バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

上ラダック」の記事

スタクナ・ゴンパ

2011年10月 3日

次の目的地・スタクナ・ゴンパに到着したのは、マト・ゴンパを出発してから1時間40分も経った後だった。

スタクナ・ゴンパは、インダス川南岸の荒野の中にポツンと1つだけ突き出た小高い丘の上に建っている。インダス川の側に回ると、雪山を背景にゴンパを見ることもできる。
スタクナ・ゴンパ

中に入って2階に上がると、親切な老僧が見どころである部屋の鍵を一つ一つ開けて案内してくれた。
左奥にドルジェ・パンモ像が安置され、正面奥に7体の尊像が並び、右側に3体の仏像が並ぶなどするドゥカンをはじめ、いずれも、この日最初に行ったマト・ゴンパで内部を正面からは何も見ることができなかった無念さを晴らしてくれる見応えだった。
スタクナ・ゴンパのドゥカン
ドゥカン

しかし、この場所で私の心を打ったのは、ゴンパの建築物でも中身でもなかった。
そこから見える風景――真っ青な空の下、赤茶けた山々が連なり、方向を変えると雪山も見える。広大な谷あいには、ラダックを育んできたインダス川が流れ、そのほとりにはポプラを中心とした木々が青い葉を生い茂らせている。その向こう、山の手前には、私が特に気に入ったティクセ・ゴンパの姿も見える。
スタクナ・ゴンパからの風景

ありがとう、ラダック。
私をここまで満足させてくれて・・・

私が心底、ラダックに満足した一瞬だった。心残りが無いと言えば嘘になるが、今回はこのあたりでいいだろう。

[そろそろ――行くか]

私は乗り合いタクシーでレーに戻り、旅行社で次の場所への足をブッキングした。
そして、レーの中心寺院・ジョカンで最後の祈りをささげた。

マト・ゴンパと農村風景

2011年10月 3日

昨日タクシーの中から見えた、インダス川南岸のはるか彼方にあるゴンパが気になり、この日朝からそのマト・ゴンパへ向かうことにした。
古い情報だと7時30分にマト行きのバスがあるとのことだったが、やはり古い情報。現在では9時発になっており、しかも既に他の場所からの途上で客を大勢乗せたバスは9時20分になってようやくレーのバスターミナルに到着。それからマト・ゴンパに到着まで1時間。奇跡的に座席を確保できて助かった、という混雑ぶりだった。

間近から見るマト・ゴンパは、回収されたためか割と真新しい印象を受けた。向かって左側の堂の白と、右側の堂の赤、そして背後の青空のコントラストが美しく目に映える。
マト・ゴンパ

しかし、僧侶が誰もおらず、肝心の中に入ることができない。誰かいませんか~と言わんばかりにうろついていたら、奥から英語の話し声が聞こえてきた。声が聞こえてくる部屋の奥を見ると、西洋人の女性が無線を相手に話している。尼僧ではなさそうだが、ここでワーキング(働いている、ということではなくどうやら何か研究をしている様子)をしているとのことだった。そのフランス人女性に案内されて赤い堂の1階の一室に入れてもらったが、美術品制作真っ最中の何も無い部屋だった。
その隣の部屋に大仏が安置されているようだったが、残念ながら鍵がかけられていて、鍵を開けることのできる僧も不在の様子。幸い、フランス人女性が無線で話していた部屋の前の窓からその仏像を見ることができ、その窓を開いて拝ませてもらった。
マト・ゴンパの大仏

次の目的地へは歩いていけそうだったので、そのまま歩き出した。
道中は辺り一面の農村風景。牛などの家畜がのんびりと草をはんでいる。大部分は刈り取りが終わっていたが、一箇所だけ、穀物(時期を考えると恐らく小麦)の収穫作業を行っている場面に出合うことができた。今回の旅では何度も農村を見る機会があったにもかかわらずこうした本格的な農作業を行っている場面に出合ったことがなかっただけに、最終段階でそれらしい場面を見ることができたのは幸運だった。
穀物の刈り取り作業

やがて、次の目的地が見えてきた――のだが、ここから大した傾斜でもないのにダラダラとしたつづら折りの道になってきた。何度か近道をしたものの、目的地はなかなか近づいてくれない。

ヘミス・ゴンパ、チェムレ・ゴンパ(2度目)

2011年10月 2日

ラダックで最大といわれるヘミス・ゴンパにまだ行っていなかった。これを見ずしてラダックを去ることはできないと思い、この日目指すことにした。

まだ閑散としたバスターミナルへ行ってみると、ザンスカールからの帰途を共にした田辺さんがいた。
「今日はチェムレ・ゴンパに行って明日はヘミス・ゴンパに行くつもりなんですよ」
と田辺さんは言う。
「あ、でもチェムレとヘミスは割と近いから纏めて行った方がいいですよ」
しかし、「割と近い」とは言っても、どちらもレーから35km離れたカルの街からのアクセスが便利だというだけで、双方の間の距離は結構ある。そうなると、バスよりもタクシーをチャーターした方が便利なのだが・・・
そこで、私は考えた。

[ヘミス・ゴンパには自分も行きたい。チェムレ・ゴンパはもう行ったけれど、もう1回行ってもいいかな]

ということで、2人してタクシーをチャーターして行くことになった。
近くにいたドライバーに料金を訪ねてみたところ、
「タクトク、チェムレ、ヘミスと行って1900ルピーちょっとですね」
とのこと。
「タクトクには行かなくてもいです」
「じゃ、200ルピー安くします」
ということで、バスターミナル近くの食堂で朝食後、その運転手の車でまずはチェムレ・ゴンパへと向かう。
チェムレ・ゴンパ
チェムレ・ゴンパについては2度目なので、様子についてはその時の記事を参照していただくことにして、ここでは話をヘミス・ゴンパの方に集中させる。

ヘミス・ゴンパはカルからのアクセスが便利とはいえ、カルの街からその姿を見ることはできない。インダス川の南岸に渡り、山道を随分奥に入った場所にある。

チベット本土のガンデン・ゴンパ、セラ・ゴンパ、デプン・ゴンパ(以上ラサ)、タシルンポ・ゴンパ(シガツェ)に比べれば小さいものの、数十もの建物から構成されるヘミス・ゴンパは確かにそれまで見たラダックのゴンパの中で最大のものだった。
特に本殿は大きく分けて3つの部分から成り立っていて、その部分部分だけで小さなゴンパが一つすっぽり入ってしまいそうな大きさである。
ヘミス・ゴンパ
本殿正面の壁を見ると、仏や神々などを描いた絵が100以上ずらりと飾られている。
ずらりと飾られた仏や神々などの絵

本殿に入る前に、本殿前の広場前庭隅に入り口のある博物館に入ってみた。中は撮影禁止で、カメラを含めた荷物は入り口のロッカーに預けることになる。
入り口となる建物自体は小さかったが、入場して地下の展示室に潜ってみると、どこまで続くのだと言いたくなるほど(と言うより、田辺さんと実際にそう言い合った)広いフロア面積を誇っている。勿論、その面積に見合う数の展示品――仏像、タンカ、儀礼用具、武具、衣服等々――がフロア全体に整然と並べられている。
展示品の数と質は、間違いなくラダック一番だろう。しかし、どうもあるものをただ並べているだけ、というような散漫さが感じられ、目玉となるような特別な展示品も見当たらない。その点に関して言えば、テーマ毎の纏まりがあり、仏陀の生涯を描いたタンカ群という目玉品のあったチェムレ・ゴンパの博物館の方に軍配が上がる。

博物館の規模が特大なら、本殿に安置されている像も特大だ。前庭への入り口から見て一番手前の部分2階にあるグル・ラカンには巨大な金色のグル・リンポチェ像が安置されている。先程訪れたチェムレ・ゴンパにも大きなグル・リンポチェ像があったが、それとは比較にならない大きさだ。
グル・リンポチェ像

その他にも、集会所であるドゥカン・チェンモ、チョルテンを中心に神仏像が並べられたツォム・ラカン、ツェテン・ドルマ像を中心とした像や壁画が見事なラカン・ニンパなど、その規模に比例して見どころも多い。
ラカン・ニンパ
ラカン・ニンパ

ところで、一番上の写真を見ると分かるかと思うが、この時本殿奥の3階部分が何かでえぐられたかのように大きく破損し、その影響で本殿中央のドゥカン・パルパの公開が控えられていた。破損した箇所では、多くの人々が修復作業に当たっていた。
ヘミス・ゴンパの修復作業に当たる人々
Men at Work

「これは一体、どうしたのですか?」
英語でいろいろな人に尋ねてみたが、「英語ダメ」「分からない」と、要領を得ない答えばかりだ。田辺さんがタクシーの運転手に尋ねてみたところ、
「雪が屋内にたまって、それが解けた水圧で押し流された」
とのこと。何だそれは? もしそうだとすると春に壊れたことになるが、その修理ををなぜ今?

兎にも角にも、見応えのあるゴンパだった。田辺さんも
「(チェムレもヘミスも)どちらも見応えありましたね」
と、かなり満足した様子だった。
予習不足でこのゴンパの存在をかなり遅くに知った私も、これを見ずしてラダックを去るということを避けることができて本当に良かった。

タクトク・ゴンパ

2011年9月22日

パンゴン・ツォからの峠道を越え、上ラダックの谷あいに戻る。ここで、そのままレーには戻らずにちょっと寄り道。タクトク・ゴンパを訪れる。
このゴンパは18世紀創建のニンマ派のもので、旧ゴンパと新ゴンパの2つの建物がある。この時は新ゴンパは門が閉ざされていたが、本命は旧ゴンパの方なので問題ない。
旧ゴンパの方へ上がってみると、ガイド本に掲載されている写真よりもかなり真新しく色鮮やかなのに驚かされる。どうやら最近になって修復が行われたようだ。
タクトク・ゴンパ

本堂に入ると、ガラス張りの扉の向こうに何かがありそうな場所があったが、鍵がかけられていて中に入ることができない。ひとまず上に行って、仏像やチャムの仮面が安置されたカンギュル・ラカンを参観した後、外に出ると、
「お客さん、こちらへどうぞ」
と、下から僧侶に声をかけられる。行ってみると、先ほどは鍵がかけられていたガラス張りの扉が開けられている。「どうぞご参観ください」ということらしい。
中に入ると、薄暗く少しひんやりとした空気の中に、グル・リンポチェの像や千手観音像などが安置されている。
ダグプクという洞窟ラカン
天井や床が石になっていることに気づいた私は、僧侶に尋ねてみた。
「ここは――洞窟ですか?」
「そうです」
そう。ここはダグプクという洞窟ラカンなのである。道理で他よりも薄暗くてひんやりとしているはずだ。

ティクセ・ゴンパ(2度目)

2011年9月21日

午前5時すぎ、まだ真っ暗な中、宿を出て(チェックアウトは前日に済ませた)ジョカンの前に向かう。5時半に迎えの白いTOYOTAイノーバが来ることになっている。
ちょうど5時半。言われた通りの車が来たので近寄ってみたが、
「いや、私は1人のラダッキ(ラダック人)を迎えに来たのです」
とのこと。あれ?おかしいな、と思っていたら10分ほどして白いイノーバがもう一台来た。
「ストクへ?」
その通り。この車が正解だ。同じ車がこんな早朝のほぼ同じ時間に来るなんて、よくできた偶然があったものだ。

ストクに着く頃には辺りも明るくなっていた。先日お世話になった「にゃむしゃんの館」でもう1人の日本人・吉田さんをピックアップしていざ、本日の最初の行き先に出発である。

最初に訪れたのは、先日も訪れたティクセ・ゴンパである。この日は特別に朝のお勤めを7時から公開していたのだ。

この日は晴れていて先日よりもいい写真が撮れた。
201109210101.jpg

本堂では既に儀式が始まっていて、中ではお坊さんたちが着座して、時折楽器を鳴らしながらお経を唱えている。そしてその間を、小僧さんたちがツァンパ(麦こがしの粉末)とバター茶を着座しているお坊さんたちに給仕して回る。
201109210102.jpg

暫く読経が続いた後、その場にいた俗人の客たちが、ご本尊等にお祈りするよう促される。他の皆さんが手を合わせてお祈りをする中、私は先日このゴンパの大仏殿でやってすっかり慣れてしまったようで、ご本尊とダライ・ラマ法王の写真の前ではしっかりと五体投地をさせていただいた。

貴重なものを見させて頂いたが、これは今回のお出掛けでは前座に過ぎない。私たちは次の場所へ向かうべく、再び車上の人となった。

乗り合いタクシー

2011年9月17日

さて、チョグラムサルからレーに戻ることにしよう。

初めのうちは、バスで戻ろうとひたすら待っていたが、そのバスがなかなか来ないのである。
よく見ると、地元の人々はバスではなく、ワゴン車を停めては乗り込んでいく。

乗り合いタクシーだった。

彼らの様子を見ているうちに、私も大体要領が分かってきた。不特定多数の人が乗っているとみられるワゴン車に向かって手を挙げ、停まってくれたら乗り込めばいい。
しかも料金は、バスでチョグラムサル―レーを移動すれば20ルピーかかるところを、乗り合いタクシーなら10ルピーで済む。

教訓:
近距離移動なら、バスよりも乗り合いタクシーで

チョグラムサル

2011年9月17日

せっかくチョグラムサルに来たのだからここで見るべき場所も訪れてみることにした。

チョグラムサルとシェイの境目あたりに大きながあるというので、まずそちらへ向かってみた。しかし、この道は既にバスで2度通ったことがあり、それだけ大きなものだったら既に車窓から目にしていてもおかしくないはずである。それが今まで見られていないというのはどうしたことか。
実物を見て分かった。確かに大きな仏様が岩肌に彫られてはいるが、その姿の半分ほどが木陰に隠れていたのである。これではじっくり探さないと見つからないのももっともなことだ。
磨崖仏
仏教の“慈悲”に反する言葉とは分かっているが、敢えて言う。
お願いです。この木、切り倒してください。

今度は、チョグラムサルのレー寄りの端のほうへと移動する。
ここにあるのは、チベット難民キャンプ・ソナムリン ―― そう。中国共産党の迫害からヒマラヤを越えて逃れてきた本土チベット人たちのコミュニティである。ラダック人居住区の家屋の壁が日干し煉瓦の色そのままになっているものが多いのに比べ、こちらでは鮮やかな白に塗られているのが多いのは、ラダックと本土の文化の違いということなのだろうか。
チベット難民キャンプ
4年前に訪れた、インドのチベット難民コミュニティの中心であるダラムサラと比べると、空気がより穏やかでゆったりと時間が過ぎているようにも思われる。しかし、彼らにも祖国を去らざるを得なかったことへの苦悩が深く心に影を落としているはずだ。
チベット難民キャンプ
私という個人が、今ここで彼らの役に立てることは殆ど無い。あるとすれば、難民たちの手によるハンドクラフトの店で買い物をするぐらいか。

彼らに仏のお慈悲を、祖国への安全な帰還を・・・

ストクの朝

2011年9月17日

夕べから雨が気になっていたが、朝起きてみると頭の上は見事な青空。山には雲がかかっていたが、逆にその景色が美しかったりもした。

7時ごろからワンボに連れられて朝の散歩。まずは山の中腹にある集会所を開けてもらい、中の仏像などを見せていただく。
それから、山の更に上の、旗のある場所までプチ登山。まだまだ上り坂は息が切れるが、そこから見渡す四方の風景は、雪山あり、川あり、街あり、砂漠ありと、目をやる方向を変える度に姿を変えていく。
ストクの山の上から見えた風景

朝食におじやを頂いたところで、ストクの農村体験ツアーは終了。「にゃむしゃんの館」を後にする。
実にいい体験をさせていただいた1泊2日だった。また機会があれば・・・。

ストクには、ゴンパや宮殿もあり、2010年まではそちらにまでバスが通っていたのだが、現在ではレー ― ストクのバスの終着点であるトレッキングのチェックポイントから、ゴンパまで20分ほど、王宮までは更に20分ほど歩かなければならない。ワンボさんにチェックポイントまで送ってもらった後、私は突き当たりの道を右に曲がってまずはゴンパへと足を運んだ。

ストク・ゴンパは道から少し外れた所にある。かなり古ぼけているが、不自然に修復するよりはこの方が風情がある。
ストク・ゴンパ
本堂の扉には鍵がかかっていたが、2、3度と訪れているうちにお坊さんが現れたので扉を開けてもらった。一番奥には、ゲルク派の創始者であるツォンカパの像が ―― 何かあるような気がして粘ったのだが、予感は当たっていた。これが祀られていたのだ。

元の道に戻ってストク・カル(王宮)へ。まずまず立派な建物なのだが、近くに鉄塔が建ってしまい、それが入らないように写真を撮るのに一苦労した。
ストク・カル
ここは元はラダック王家の別荘だったが、1842年に王家が廃位となりレー王宮を出た後は王家の居城となる。しかし現在では博物館として公開され、王家の人々がここにいる様子は無く、年老いた高僧のほか数人の職員がいるばかりだ。

ここからレー方向に進んで最初にある街が、インダス川の東にあるチョグラムサルだが、先述したとおりバスは走らなくなってしまったのでそれ以外の手段で移動しなければならない。ヒッチ等も可能だったが、まだ十分時間はあるし、私は歩くことに抵抗が無い、と言うよりは、大好きである。私は歩いて向かうことにした。
しかし、目の前に見えているインダス川がなかなか近づいてくれない。時には道を外れて荒野の中をショートカットするなどして歩くこと1時間20分。ようやくインダス川に行き着いた。
インダス川
この川を渡れば、そこはもうチョグラムサルである。

ストクの農村生活

2011年9月16日

ちょっとレーの街中から離れて南に約15kmにある、インダス川西側の村・ストクへ赴く。ここで1泊して農村生活を垣間見るプランに参加したのである。

時計の針を9月12日に戻す。
朝食を買いにレーのジャーマン・ベーカリーを訪れた時のことだ。こんな貼り紙が目に入った。

伝統的古民家「にゃむしゃんの館」
日本人の皆様、レーの街の喧騒を離れ、静かな農村を満喫しませんか?  動物、素朴な人々、大自然があなたを待っています。

今回のラダック訪問で、農村訪問はぜひ実現させたいところだったが、どうすればいいのかが分からない状況だった。そんな私にとって、このプランは願ってもない好機だった。
早速、貼り紙に書かれていた「にゃむしゃんの館」経営者の日本人女性エツコさんにメールで連絡を取り、本日の訪問となった次第である。

時計の針を元に戻そう。

レーからストクへはバスで約1時間 。僅か15kmの距離だが、途中満員状態で田舎道を通るものだから、そのくらいかかってしまう。
知っていないとそれとは分からないトレッキングスタート地点の発着点に到着すると、エツコさんが出迎えにきてくれていた。小道を少し上ったところにある「にゃむしゃんの館」に案内された。

少し休憩をした後、まずは家の中を案内してもらう。最近になって一部修理されたとはいうものの、古き良きラダックの家屋の伝統をしっかりと引き継いでいる。
台所では、牛やゾ(ヤクと普通の牛とを交配させた牛の仲間)の糞を主な燃料として、鍋などを熱するばかりではなく、冷めたものを温め直したり洗濯物を放り込んで乾かしたりもできる機能的なかまど、バターを攪拌するための桶などを紹介してもらう。
201109160101.jpg

家屋の主な建築材は日干し煉瓦である。この日干し煉瓦、壊れたものは水で戻して煉瓦の間を埋めるセメント役として再利用できるという。天井は、間隔を空けて渡されたポプラの梁(縁起をかついで必ず奇数本)の上に柳(日本でイメージされるしだれ柳とは逆に、枝が上を向いている)の枝を隙間なく敷き詰めて造られている。使われなくなった家屋の建材を再利用するなど、全てに無駄が無い。

人が生活する場は建物の2階から上。1階は家畜小屋になっているのが一般的だ。というのは、家畜の糞が発する熱が階上に上昇することで天然の暖房になるのだという。

表に出て、大麦畑を案内してもらう。畑は緩やかな斜面になっているが、水路から導いた水は下から上に流れるように誘導されるという。
「今はもう大麦の収穫が終わってしまいましたが、ゴールデンウィークあたりに来たら歌を歌いながら種植えをする光景を見ることができますよ」
とエツコさん。なるほど、農村を訪れるにも適した時期があるということだ。この次にはぜひ、その時期を狙って行きたいものだ。

201109160103.jpg
近所の畑で刈り取られた大麦

その後、家から足を延ばして表に出てみる。
まず、山の中腹に案内される。ゴンパのような建物が建っているが、これはこの近辺の集落のコミュニティセンター的な施設だという。近くには精霊を祀ってあるという塚もある。
「写真を撮りに山に登ってみませんか?」
エツコさんが言う。インダス川の向こう側には、昨夜の大雨が山では雪となったのか、昨日よりも雪を頂いた山が増えたようにも思われる。しかし、生憎の曇り空で雪山はその頂を覆い隠されており、今山の上に登っても余りいい被写体にはならないように思われたので、わざわざ体力を消耗するようなことはやめておいた。

その近くにあるチョルテン内部に入ってみると、11世紀前後のものといわれる仏画が壁一面に描かれていた。拝観料も何も無しでこれだけのものを見られるというのはなかなかの穴場だ。ちょっと得をした気分である。

更に村落から離れると、荒涼とした砂漠地帯に入った。夜になると凶暴化して家畜を襲ったりすることもある“ラダックのギャング”野犬や、僅かな牧草地帯で放牧されているゾの群れを見ることもできる。
「塚が見えますよね ―― あれ、お墓です」
確かに、まばらではあるが幾つかの塚を見ることができる。縦長のものや横長のものがあるが、縦長のものは以前遺体を座らせた状態で火葬したもの、横長のものは最近になって遺体を横たえて火葬するようになった後のものだという。
(ちなみに、チベット本土で今なお行われている鳥葬は、ラダックでは全く行われていないという)
近くにある水場には、牛やゾの白骨が転がっていた。こちらは家畜の墓場となっているようである。

「チョグラムサルの向こうを見て下さい。建物が全く無い場所があるのが分かりますか?」
インダス川の向こうを指差しながら、エツコさんが言う。
「昨年の洪水で、あのあたりの家が全部流されてしまったんです・・・」
のどかな場所とはいえ、やはり自然環境の厳しさがラダックの現実。その自然環境と共存し、時には闘いながら、人々は生きているのである。

夕方からはエツコさんの夫・ワンボさんのご家族の家へ行って牛の乳搾りやニンジン・リンゴ等の収穫の様子を見せていただいたほか、細長い筒を使ったバター茶作りの実演も見せていただいた。なお、ここの家で買われているゾは角が立派で、この家の「家宝」と言っても差し支えないかもしれない。
201109160104.jpg

にゃむしゃんの館に戻り、午後8時から夕食。小麦やジャガイモをふんだんに使ったラダックの家庭料理「スキュー」を頂く。

それから就寝までは、エツコさんたちとラダックの旅やチベットのことについて話に花が咲く。エツコさんはチベット文化がラサよりも残っているアムドやカムに、ワンボさんは巡礼のためにラサに行くのが夢だという。
「チベットの大地へ」を1冊お買い上げ頂いた。これでまた、お2人のチベット行き願望にまた火がつくか(笑)。

※ ちなみに2011年現在、ストクへのバスは観光名所のストク・ゴンパやストク・カルには行かなくなっている。

シェイ

2011年9月15日

次の目的地は、レー方面へ戻った場所にあるシェイである。ニャルマからは5kmほどしか離れていないので、私は高地順応のためもあって歩いて向かうことにした。

ティクセを通過し、途中で何度も足を止めて写真を撮りながら歩いても、最初の目的地はニャルマを出発してから1時間15分ほどで見えてきた。シェイタン・チョルテン群である。

トルコのカッパドキアに例えるべきかベトナムのハロン湾に例えるべきか――褐色の大地の上に、白いチョルテン(仏塔)が遥か向こうの山際まで無数に林立している。これだけたくさんあると、これらの仏塔は実は墓で、ここは墓場なのではないかという想像すらしてしまう。
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チョルテン群から更にレー方向へ500m。今度はシェイ・カル(王宮)が右手に見えてくる。表に見える王宮には入ることはできず、王宮に覆われるようにして建てられているシェイ・ゴンパ(僧院)のみ中を参観することができる。
正直なところ、規模、外観、内部全てにおいてティクセ・ゴンパには及ばない。ティクセよりもこちらを先に見た方が或いは正解かもしれない。しかし、唯一拝観料(20ルピー)を取る大仏殿ではティクセ・ゴンパのものにも劣らない金色の大仏を拝むことができる。また、別棟では暗闇の中、幾つものチューメ(バターランプ)が灯されていて神秘的な雰囲気を醸し出している。
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この日は上ラダックでもう一箇所行きたい場所があったのだが、ティクセ・ゴンパで予定以上に長居をし、ニャルマで少し場所が分からなくなったために時間が無くなってしまった。しかし、まだ日程は余裕があるのでまた次の機会に行くことにしよう。

ニャルマ

2011年9月15日

ティクセ・ゴンパから1km弱南へ行ったところで左のわきに入ると、小さな白色のチョルテン(仏塔)がずらりと並び始めている場所に行き当たる。
小さな白色のチョルテンが並ぶ

そのチョルテンの列に沿って歩いた先にあるのが、1000年以上前に創建されたニャルマ・チョスコル・ゴンパである ―― いや、今となってはニャルマ・チョスコル・ゴンパ“跡”と言った方がいいかもしれない。なぜなら、そこにあるのは辛うじて痕跡が残っている主要建造物の跡を除けばほぼ全面的に瓦礫の山と化しているからだ。
ニャルマ・チョスコル・ゴンパ
ラダックのチベット仏教史上極めて重要な地であることは間違いないだろうが、当時の面影を思い浮かべることすら困難な今の壊れぶりを見ていると、寂しさと言うよりは悲しさすら沸き起こってくる。

ティクセ

2011年9月15日

今回最初に目指したティクセはレーから南東へ約20kmの場所にある。バスは途中で客を乗降させながらも1時間足らずで到着した。

ティクセでの目当ては、隣町を出てすぐに目に入ってくるランドマークであるティクセ・ゴンパだ。
正面からその姿を見た瞬間 ―― 一目惚れをしてしまった。チベット本土のポタラ宮と瓜二つなのだ。レー王宮も形はポタラ宮と似ているが、色がほぼ褐色のみである。それに対し、ティクセ・ゴンパは赤・白・黄色とポタラ宮とほぼ同じ配色で、ポタラ宮よりもむしろ色鮮やかなくらいだ。
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近くで朝食をとった後、早速上ってみる。
その途中、何か部屋のようなものがあったので入ってみると、教室が幾つか並んでいて、中には小僧さんたちがいる。学校だった。
「ここは入っちゃダメだよ!」
小僧さんに言われて入り口の貼り紙を見ると、確かに「ここは学校です。参観者の入場はご遠慮ください」と英語で書かれている。
おっと、これは失礼しました――と外に出たところ、小僧さんの1人が着いてきて「Photo!」と写真をねだってくる。聖職者の卵とはいえ、まだまだ子どもなんだな、とほほえましく思いながら写真を撮ってあげると、今度は「カメラを貸して」と言ってくる。貸してあげると、私の写真や周りの写真を撮り始める。
と、更に2人の小僧さんが出てきて、カメラの奪い合って互いの写真を撮り始めた。しかもバシャバシャと遠慮なく連写する始末である(デジタル一眼だったからよかったが、フィルムカメラだったらたまったものではなかった)。おまけに持ち方が危なっかしく、いつ落としてもおかしくなかったので私は下から必死でカメラを支えなければならなかった。

まさしく好奇心の塊だが、かのダライ・ラマ14世も幼少の頃には好奇心の塊で時計を分解したりなさっていたという。もしかしたらこういう好奇心が、偉大な高僧を産み出す要因となるのかもしれない。

満足した小僧さんたちからカメラを奪い返し、いよいよゴンパ内部へと入る。入場料30ルピー也。
本家ポタラ宮と比べれば部屋数こそ少ないものの、まずまず多くの部屋があり、それぞれに仏像やダライ・ラマ14世をはじめとした高僧の写真が安置されていた。
「ジュレー ※1
「ジュレー」
私は一つの部屋の前にいた僧侶に声をかけた。
「きれいなゴンパですね。ポタラ宮そっくりです」
「そうですね」
そんな話をしている間に、話題はそこに描かれていた壁画へと移った。
「この壁画は“The Cycle of Life”を表しています」
「“The Cycle of Life”――日本語では『輪廻』といいます」
「『リンネ』?」
「はい!」
今後、このお坊さんが日本人を相手にした時、「この壁画は『リンネ』を表しています」とか説明するかもしれない。
更に話題は、ゴンパから見下ろす景色へと移った。
「あそこに川が流れているでしょう? あれはチベットから流れ出ているインダス川です」
「そうですか――それにしても、川の近くと遠くとで色が全然違いますね」
そう。インダス川のほとりは緑が生い茂っているのだが、ある一線を境にして突然、ラダックの大地は荒涼とした褐色の砂漠へと姿を変えているのだ。
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その水と緑の風景は、さながらオアシスである――否、“さながら”ではない。
インダスの川の流れはまさしく、乾燥したラダックにとって「オアシス」そのものなのだ。

ゴンパの中を右回りに「コルラ」する形で、仏様に祈りを捧げつつ部屋という部屋を回り、いよいよ最後の大部屋を残すのみとなった。
「うわ…」
中を覗いた瞬間、嘆声が口をついて出た。
そこには、下の階から床を突き出て肩から上を見せている金色の大仏(チャンパ大仏、弥勒大仏)の姿があったのだ。
高さは実に15m。このゴンパで見てきた全ての仏像の印象をかき消してしまうかの存在感だった。もはや、それらの仏像に対してやってきたのと同じ祈り方では全く足りなかった。私は、チベット仏教に関心がありながら普段は殆どやらない五体投地 ※2 を、その大仏の前で2度、3度と繰り返していた。
201109150204.jpg

兎にも角にも、素晴らしいゴンパだった。これまでのところ、ラダックで訪れたゴンパの中では最高のインパクトを受けたが、チベット本土で訪れたゴンパを含めても5本の指に入るのではないだろうか。
今後、ラダックで幾つものゴンパを見ることになろうが、ティクセ・ゴンパと比べてもの足りなさばかり感じてしまわないか、少々心配だ。


※1 ジュレー…ラダックの言葉で「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」等、いろいろな意味で使われるあいさつの言葉。
※2 五体投地…合掌した手を頭上から3段階で下ろした後、地面に体をひれ伏す方式の祈り。

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