バス憧れの大地へ
SAVE TIBET ! チベットに平和を

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

ダラムサラ最後の日

2011年10月15日

昨日のマーチを見てチベット人の自由を希求する強い意志を垣間見たことで、ダラムサラでの見聞にひとまず区切りがついたと感じた。1週間の予定が9日間となり、まだ滞在したい気持ちは強いがこのへんが潮時だろう。
今日でダラムサラを後にし、旅の終わりのカウントダウンを始めることにした。

2度目のダラムサラは、初回に見過ごした(と言うか、初回は見過ごしだらけのスカスカの訪問だった)場所も訪れることができ、実りある訪問だったように思う。

コルラ道(リンコル)
マクロードガンジの街中に仏教色が少ない分、ここを毎朝巡礼することで存分に仏教に触れることができた。

チベット子供村(TCV)
上から眺めることしかできなかったが、明るく元気に活動する子どもたちの姿に彼らの未来に一筋の光を感じると同時に、彼らが抱える「悲しみ」を直感的にではあるが心の底から悲しいと初めて感じることができた。

ノルブリンカ
こちらでも、チベット文化の継承に光を見ることができた一方で、こうした文化継承の活動は彼らの故郷で行われてこそ意味があるのだということをあらためて痛感した。

タンカ購入
仏教についてはまだまだ初心者ではあるが、タンカを購入したということ自体が仏教に対する関心が強まっていることの証拠ではないかという気がする。タンカ絵師の女性に絵の解説をしてもらったことも、仏教の知識を積み上げることの一助になったことは間違いない。

チベット人との会話
少しは話ができたが、TCVの時と同様、彼らの背景の深い所にまで立ち入ることにはまだ抵抗感を拭い去ることはできなかった。「ここ(ダラムサラ)で生まれたのですか? チベットから来たのですか?」ということを尋ねて彼らの背景を想像するにとどまった。
「なぜチベットからここへ?」――「自由を求めて」
「チベットからここにはどうやって?」――「ヒマラヤを越えて」
聞くまでもないことだったので敢えて尋ねなかったということもある。しかし、私にはまだそこから先の深い所に踏み入る覚悟と図太さができていなかったようだ。
新しく知ったことといえば、タンカ絵師の話からチベット難民の生活の厳しさ、亡命先で働くことの難しさ、ということだろうか。彼女が口癖のように繰り返す「大変なのよね」というフレーズが、チベット難民の置かれている困難な状況を物語っていたような気がする。

自由への意志
最初に書いたように、初めてチベット人によるチベット人の抗議デモを目にしたことで、主催団体がチベット難民社会で“熱い”部類であることを差し引いても、チベット人の自由・人権を求める強い意志を肌で感じることができたのも大きな経験だった。


一つだけ、前回の訪問でなし得て、今回の訪問でなし得なかったことがあった。
ダライ・ラマ法王のご尊顔を拝することができなかったことである。
しかし、前回はティーチングに参加したものの今回はタイミング的に参加は難しいであろうことは最初から分かっていた。ご多忙の身なので余程の幸運でもない限りそれ以外の機会を得るのは難しいだろう。
まあ、帰国後に日本での講演に駆けつける予定でいるので、それだけで十分としよう。


午後6時には、ここを出発することになる。
最後に、もう一度ダラムサラの街中を散歩してみた。
ツクラカンでは、僧侶たちが手を打ち鳴らしながら問答をする中、人々が穏やかに巡礼し、マクロードガンジでは車やバイクの音はやかましいものの、人々の息づかいはゆったりとしている。

またいつか、来ることはあるだろう。
前回立ち去る時と同じ願いになってしまうのが悲しいが、その時には、チベットの状況が改善されて、人々に本当の笑顔が戻りますように・・・

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