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世界への旅(旅行記)

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アテネ-3 ~新アクロポリス博物館

新アクロポリス博物館
新アクロポリス博物館
新アクロポリス博物館
博物館の床下にも遺跡が
アクロポリスを下りてすぐに、南東側に隣接した新アクロポリス博物館を訪れる。(ちなみに旧アクロポリス博物館はアクロポリスの上にあったのだが、出土品の量がキャパシティを超えてしまったために新しい博物館を丘の下に造ったとのことだ)
門をくぐって敷地内に入ると、ガラス張りの床の下に遺跡が見える。更に入り口前では柵で囲まれた穴の下に遺跡を直接見ることができる。この博物館は遺跡の上に、遺跡を壊すことなく建てられたようだ。

入館するとまずニケ像の出迎えを受ける。グランド・フロアは陶器等こまごまとしたものや彫刻などが展示されている。ここは適当に参観して、実際の神殿への参道をイメージした緩やかなスロープを歩きつつ1階に上がってみると、フロア一面に白い大理石の像が建ち並んでいる(撮影禁止で写真を撮ることができなかったので、様子を知りたい方はこちらから)。どの像も保存状態が良く、写実的で精微で美しい。全てをじっくり見て回るとこのフロアだけで1時間はかかってしまうだろう。
そしてカフェなどがある2階はスルーして、3階へ。このフロアの見どころは外側のスペースにあるのだが、まずは内側のスペースでビデオの放映があったのでそれを見ていくことにする。
ビデオは、パルテノン神殿の歴史やレリーフの元の姿などを物語るものだった。
アテナイをはじめギリシャの神々を祀るこの神殿は、東ローマ帝国支配下の時代にはマリア聖堂とされ、オスマン・トルコ支配下の時代はモスクとして利用され ―― と、侵略・支配する側の都合でその役割をコロコロと変えさせられる。そして終にはヴェネツィア軍の攻撃で大打撃を受けてしまう…
その歴史を知った時、私は先程パルテノン神殿の工事の足場やクレーンを邪魔物扱いし、「興ざめだ」などと思ってしまったことを悔いた。撤回しなければならない。あの足場は、クレーンは、神殿を元の姿に戻そうとする努力の証しなのである。
さて、ビデオを見終わったところで、このフロアのメインである外側のスペースへ。ここは四方がパルテノン神殿と同じ比率の四角形になっていて、神殿を彩る像などがここに並べられている。しかしモダンな建物の内部なので、往時をしのぶ、というのはちょっと苦しいか。

ギリシャの念願だった博物館だけあって、見どころが多くクオリティの高い博物館だった。但し、
[神殿よりも先にこちらを見た方がよかったかな?]
という観後感だった。アクロポリスの復習よりも予習として参観したい博物館である。 いかにもヨーロッパ的なプラカの小路
いかにもヨーロッパ的なプラカの小路
いかにもヨーロッパ的なプラカの小路

一旦キダシネオン通りに戻って昼食。燃料をチャージしたところで次の目的地へと向かう。
その場所へはアクロポリスの敷地の北側に沿って歩くと近道になるが、その道中に入りこんだ小路は、いかにもヨーロッパ的な明るい色彩と雰囲気を放っている。この光景に、私はギリシャに入りながらもこれまでなかなか感じられずにいた“ヨーロッパ”をようやく感じることができた。

小路を抜けたところで、地元の男性に声をかけられた。
「どちらから?」
「日本です」
「日本か ―― 震災大変だったね」
そう。日本はほんの1か月半前に、東北地方に壊滅的なダメージを与えた震災に見舞われたばかりだったのだ。その前から計画していたこととはいえ、日本が大変なことになっているこの時期に海外旅行をすることに正直引け目を感じていた。そんな思いから私は“Pray for Japan”とプリントされたTシャツを買って今回の旅に臨んだりもしたが、こうして日本のことを気にかけてくれる人に会えたことだけで少し救われた思いだった。

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