バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第5部 北インド、パキスタン

ジャイプル-デリー ~天文台とマハラジャの宮殿

2007年8月27日

まだ腹痛は完治せず。午前中は宿で大人しくして、いざ外出しようかと思ったら、今度は雨。13時ごろに雨が止んだところでようやくジャイプル古城巡りに出掛ける。

昨日も近くまで来ておきながら体調の関係で日延べにした、ジャンタル・マンタルと、シティ・パレス。いずれも18世紀のマハラジャであるサワーイ・ジャイ・スィン2世の手によるものである。
ジャンタル・マンタル
ジャンタル・マンタル

前者は天文台。さまざまな形の大きなオブジェのようなものが立ち並んでいるが、これが天体観測儀だというのだ。何もこんなに大きなものにしなくても、とも思えるが、この大きさがもしかすると、その正確さに繋がっていたのかもしれない。

後者はマハラジャの宮殿。入り口には藩王国時代を彷彿とさせるいでたちの門番が立っている。
中に入ると月の宮殿、ディワーネ・カースなど、その権勢を象徴するかのような建物が残っている ―― いや、"残っている"という言葉は適切ではないかもしれない。なぜなら、この宮殿は今でもマハラジャの住居として使われているのだから。

シティ・パレスの門番
門番
シティ・パレスの月の宮殿
月の宮殿
シティ・パレスのディワーネ・カース
ディワーネ・カース

宮殿の一部は博物館として開放されており、マハラジャがイギリス旅行の際に持参したといわれる巨大な銀の壷をはじめ、楽器、クラシックカー、絵画、金の輿などが展示されている。
インドには、これだけの権勢を振るった人物がいたということだ。しかしそれと同時に、インドには物乞いをしなければ生きていけないような人々がそれ以上に多くいる。
貧富の差 ―― インドの悲しい現実である。


2007年8月28日

まだ便は軟らかいが、体調はすこぶる良くなった。

昼前に宿を出て、セントラルバスターミナルへ。ジャイプルからデリーを目指す。バスチケットを買うのに手間取るが、無事デリーへのチケットを確保する。本当はデラックス(DX)バスあたりが良かったのだが時間的に一番良かったのでA/Cバスにした。ところがこのバス、空調が効きすぎて寒い。やはり値段も比較的安く気温も自然なDXバスの方が良かった。

デリーに着いたらそのまま列車に乗って次の街に向かうつもりで、予めこの日のチケットを購入していた。デリーへの道中、一時大雨が降ったり、デリーの手前、そしてデリー市内に入ってからは渋滞に見舞われたりもしたが、列車出発3時間前の18時半すぎと余裕の時刻にデリーのインド門に到着してくれた。

列車は21時35分、ニューデリー駅を出発した。
私が乗ったのはSL(スリーパー=2等寝台)の上段。狭苦しいがどうせ寝るだけなので一向に構わない。
気になったのは、全席指定の車両の通路が自由席の乗客で溢れ返っていたことだった。日本は勿論、中国ですら指定券の無い乗客は指定席車両に入ることもできないというのに、インドではそれが認められているのだろうか。
と思っていたが、暫くして何気なく通路を見てみると、先ほどの人だかりが嘘のように姿を消していた。どこへ行ったのだろう?

SLの車両は薄暗く、独特の雰囲気を出している。時折、「チャイチャーイ」と連呼するチャイ(ミルクティー)売りの声がゆったりとした時間のリズムを演出する。弁当売りが来ることもあるが中身は十中八九カレーだ。チャイもカレーも、今の私の胃には禁物である。

私が目指していたのは、旅を始めた当初は名前すら挙がらなかった場所だった。しかし、4か月近い旅の中で私を大きく変えたあるものとの出合い ―― その邂逅が私を今、そこへと導いていた。

あの方のいる、あの街へ…

「第6部 北インド」に続く

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