バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第2部 チベット東南部、大陸中国西南部

ギェルタン(シャングリラ)-4 ~ここはやはりチベット

注:ギェルタンとはシャングリラ(香格里拉)の名で知られている街で、現状中国雲南省に属しているが本来チベットの版図に属する。

2007年6月17日

3日ぶりにギェルタンの古城巡りを楽しむ。
中央広場では、数多くの軽食の屋台が軒を並べ、小腹をすかせた人々の胃袋と舌を満足させている。

軽食の屋台が並ぶ広場
軽食の屋台が並ぶ広場
民族衣装のチベット人
民族衣装のチベット人が違和感なく街中を歩く

ある時は木造家屋の間を、ある時は高台を歩く。時折民族衣装のチベット人の姿を見かけるが、何の違和感を抱くこともない。
中国に支配され、漢化が進められているとはいえ、ここはやはりチベットなのだ。
巨大マニ車を回す人々
巨大マニ車を回す人々
歌に合わせて踊るチベタンカルテット
歌に合わせて踊るチベタンカルテット
そして、古城のほぼどこからでも見ることができる、中国名で「大亀山公園」と呼ばれる小高い丘の上にあるチベット寺院と金色の巨大マニ車 ―― 何度も見ている割には、丘の上に上るのはこの日が初めてとなった。
寺院は決して大規模ではないが、それでも信者にとって神聖な場所であることに変わりはない。何人もの信者が熱心に祈りを捧げている。
その傍らに立つ巨大マニ車。勿論回転させることができるのだが、大きさが大きさだけに一人で回すのは無理。数人がかりでようやく時計回りに動かすことができるという代物だ。これを回すとカランカランという鐘の音が鳴り、丁度これが古城を象徴する音になっている格好だ。
丁度私が訪れた時、マニ車の前で撮影が行われていた。チベット人男性4人が「シャングリラ賛歌」のようなものに合わせて踊っている。撮影自体は特に変わったものでもないのだが、4人の中にどこかで見たような顔がある。日本の某毒舌タレントによく似た者、そして悪名高い某宗教家によく似た者…。日本人とチベット人は、どこか顔つきが似ている。

古城内のレストランでインターネットをした際、この日の朝ジョル(徳欽)でエドワードから聞いたチョモランマ・ベースキャンプでのデモについて調べてみた。どうやら同年4月26日、米国籍のチベット人を含む数人の活動家が行ったデモの影響で、チベット入境許可書の入手ができなくなっているらしい。
チベット(※1)へ行けるかどうか、益々不安になってきた。

夕食後、3日前に知り合ったヒロアキと古城の入り口近くでばったりと再会した。 既に満腹になっていたが、折角なので食事に付き合い、旅談義に花を咲かせる。
彼は翌日、ラサに向けてバスで出発することになっている。問題の入境許可書だが、もとより彼は取得していない。発行されない現状を考えるとラサに行くにはこれ以外に手段が無い訳だが、やはり無事に辿り着くことができるか、心配である。

<後日談>
20日ほど経った後、彼から「きわどい場面は何度かありましたが、お蔭様でなんとかラサに辿り着くことが出来ました」というメールが届いた。

ライトアップされた寺院と巨大マニ車
ライトアップされた寺院と巨大マニ車
21時すぎ、広場を通って宿に戻るが、夕方から広場で行われていたチベット人の踊りはこの時間になっても続いている。
そして、先ほど上った丘の上では、寺院とマニ車が美しくライトアップされていた。

※1 当時はまだ、チベット=チベット自治区、という認識しか無く、自分がこの時既に“チベット入り”していたのだという自覚が無かった。

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