ジョル(徳欽)-1 ~カワカブと友の墓標
注:ジョルとは、徳欽の名で知られている街で、現状中国雲南省に属しているが本来チベットの版図に属する。
私が向かったのは、中国名で飛来寺と呼ばれる寺だった。但し、今回は本堂ではなく、チベット風のストゥーパが幾つも並んでいる場所へと赴いた。

私をここに向かわせた、中国・昆明で知り合った日本人に聞いた話というのは、1991年に梅里雪山登頂を目指ながら雪崩で遭難した日中友好第2次合同登山隊の遭難慰霊碑がここにある、というものだった。実は遭難した登山隊の中には、私の友がいたのである。
慰霊碑を見つけ、碑文を見ると、確かに彼の名が一番左に書かれているのを何とか確認することができた ―― なぜ「何とか」だったのかと言えば、残念なことに、日本人の名前と日本語の献辞、それから漢字4文字のチベット人の名前(日本人と勘違いされた?)の部分だけ激しく傷つけられていたからだった。中国人の名前がきれいに残っていることを考えると、反日意識の強い中国人の仕業だろう。
ともかく、事故から16年、ようやく友の墓参を実現することができた。
この場所からは、天気がよければ梅里雪山の最高峰・カワカブ(標高6740m)を望むことができる。だからこそ、この地に遭難慰霊碑が建てられたのだ。しかし、ジョルに来る途中から既に霧がちな天候になっていて、残念ながら彼らが目指したカワカブを見ることはできなかった。

<後日談>
帰国後知ったことなのだが、京都大学学士山岳会の小林尚礼氏らの尽力により1998年以降、16人の遺体が発見されたという。残る1人の遺体も早期に発見されることを願って止まない。合掌。
参考資料:小林尚礼「梅里雪山―十七人の友を探して」
小林氏のサイトはこちら




いやぁ~凄い勢いで奥地を廻ってますね 羨ましい限りです!
シャングリラはウン十年前、『失われた地平線』でしたっけ?本の著者も忘れてしまいましたが丁度 英会話を勉強中でしてテープでこのドラマを聴きました。山を下るに従って一緒に山を降りた若い女性の声がだんだんしゃがれた声になり、人が見た事も無いような老婆に変身して行く様子が伺え、強烈な印象として残っています。不老の地としてのシャングリラ、是非行ってみたいですね 空気は薄くて年寄りには無理?かしら・・・
何時頃日本へお帰りですか
旅が無事に終りますよう~お気をつけて!
どうも。
もう日本に戻ってるかなぁと思ったら、今度は雲南ですか!?まったくうらやましすぎ。これからも良いたびを!健康にお気をつけてください。では、また。
ご友人のご冥福を祈ります。
キャサリンさん、HOPEDELIVERさん、コメントありがとうございます。
シャングリラには各世代の旅行者がたくさんいました。年は関係ないでしょう。
旅をしている間にも読みたい本が次々出てきていますが、『失われた地平線』もその一つだったりします。
HOPEDELIVERさん、まずは友へのお祈り、ありがとうございます。
現在は既に四川に移っていますが、いろいろあって成都で少し沈没しそうな予感です。
いつ日本に戻るか…全く見通しつきません。と言うか、どんどん帰国日が先に延びそうな勢いです。
やりたいことをとこんとやると、こういうのもまた私のあこがれでもありますね。楽しいことだけではなく、ほかにいろんなこともあると思いますが、健康にだけ気をつけて、がんばってください!では、また。
そうですね。こうしてとことん旅行に投入している今は、本当に幸福を感じます。
本日夕方からラサへ向けて出発します。まずは高山病に要注意!です。
徳欽で梅里雪山が見えず落胆していた時、貴兄にお会いしました。既に帰国された頃と思い込み、お宅に電話しました。お留守でしたが、夕刻お母さまから連絡を頂き、事情は分かりました。山岳写真を趣味とし、最近は歳のせいか、信仰の山を訪ねております。
73歳で高地に順応できるか心配でした、特に睡眠中に呼吸が止まる(軽症)持病がありなしたが克服できたことが成果でした。再挑戦したいと思っております。貴兄には健康に旅行を続けて頂けるよう祈ります。
Machida 亮々様、コメントありがとうございます。
飛来寺の仏塔前で貴兄にお会いした時の事は、よく覚えています。梅里雪山のいい写真が取れたらお送りすると約束しましたが、いい写真が撮影できず、約束が守れずに申し訳なく思っております。
お会いした時の印象は健康そのものでした。持病がおありなのは大変かと存じ上げますが、まだまだチャンスはあると思いますので、再挑戦をご期待しております。