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世界への旅(旅行記)

アジア周遊エピローグ~帰国

蘇州、周荘 ~変わり果てた水の都

2007年12月15日

上海をちょっと離れて、江蘇省南部の蘇州へ出向く。
当時の旅日記ブログに何度もコメントを書いていただいたheng氏と会うことになっていたこともあり、余裕をもって上海を出る。しかし、高速道路の途中で考えられない渋滞。霧やら事故やらが原因らしいが、車が完全に停止してしまい、結局、上海から蘇州までの所要時間が4時間という有り得ない事態となってしまった。

蘇州には16年前の中国初旅行の折にも来たことがある。その時の蘇州も決して小さな街ではなかったが、街全体に古めかしくゆったりとした風情があった。
しかし、16年 ―― それは余りに長かった。蘇州の街は、当時の姿を思い起こすことができないほど変わり果て、モダンな都市になってしまっていた。運河や世界遺産の庭園は健在だが、街には近代的なビルが立ち並び、中心からちょっと離れると、現在の蘇州を支える外資企業の工場も見受けられる。
バスの到着が遅れたため、待ち合わせ場所には今回の旅では殆ど使っていない自動車のタクシーを利用したが、タクシーは高架の道路をすいすいと走っていく。これも蘇州の近代化を象徴する風景である。"古きよき水の都"の姿は、もはやそこには無かった。

13時、蘇州シャングリラホテル(これも16年前当時には無かった超高級ホテルである)で待ち合わせていたheng氏と対面――と言うよりは、大連時代に会っていたので“再会”である。
まずは昼食がてら、heng氏と会話をする。
「随分中国が嫌いになったようで」
私のブログをしっかり読んでいたheng氏はそう言うが、その表情はどこか嬉しそうでもあった。
「大連の親日ぶりは特殊ですよ。蘇州では反日感情が強くて、足引っ掛けられたりすることなんかしょちゅうあります
heng氏も中国に対する不満は相当なようだった。
「アジアの人のこと、露骨に野蛮人扱いしますしね」
「何を。今回幾つもの国を回ったけれど、中国人より野蛮な国民は無かったよ」
「僕もそう思います」
中国への悪口は尽きない。

旅の話や大連での昔話をしたり中国社会の矛盾を語り合ったりした後、蘇州の街巡りに出かける。
京杭大運河
京杭大運河

まず最初に行ったのが、京杭大運河。前回の蘇州訪問時には見逃していた場所である。
「大運河」という名前の割には、幅はそれ程広くはない。しかし、割合大きな船が行き交う光景を見ていると、この運河が蘇州の水の動脈であることが窺い知れる。
運河の北の方に目をやってみた。この方向へそのままさかのぼっていくと、北京にまで続いているのである。そう思うと、この狭い運河がとてつもなく壮大に思えてくるから不思議だ。

その後、古刹・寒山寺と名園・留園を訪れる。しかし、寒山寺には1000年の古刹という雰囲気が乏しく、留園は工事中で池の水が抜かれ、水底の泥が見苦しさと異臭を放っている。

寒山寺
寒山寺
留園
留園

折角の世界遺産も、これでは台無しだ。
蘇州には1泊することになっている。明日こそ世界遺産に相応しい美しい庭園を拝みたいものだ。

2007年12月16日

蘇州ではheng氏の家に泊めてもらい、この日こそ美しい世界遺産の庭園を見るべく、獅子林へと向かう。 獅子林も典型的な蘇州の庭園で、池と亭に加え、奇妙な形をした数々の庭石が配置されている。庭石の中に獅子のようにも見える形をしたものが数多くあることから、"獅子林"と呼ばれている。ここは割合風情もあり、池の水もしっかりとたたえられている。ようやく、蘇州の庭園に満足することができた。

獅子林
獅子林
周荘
明清時代の町並みが残る周荘

上海へ戻る前に、蘇州から手軽に行くことができる名所でちょっと寄り道。江蘇省昆山市に属する周荘という場所だ。
周荘は明清時代の町並みが残る江南の水郷である。古めかしい家々の間を細い運河が走っていて、そこを小舟が行き交う風景は、変わり果てた蘇州にがっかりしていた私の気分を十分に埋めてくれた。

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お疲れ様でした。無事に上海に辿り着かれたようでほっとしております。楽しい1日ありがとうございました。機会あればまた蘇州の方にも遊びに来て下さい。そして、ゆっくりとお話しできる機会がまたあればと思っています。

こちらこそありがとうございました。
またお会いできることを祈りつつ、明日帰途に就きます。今後も連絡取り合いましょう。

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