バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ネパール(2012年)

パシュパティナート、チベット難民キャンプ ~ネパール人の“終の場所”とチベット難民の行き着く場所

今度の移動距離は比較的短かった。ボダナートと同じくカトマンズ東側の、空港近くにあるパシュパティナートが次の目的地である。
怪しげなサドゥーたち
怪しげなサドゥーたち
ここも、5年前に訪れたことのある場所だった。ガンガー(ガンジス川)支流であるバクマティ川の岸辺に建つヒンドゥー寺院で、川辺は、インド・バラナシのガンガー本流と同じように火葬場になっていて、言わばネパール人の“終の場所”だ。

寺院はヒンドゥー教徒以外立ち入り禁止で、私たち異教徒は川向かいの高台に上って寺院と川辺の火葬場の様子を眺めることになる。
野生のサルや怪しげなサドゥー(ヒンドゥー教の行者)がたむろする坂道を上って、高台に上がる。目の前に、金色の屋根を頂く寺院本堂がくっきりと見えるが、私たちの視線は専ら、その一段下にある川岸に集中していた。
ある場所では遺体が運ばれて葬儀の準備が始まり、ある場所では今まさに火葬が行われていて燃え盛る炎から煙がもうもうと立ち込めている。葬儀を見守る人々の様子も見て取ることができ、時折遺族の嗚咽の声が聞こえてくる。ここまでワイワイ賑やかにやってきた仲間たちも、さすがにこの光景は神妙な顔つきで眺めていた。
立ち上る煙を見て、多くの日本人は、死者が煙とともに「天に召される」と考えるかもしれない。しかし、ここでは火葬した後の遺骨は川に流されるので、“天に召される”と言うよりは“大地に還される”と言った方が適切だろう。(これは、以前インド・バラナシのガンガーほとりで火葬の様子を見ていた時にも頭をよぎったことだ)

パシュパティナート
パシュパティナート。手前の川辺が火葬場
パシュパティナート
火葬の煙が絶えることは無い

日本語には「天に召される」という表現の他に「土に還る」という表現もあるが、今の日本で実際に「土に還る」埋葬方式が採られることは少ない。しかし、(実際に鳥葬は見たことが無いものの)チベット文化に触れ、インドやネパールでの葬儀を目の当たりにした私は、いつか自分にも訪れるであろうその時には、自分を育んでくれた大地にこの身を“還す”ことができればと、最近思い始めている。

カトマンズの周りを南→西→北→東とコルラ(仏教の聖地を時計回りに歩く巡礼)する形でぐるりと1周して、朝出発したパタンに戻る。とはいえ“巡礼”が終わった訳ではない。今回のネパール訪問で私がHappy Home以上に訪れたいと思っていた場所の前で、車は停まった。
パタンのチベット難民キャンプ
パタンのチベット難民キャンプ
案内人のゴビンダが言う。
「ここは、チベット難民キャンプです」
見覚えのある場所だった。ここは中華民国、チベット、ウイグル、南モンゴルの領土を不当占拠するカルト集団・中国共産党の侵略、弾圧から命がけのヒマラヤ越えで逃れてきたチベット難民たちが住む居住区である。
今回の参加者に、中共によるチベット侵略を不快に思わない者は誰一人としていない(と言うか、常識的な人間であれば不快に思って当然である)。折悪しくこの日は(前回同様)中に入れない土曜日だったが、先程のパシュパティナートの時と同じように、誰もが神妙な表情でこの場所を見つめていた。
この地がチベット難民たちの“終の場所”になるという事態は絶対あってはならない。チベットが凶悪な侵略者の支配から逃れ、難民たちがダライ・ラマ法王ともども祖国に帰還できる日が1日でも早く訪れんことを。

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