世界への旅(旅行記)
鄒城、旅の終わり ~孟子の里
2001年5月2日
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| 嶧山 |
孟子は、春秋戦国時代の思想化で、孔子の思想を継承・発展させて「性善説」や「易姓革命」などを提唱した人物だ。また、その母親は「孟母」の名で知られ、歴史上に残る屈指の教育ママとして有名だ。
鄒城に先立って、まずは嶧(エキ)山を訪れた。この山は、道教の霊山だということだが、先日登った泰山と比べてしまっては可哀想なのだが、大して高くもなく、山頂付近の岩肌はそれなりに見ごたえがるのだが、それ程絶景と言うわけでもない。残念ながら、余り印象に深く残るというような場所ではなかった。
下山後、鄒城の孟廟・孟府を見学。建物自体は曲阜の孔府・孔廟と似たようなもの、と言うより、見劣りする位なのだが、落ち着きと美しさという点では、こちらの方が上かもしれない。
孟廟は、孟子や、むしろ孟子以上に扱いが大きかったかもしれない孟母にまつわる展示・石碑が並ぶほか、中庭には各種各様の石像が並べられ、また、辺り一面のシロツメクサの緑が心を和ませてくれる。
孟府の正門をくぐると、両端に壁の無いそれだけが取り残されたような門がある。おや?どこかで見たような…。そう、孔府で見た、重光門と、まるで同じなのだ。その他の建物も、孔府と一様のものが多い。まあ、孟子は儒教の後継者なのだから、始祖・孔子ゆかりの建物の様式を踏襲するのも、無理からぬことだろう。しかし、こちらにはこちらのいい所がある。孔府の方がいかにも中国らしく朱色で彩られていたのに対して、こちらは木や石の自然な色を生かした、落ち着いた配色が施されている。中庭に行くと、桃だろうか、鮮やかなピンクの花が枝にちりばめられた木が植えられている。
もしかしたら孟子その人も、これらの古跡同様、落ち着いた品格の人物だったのかもしれない。
本来の予定では、これで今回の旅行は終了、この日の夕方、夜汽車に乗って帰途に就くはずだったが、大型連休で切符が取れず、1日ずれ込むことになってしまった。その代わり、この日の夜は前日に続いて、こちらでお世話になった人たちを交えて大宴会となった。
全てに大満足、という訳でもなかったが、非常に快適な旅だった。それもこれも、山東の人たちの温かい力添えがあってこのとだ。私たちは彼らに感謝の言葉を述べ、謝意を込めて日本の歌を合唱で披露した。
按排に力を尽くしてくださった東北財経大学副学長、私たちの“足”になってくれたパトカーの運転手、警察の方、旅行社の方、そして、私たちを導いてくださった老師の皆さん――私たちは彼らと心行くまで杯を交わした。かなり酔ったが、心地よい陶酔だった。
孟廟は、孟子や、むしろ孟子以上に扱いが大きかったかもしれない孟母にまつわる展示・石碑が並ぶほか、中庭には各種各様の石像が並べられ、また、辺り一面のシロツメクサの緑が心を和ませてくれる。
孟府の正門をくぐると、両端に壁の無いそれだけが取り残されたような門がある。おや?どこかで見たような…。そう、孔府で見た、重光門と、まるで同じなのだ。その他の建物も、孔府と一様のものが多い。まあ、孟子は儒教の後継者なのだから、始祖・孔子ゆかりの建物の様式を踏襲するのも、無理からぬことだろう。しかし、こちらにはこちらのいい所がある。孔府の方がいかにも中国らしく朱色で彩られていたのに対して、こちらは木や石の自然な色を生かした、落ち着いた配色が施されている。中庭に行くと、桃だろうか、鮮やかなピンクの花が枝にちりばめられた木が植えられている。
もしかしたら孟子その人も、これらの古跡同様、落ち着いた品格の人物だったのかもしれない。
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| 孟母にまつわる石碑(孟廟) | 孟府。やっぱり孔府に似ている |
全てに大満足、という訳でもなかったが、非常に快適な旅だった。それもこれも、山東の人たちの温かい力添えがあってこのとだ。私たちは彼らに感謝の言葉を述べ、謝意を込めて日本の歌を合唱で披露した。
按排に力を尽くしてくださった東北財経大学副学長、私たちの“足”になってくれたパトカーの運転手、警察の方、旅行社の方、そして、私たちを導いてくださった老師の皆さん――私たちは彼らと心行くまで杯を交わした。かなり酔ったが、心地よい陶酔だった。
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| 皆さん、お世話になりました |
2001年5月3-4日
買い物の後、昼過ぎ出発の寝台列車で、帰途に就く。翌朝、まずは遼寧省の省都・瀋陽に到着。そこで列車を乗り換えて、予定より1日遅れで大連に帰り着いた。
団体での中国旅行は初めてだったが、私にはやはり、自由に動き回ることができる個人旅行の方が性に合っている。
団体での中国旅行は初めてだったが、私にはやはり、自由に動き回ることができる個人旅行の方が性に合っている。
でも、たまにはこういうのも、悪くはないな。







