バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

チベット、大陸中国周遊

ゴルムド ~チベット行き「待ちぼうけ」

ゴルムド ~待ちぼうけ

2001年7月29日

ゴルムドに到着した私たちは、早速、ラサへ向かうバックパッカーたちが集う市政府招待所に向かった。外国人がチベットに入る場合、ここかそこに隣接するゴルムド賓館のCITSで、入境許可証を取得する必要がある。運が良ければ、翌日にも出発できるのだが…。
私たちは、運が悪い方に当たってしまった。ラサではちょうど、チベット“平和解放”50周年式典が執り行われており、外国人は8月5日まで行くことができない、というのだ。

同じ様に足止めを食らった外国人が、時が経つにつれて増えていく。日本人だけでも、7人になった。
そのうち、1人の韓国人が、闇バスでのラサ入りを目指して、その手配に奔走していた。一部の日本人たちもそれを待っていたのだが、こちらも不調に終わった。
ただし私は、ラサ手前の検問で見つかってゴルムドに送り返されかねないというリスクを冒してまで、闇バスに乗る気はない。それに、私は中国で生活している身だ。中国の規則は、守りたい。(当時は馬鹿正直だった。今ではむしろ、チベットに入るのになぜ中国が発行するパーミット=入境許可証が必要なんだ?と考えている)
[別のルートはないか?]
私とS君は、陸路でラサを目指すことを諦めて、中国・成都から飛行機でアクセスする方法を思い立った。早速、ゴルムド駅へ行って、中継点である中国・蘭州への切符を確保した。
[もし陸路で行けるなら、払い戻せばいいことだ]
しかし、この日はとうとう、朗報は訪れなかった。

2001年7月30日

ゴルムド市政府招待所に集結した外国人バックパッカーは、この日も朗報を待った。
しかし、私の気持ちは完全に、成都ルートへと傾いていた。まずは蘭州まで戻る予定だが、列車の出発時間は夕方過ぎ。それまでホテルでゆっくりしていたかったので、昼前に服務台で延長手続きをした。すると、隣にいた西洋人女性が声をかけてくる。

“Are you Japanese?” “Yes.” “Be glad! Tomorrow you can go to Lasa!

!!!

招待所内のCITSに、外国人ツアーの許可が下りたという知らせが入ったというのだ。
[やった! 予定通り陸路でラサに行ける!]
それからが大忙しだ。銀行へ行って換金をし、駅に行って列車の切符を払い戻し、旅行社でチベットツアーの手続きを済ませた。他の外国人たちの大部分も、この正規ルートのツアーに参加を申し込んだ。

私が申し込んだのは、翌7月31日出発、8月2日ラサ着、その間ラサを観光した後、6日に飛行機で成都に向かうという日程のものだ。ほぼ事前の予定通りに、事を運べる。ただ、ラサ近郊にあるシガツェという街にも行きたかったのだが、金と時間の都合でこちらは諦めることにした。まあ、ラサに行ければこの際、十分だ。
よし、これで今回の旅の最大目的が、達成できる!

2001年7月31日

招待所ロビー
招待所ロビーで朗報を待つバックパッカーたち
しかし、そう簡単に事は運ばなかった。
出発予定日当日。予定では午後3時に迎えの車が来ることになっていたので、私たちは正午前にチェックアウトを済ませ、ロビーでその時が来るのを待っていた。しかし、いつまでたっても迎えが来ない。痺れを切らして、中国語を解する者たちが交代で、旅行社に事情を聞きに行った。
「すいません。ラサの方から、なかなかパーミットが来ないんです
―― 何という事だ。
しばらく待ったが、結局、この日はパーミットが下りず、翌朝まで更に待たされることになった。

それにしても、ゴルムドそのものには、見どころと言えるものが何も無い。この退屈な街で、3泊もする羽目になってしまった。

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