バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第2部 チベット東南部、大陸中国西南部

ジョル(徳欽)-2 ~許されざる光景

注:ジョルとは、徳欽の名で知られている街で、現状中国雲南省に属しているが本来チベットの版図に属する。

2007年6月15日

前回、ジョル郊外の飛来寺での出来事を淡々と書き綴ったが、実はその裏で、私を激しく憤慨させた光景があったのである。
1991年にカワカブ(梅里雪山最高峰)登頂を目指して遭難した、私の友を含む日中友好第2次合同登山隊の遭難慰霊碑の前に立った時だった。
遭難慰霊碑
日本人と一部チベット人の名前が傷つけられた
日中友好第2次合同登山隊の遭難慰霊碑
碑には日本人遭難者11名の名前が左側に、チベット人遭難者2名の名前がその右に、中国人遭難者4名の名前が右側に刻まれていたが、そのうち日本人全員とチベット人1人(※1)の部分、そして日本語の献辞の部分だけが刃物のようなもので無残に傷つけられていたのである。(前ページで友の名を"何とか"確認することができた、とあったのもこのためである)

[友の ―― 遭難者たちの墓標が…]

激しい憤りが体を走った。
カワカブを目指して命を散らした彼らにとって、この慰霊碑は"墓"に等しい。その"墓"を傷つけるなど、死者への冒涜にほかならず、およそ人間のやることではない。
日本人とチベット人の部分だけ削られているということは、反日中国人の仕業に相違無い(※2)が、下手人を特定することは不可能である。私の怒りの矛先は、中国共産党・中華人民共和国そのものに向かった。
私は一貫して中国の伝統文化・歴史に憧憬を抱き、第二次大戦時中の日本軍による蛮行の史実についても真摯に受け止めてきている。それは今も昔も変わらない。しかし、中共に対しては天安門事件の時から不信感を抱いていた。
それが今回、決定的となった。個人レベルで反日感情を抱くならまだしも、反日を国是とし、このような理性・品性の無い行為を行うがままにさせている連中を、もはや許容することは不可能である。

この瞬間から、私の心は「中華人民共和国」から一気に離れていくことになる。

ジョル
ジョルの街中
話を旅の様子に戻そう。

カワカブを覆う雲は晴れる様子が無く、私は山を見ることができないままジョルの街に戻った。
ザナチュ(メコン川)支流の谷間に位置するこの街は、山裾にへばりつくように建てられていて、規模は小さく、道は狭くほとんどが坂道である。道行く人々は当然のことながら、大部分がチベット人だ。
朝までいたギェルタン(シャングリラ)とは200kmほどしか離れていないのに、随分奥地に来たような感覚である。

夜になって、私とタイ人のチムが泊っている部屋にエドワードというオランダ人がやって来た。どうやら私が表に出ている間にチムと知り合ったらしい。
エドワードとチムは氷河を見に行く相談をしていた。興味を抱いた私もその話に乗り、明朝一緒に出発することになった。

(以下帰国後に考えたこと)
※1 当時は傷つけられた名前の中にチベット人が含まれていたことに気づいていなかった。チベット人2人のうち一方の名前が傷つけられていなかったのは、中国人風の名前で中国人と認識されたためと推測される。
※2 聖なる山・カワカブを登ることを快く思わない現地のチベット人がやったのでは、という推測もあるが、それではチベット人の1人の名前も傷つけられていること、同じように山を登ったにもかかわらず中国人の名前が傷つけられていないことの説明がつかない。

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