西寧、ルシャル、ツォ・ゴンボ ~菜の花に彩られた塩湖
2001年7月26日

東関清真大寺
現在中華人民共和国が「青海省」と称しているチベット北部アムドへの入り口・西寧に到着。西寧城区そのものは元々甘粛省で歴史的にも文化的にもチベット圏とは言えないのだが、車で1時間ほど行けばもうそこはチベット圏なので、事実上、これでチベット入りしたと言っていいだろう。
駅近くのホテルにチェックインし、まずは旅行社で翌日のツアーを申し込んだ後、市内の東関清真大寺(イスラム寺院)を参観した。
銀川で参観した清真大寺は閑散としていて、雰囲気も味わえず今ひとつだったが、こちらはちょうど礼拝が終わった時間に来ることができた。白い帽子を被った回族たちが大勢いて、礼拝の雰囲気も色濃く残っている。この寺に限らず、街全体が、これまで巡ってきた中原の街とは様子をかなり異にしている。
ホテルに戻ると、私の部屋に見知らぬ日本人が入っていた。ツインの部屋を1人で占めていたつもりだったのが、いつの間にやら2人部屋ドミトリーに変身していた。
彼はS君といって、彼もまたゴルムドから陸路でチベットを目指しているという。思わぬところで、旅の道連れができた。
2001年7月27日
前日に申し込んだツアーで、シリンの西にある塩湖・ツォ・ゴンボ(モンゴル名『ココノール』、中国名『青海湖』)に向かう。新しい旅の道連れ・S君も急遽、このツアーに参加した。
道中、標高3500メートルの峠にある日月亭に立ち寄った。ここは唐の時代、チベット(吐蕃)へ輿入れしていく道中の文成公主が、中原を懐かしんで振り返り、別れを告げたと言われる場所だ。チベットは今も昔も、中国にとっては最果ての地なのだ――自らも今こうしてチベットを歩いている私には、文成公主の気持ちが少しだけ分かる気がした。
さらに西に向かうと、菜の花畑の向こうに広大な青が見えてきた。ツォ・ゴンボだ。
「わあ、大きな海だね」「違うよ、お父さん、あれは湖だよ!」
ツアー客の親子の、微笑ましい会話が聞こえてくる。しかし、お父さんがそんな風におどけてみせるのも分かる。本当に、海と見まがうような広さだ。中国人が「青海」と呼ぶのもうなずける。そして、湖の青と、菜の花畑の黄色のコントラストが、見事な自然美を演出している。

ツォ・ゴンボ
景色に見とれていたばかりではない。ツアー客との交流もまた、楽しいものだった。車内で旅のことについて話したり、香港から来た若者たちと日本の漫画や、ディスコの話などで盛り上がり、久しぶりに“一期一会”の有意義さと寂しさを感じさせられた一時だった。
2001年7月28日
西寧から南へ車で1時間ほどかけてルシャル(中国名『湟中』)の街に出かける。ここは一応西寧市に属するが、クンプム(タール寺)というチベット仏教ゲルク派の寺院がある、立派なチベット圏だ。
クンプムに到着したものの、入場券売り場がどこにあるか分からないままいつの間にか入場してしまい、私は広大な寺の敷地のうち、ただで行ける所だけを回った。バター製のロウソクの臭いが充満する中、数々のチベット仏像を見て回ったが、一番の見どころでもあったバター製の塑像を見逃してしまった。
チベット寺院は以前北京で雍和宮を訪れて以来だったが、その時もこの時も、チベット仏教に関しては「こんなものか」という印象しか残らなかった。
<後日談>
6年後、私のチベット仏教に対する思いは劇的に変わることになる。

クンプム

北禅寺
西寧に戻った後は、北禅寺へ。切り立った断崖にへばりつくように建立された寺は、遠目から見ただけでも恐ろしい。実際にあの寺から街を見下ろしたら、どれ程足がすくむだろうか、と思ったが、残念ながら前夜の雨の影響で、寺そのものの参観は認められなかった。
列車に乗る時間となった。私はシリン巡りを終え、S君とともに、チベット高原への入り口の街・ゴルムドへと向かった。





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