バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

マナーリー」の記事

マナーリー―ダラムサラ

2011年10月 6日

マナーリーで迎えた2日目の朝。宿に近いチベット寺院2つを参拝した後、いざ、今回の旅で第2の目的地であるダラムサラへと向かう。
ところが、マナーリーのバスターミナルで、前日に買ったチケットの車が無く、取りあえずクルまで行ってそこでダラムサラ行きに乗り換える、ということになる。

クルでの乗り継ぎは、最初のバスの車掌が案内してくれたお陰でスムーズにできた。と言うより、乗り継いだらすぐの発車でトイレに行く暇すら無かった。

乗ったバスは「Ordinary」、即ちごく普通の鈍行バスで、途中で何度も停まっては客を乗降させ、要所のバスターミナルではじっくり停まって客を集め、という実にゆったりとしたものだった。
バスは途中までは、おおむね山道を上るコースをたどる。しかし、後半になるとほぼ一貫して山道を下りる形となった。ダラムサラは山のてっぺんにあってその上にはもう街は無い、というイメージが前回の訪問であっただけに「おいおい、どこまで下りるんだ?」と少し不安を覚えた。しかし、よくよく外を見れば山を下っているというよりは山そのものがだんだん低くなっていて、それに沿うようにして走っていたのだった。
もう一つ違和感を覚えたのは、前回はチャッキバンクからアクセスして、ダラムサラに着くまでは人里離れた山奥の道をひたすた走ったような記憶があったのだが、今回は到着直前まで賑やかな街を幾つも通ったことだった。しかしこれも、コースが違えば車窓の外に見える風景も変わって当然のことだった。

午後6時すぎ、ダラムサラのバスターミナルに到着した。しかし、これで目的地に着いたと思ったら大間違い。ダラムサラには「ロウアーダラムサラ」と「アッパーダラムサラ(通称『マクロードガンジ』)」の2つの地域があり、旅行者にとって「ダラムサラ」と言えば後者なのだが一般的に「ダラムサラ」と言えば前者なのであるらしい。ここから更に、すし詰めのジープタクシーで10kmほど山道を上ることになる。(ちなみに、この時の私の隣席は、女性に抱えられた大きな犬だった)

午前8時20分にマナーリーを出発して約10時間30分後の午後7時前、ようやく目指すマクロードガンジに到着した。

 9月26日:7時間
 9月27日:11時間
 9月30日:10時間
 10月1日:9時間半
 10月4日:19時間
 10月6日:10時間半

これ全て、ここ最近車で移動した所要時間である。

――移動しすぎ。

ここでは暫く、ゆっくりすることにしよう。

25日ぶりの美酒

2011年10月 5日

ラダックにいる間、禁酒をしていた。
とはいえ、飲めるのに無理をして我慢していた、という訳ではない。

飲みたくても売っているのが見つからなかったのである。

もしかしたら懸命になって探せばあったのかもしれないが、文字通り“命を懸けて”まで飲みたかった訳でもないので、「無いなら仕方がないか」という位の気持ちで、無理して探して飲むことをしなかっただけのことである。

しかし、ここマナーリーでは、普通に酒屋が営業していた
とはいえ、インドでは酒を飲むという行為は余り好意的な目で見られるものではない。だから、酒を買う時には皆、新聞紙にくるんでもらって酒瓶が表に見えないようにして持ち帰っている(バレバレだとは思うのだが)。
私も、キングフィッシャービールを1瓶買って新聞紙にくるんでもらい、宿に持ち帰った。

相も変わらず冷水しか出ないシャワーを浴びてさっぱりしたところで、さて・・・

シュポッ!
トクトクトクトク・・・

Kingfisherビール

それでは・・・
9月10日にデリーの宿で飲んで以来、実に25日ぶりの美酒を・・・

ゴクッ、ゴクッ
    ・
    ・
    ・
う ま い

五臓六腑に、19時間の長距離移動の疲れがまだ少し残っている体に染み渡る。

少し残念だったのは、「シュポッ」と「トクトクトクトク」との間に「ドボドボドボ」があって、推定でコップ1杯ぐらいが泡とともに消えてしまったことだ。

ちなみに、ビール1本のお値段は80ルピー・・・

ミネラルウォーター1リットルが15ルピー。
ソフトドリンク600mlが25ルピー。

それを考えると、結構な値段だ。

やっぱりこれからも、酒は控えめにしよう。

マナーリー(3)

2011年10月 5日

街の南側に行ってみると、「Yak」だの「Himalaya」だの親しみを覚える文字が看板に見えるようになった。そして、奥の方に入ってみると、チベット仏教寺院が2つ建っている。

――チベット人街だった。

人口の比率はそれでもインド人の方が多いが、中心街に比べるとチベット人率が高くなっている。
そして、寺院は言うまでもなく、それ以外の建物でも屋上にタルチョ(五色の祈祷旗)が飾られている所がある。
宿も多い。バスターミナルから歩いて5分ほどという立地にもかかわらず。中心街からやや離れているため、今宿をとっている場所よりもはるかに閑静である。

[こっちにすればよかったかな?]

そう考えた私は、幾つかの宿を当たってみた。その中で、屋根にタルチョを飾っているHOTEL SUNFLOWERがやはり、300ルピーのところを250ルピーへのディスカウントに応じてくれた。部屋も、今いる宿より広くて奇麗である。
HOTEL SUNFLOWER

時刻は11時。チェックアウトの12時には十分間に合う。

――決まった。
私は宿に戻り、大急ぎで荷物を纏めてチェックアウトし、閑静なHOTEL SUNFLOWERへと移動した。

さて、このエリアには上にも書いた通り、2つのチベット寺院がある。

まず奥の方にある、ガンデン・テクチョリン・ゴンパの方を訪れてみた。
ガンデン・テクチョリン・ゴンパ
僧房に取り囲まれるようにして、本堂が1つだけ建っているシンプルな寺院だ。本堂の入り口に近づくと、そこにいたチベット人女性2人が「どうぞ」と中へと促す。
中では、僧侶たちがお経をあげていた。修行中にお邪魔してもいいのかな?と少し躊躇するが、「どうぞ」と言ったからにはいいのだろう。修行の邪魔にならないよう、ひっそりと中に入り、正面に安置されている仏像やダライ・ラマ14世の写真などに祈りをささげ、ひっそりと外に出た。

境内を出ようとすると、入れ違いにチベット人僧侶が1人、入ってきた。
「タシデレ」
私が声をかけると、僧侶もにこやかに返してきた。
「タシデレ」
そう。ラダックではあいさつの言葉は「ジュレー」だったが、これからはチベット人コミュニティでのあいさつは、チベット本土の言葉で「タシデレ」となる。
なぜなら、ここにいるチベット人たちは、中国共産党の魔の手から逃げ延びてきたチベット難民なのだから。

次に、表通りから見ると手前に当たる場所にある、ペマ・ウーリン・ゴンパを訪れた。ここも、本堂のほかは小さな堂が2つと、チョルテンが1つ、仏像が1つ建っているだけの小さな寺院である。
ペマ・ウーリン・ゴンパ
本堂に入ると、2階部分に頭が突き出るほどの大きな仏像が安置されている。2階に上がると、いかめしい顔つきの守護神を左右に従えた、仏像の穏やかな表情を正面から見ることができる。
入り口には、「写真撮影:20ルピー」と書かれている。写真も撮影したかったし、お布施もしたかったのでしっかりと20ルピー支払って仏像の写真を撮らせて頂いた。
ペマ・ウーリン・ゴンパの仏像

これで、マナーリー巡りは終了。他にも疲れに良さそうな温泉のあるヴァシシトなどの場所があるのだが、少し遠いので行くのが面倒臭くてやめてしまった。

後は、次の目的地に向けて鋭気を養うばかりである。

マナーリー(2)

2011年10月 5日

重たいまぶたを開いて時計を見ると、既に10時を回っていた。19時間に及ぶ車での移動は、やはり私の体力を想像以上に消耗させていたようである。
次の目的地へのバスを今日夕方の出発か明日朝の出発にするか考えていたが、この疲れようでは、今日の夕方出発の夜行便はとてもではないが無理だ。

[明日の朝にしよう・・・]

これで、スケジュールは決まった。

マナーリーの街は朝から喧しい。バスターミナル横のヒンドゥー寺院では、何かのイベントか儀式が行われていたようで、大音響の中大勢のギャラリーが集まっていたが、私が表通りに出る頃にはちょうど終わっていたようで、ギャラリーが三々五々散り始めていた。
201110050101.jpg

その他にも、マナーリーには“インド”を思わせる幾つもの要素があった。

・何かよく分からないが、見た目も音も派手な、いかにもヒンドゥー的なプチパレード
ヒンドゥー的なプチパレード
葬列か? 後日、この時マナーリーでお祭りが行われていたことを知った。もしかすると、先程ヒンドゥー寺院で行われていたのもこれ関係だったのかもしれないのは確実だろう。

・中心部の商店街
中心部の商店街
路地裏までちょっと雑多に店が続いているのがインド的。

・レーではおよそあり得なかった巨大野良牛
巨大野良牛
君たち・・・
野良のくせに、何を食べたらそんな風にでかくなれるのだ?

・お昼に食べたマサラ・ドーサ
マサラ・ドーサ
いや、これはラダックでも食べることは可能だな・・・


――いかん。やはり疲れているのか、最後はどうでもいいものまで挙げてしまった。

しかし、マナーリーは何もかもがインド的なものばかりの街でもない。私が求めていたものも、きちんとあったのである。

マナーリー(1)

2011年10月 4日

マナーリーは森に囲まれた閑静な場所――私は、そんな勘違いをしていた。実際に来てみると、確かに森が生い茂る山に囲まれ、規模こそそんなに大きくはないものの、人が多く、想像以上に騒々しい街だった。
バスターミナル前のメインストリートは舗装されておらず、歩行者天国状態で車は走っていないが、それでも夜遅くになってもあちこちで音楽が大音響で鳴り響き、バスターミナル横のヒンドゥー寺院からの放送もやかましい。こうなってくると、レーのメインバザールの喧騒が可愛いものに思えてくる。
201110040301.jpg

典型的な“インド”にやって来たようである。

宿はバスターミナル前繁華街のど真ん中にあるSukhiran Hotelにとった。300ルピーのところを250ルピーにしてもらう。
しかし、よく考えれば分かることなのだが、こんな場所で落ちついて休めるはずもない。辺りは夜の11時すぎまでガヤガヤとうるさくてかなわなかった。

さて、マナーリーはあくまで通過点だ。次の目的地への移動を考えるため、早速バスターミナルの時刻表を確認しに行った。
その街へのバスは1日3便あったが、1つは料金が500ルピー近くかかる。他の2便は300ルピー程度で、夕方か早朝の出発となる。
マナーリーにも少しは訪れたい場所があるので、明日の朝一番という選択肢はあり得ない。明日の夕方か、明後日の朝の出発ということになりそうだ。

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