。
長江
河岸の公園から望む長江。右は長江大橋

重慶は、戦時中に臨時政府が置かれた都市であり、共産党ゆかりの名所が多くある。
しかし、この分野は私の関心の範囲外だ。私は、動物園でパンダを見たり、長江沿いの公園で真っ茶色の河を眺めたりしながら、日が落ちるのを待った。
再び解放碑近くに戻り、私は今度は夕食に「あの料理を食べたい」と、店先の看板を見て回った。とある小さな食堂に入って私が頼んだのは ―― 未だ食べたこともなかった担々麺だ。
折角四川の地に来たのだ。腹の具合も悪くはない。こうなったら辛いものづくしだ。
前日に食べた麻辣ラーメンのようなドンブリの麺が出てくると思いきや、小姐が持ってきたのは、小さなお椀に白い麺だけが露出しているものだった。
[え、これが担々麺?]
いぶかしく思いつつお椀に箸を入れて少し混ぜてみると…底の方から、粘り気のある赤黒いタレが姿を現した。
なるほど、担々麺というのはこういう料理だったのか。昼に食べた麻婆豆腐よりも唐辛子の辛さが強く刺激的で、それでいてその辛さが心地いい。
ただ、一緒に頼んだ青椒ピータンのくどさが、この後の悲惨な出来事につながった。
さて、夕食も終わって、店の外に目をやると、いつの間にか大雨が降っているではないか。
[しまった、傘はホテルに預けたバックパックの中だ!]
重慶に着いた時からどんよりとした空が気になってはいたが、とうとう来たか。前回の香港に続いて、雨の3日目となってしまった。
思い切って店を飛び出し、所々で雨宿りしながら三峡賓館へと向かったが、雨足は衰える様子を見せない。割合近いはずのホテルまでの道のりが、恐ろしく遠く思えてくる。
ふと、道の向こう側を見ると、傘売りの少女の姿が見える。私の足は、自然と彼女の方へと向かった。
「多少銭(いくら)?」と私が尋ねると、彼女は「スークワイ」と答えた。
[何だ、4元≒50円か。安いもんだ]
私は彼女に5元札を差し出した。すると彼女は再び「スークワイ」と私に言う。よくよく聞いてみると「スー(2声)クワイ」 ―― そう、彼女は「四塊」ではなく「十塊(10元)」と言っていたのだ。
9年半前にも武漢で同じ様な発音を耳にしたが、どうやら華南では、「sh-」の音を、そり舌をしない「s-」と発音する方言があるようだ。
傘1本が4元なんて、安すぎると思った。いくら中国の物価が安いとはいえ、そこまで安いわけがない。私は自分自身に対して苦笑しながら、10元で彼女から傘を買った。
やっとのことでホテルにたどり着き、バックパックを受け取ると、まずはバスタオルを取り出した。体を軽くふいたところで、私は三峡下りの船に乗るべく、ホテルからほど近くにある埠頭へと向かった。

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