バス憧れの大地へ
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世界への旅(旅行記)

チベット、大陸中国周遊

チベット高原-2 ~チベット・ハイウェイの高地の光景

チベット高原-2 ~近くて遠いラサ

2001年8月2日

夜が明け、気が付くとバスはチベット・ハイウェイ(青蔵公路)の最高点に近づいていた。海抜5231mの、タンラ山口だ。
早めの対処が功を奏したのか、私をはじめ、高山病の症状が見られる者は余りいない。ただ、日本人が1人、かなり苦しそうにしている。彼の症状は結局、2日ほど尾を引いた。

チベット・ハイウェイ沿いは、草原か、砂漠の向こうに高い山が見えるという光景が、延々と続いている。時に山の頂が、雪を被っている。そう、ここはネパールにも近い、高地なのだ。
草原では、ヤクの群れが放牧されていて、のんびりと草をはんでいる。ヤクは既にアムド(青海)でも何度か見ているが、これだけたくさんいる光景を見ると、やはりここがチベットであることを実感させられる。
ヤク
チベットを象徴する動物・ヤク

道路は極めてよく整備されていたが、一つだけ問題があった。所々に小さな川があるのだが、橋が未整備なのだ。その度にバスは、RVよろしく、水にタイヤを踏み入れて川を渡らざるを得ない。大して深くはないので心配はないのだが、ちょっとした冒険気分だ。

そうこうしているうちに、ラサは刻一刻と近づいてきている。夕方、バスは2つ目の検問に到着した。ここまで来ればラサはもう目の前も同然だ。この分なら、予定の翌日未明よりも早く、今夜にも到着する可能性すら出てきた。
しかし、ここで検問の職員が「遠回りの道を行け」と指示を出してきた。この検問からラサへ向かう道は2つあるのだが、片方の道を行けばラサまで5時間程度、もう一方の道を選べばその倍はかかることになる。彼らは、後者を行け、と言うのだ。
一刻も早く、ラサ入りしたい ―― 私たちの思いは同じだった。私は、上海に留学中の日本人・W君らと共に、検問の職員のところに交渉に行った。
「私たちは外国人だ。この高地の環境に慣れていなくて、体調が悪い者もいる。何とか近道の方を行かせてくれないか?」
私たちがそう申し出ると、職員たちは以外にもあっさりとOKを出してくれた。何でも、言ってみるものだ。
こうして、バスはラサへの最短距離の道へと再出発した ―― しかし、この選択が、裏目に出た。

1時間ほどしたところで、バスが止まった。しかも、いつまで経っても出発する気配が無い。雨の中、表に出てみると、予想だにしなかった光景が目の前にあった。
工事用の車両が2台、道の左右に並べて置かれていて、その間をバスが通り抜けることができないのだ。しかも、同じ様な状況が、200メートル程先にもあるらしい。(

その時の状況

(おい、だからあの時、遠回りの道を行け、と言ったのか? けれど、工事の事なんて、一言も言ってなかったじゃないか)
打開策を求めて、W君たちがあたりを回ってみたが、どうやら車両の持ち主は、翌朝にならないとつかまらないようである。
ラサを目前にして、動かないバスの中で1泊せざるを得ない羽目になってしまった ―― 近道のはずが、とんだ遠回りだ。

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