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世界への旅(旅行記)

スリランカ、インド

シーギリヤ-1 ~雄大な岩山の血塗られた歴史

2015年4月30日

ダンブッラの寺院からオートリキシャでダンブッラのメインバスターミナルへ。ちょうど次の目的地シーギリヤへのミニバスが待機していたのでそれに乗り込む。
ダンブッラ中心街からシーギリヤまでは約17km。宿泊予定地は終点より手前だったので、ゲストハウスの名前を車掌に告げてそこで下ろしてもらった。
Palitha Home Stay
Palitha Home Stay
私が予約したPalitha Home Stayは、幹線道路から樹木の生い茂る小道に入って2分ほど歩いた場所にあった。平屋建ての小じんまりとしたゲストハウスで部屋は2つだけ。ファミリー経営のアットホームな宿だ。食事がおいしいと評判なのだがこの日は生憎ホスト一家が所要で留守となり、夕食は外になってしまった。
宿に到着したのは14時。名所シーギリヤ・ロックは翌朝にでも行こうかと考えていたのだが、今から行っても閉園時間の17時までには参観を終わらせることができそうだ。
「シーギリヤ・ロックには歩いて行ける?」
宿の少年に訪ねてみた。
「メインストリートに出て左へ暫く行ったら、ジャングルを抜ける道があります。そこを歩けば20分で行けますよ
20分? だとしたら、今から行けば2時間は参観することができる。十分いけるのではないか?
急遽予定変更。私は急いで支度をして、この日のうちにシーギリヤ・ロックへ向かうことにした。
シーギリヤ・ロックへ向かうソーコッタ・ロード入り口
シーギリヤ・ロックへ向かうソーコッタ・ロード入り口

幹線道路を暫く歩くと、「SIGIRIYA Main Entrance(Only for foreigners)」と書かれた看板に行き当たった。矢印の方向を見ると、確かにジャングルを切り裂くように開かれた、赤土むき出しの道路が延びている。これが先ほど少年が話していた道で間違いないだろう。
ところで、「外国人専用入場口」という看板の文言だが、この「外国人専用」というのが曲者だ。実は、シーギリヤ・ロックの入場料は、スリランカ人なら50ルピーで済むのだが、外国人の場合、30米ドル(3900ルピー)と、何と78倍もの差があるのだ。かつては大陸中国あたりでも外国人料金はあったが、ここまでの格差は無かった。幾ら文化財保護目的だとはいえ、この値段は高すぎる。
さて、ソーコッタ・ロードというこのジャングルを抜ける道を進み、次の交差点で右に曲がると、目の前にあるのはもうシーギリヤ・ロックの入り口だ。少年が言っていた通り、20分で到着することができた。

メインの岩に行く前に、入場口近くにあるシーギリヤ博物館を参観してみた。入り口にあるプレートによると、ここの展示機材は日本から提供されたものらしい。時間の都合で急ぎ足の参観になってしまったが、出土品や有名な壁画のレプリカなど、見応えのある展示の数々を見ることができた。

そして、高いと言わざるを得ない入場料を支払ってエントランスをくぐると、目の前には… シーギリヤ・ロック
シーギリヤ・ロック

シーギリヤ・ロック

それまではスリランカというと紅茶と上座部仏教と内戦(2009年に終結)のイメージしかなかった私を突然、スリランカ行きに駆り立てた張本人こそ、この山の上の巨大な岩盤だったのだ。それだけに「ついに来た」という感慨はひとしおだった。
噴き出したマグマが固まってできた岩だということだが、私にはどうしても、雲をつくような巨人が「よっこらしょ」とこの岩を持ち上げて山の上に載せている様子が想像できてならない。
ちなみに、岩はエントランスから見て東側にあるので、午後に来たおかげで順光のいい写真を撮ることができた。予定通り翌朝に行っていたら逆光の写真しか撮れなかったはずなので、意外なところで予定変更が吉と出た。

ここで、シーギリヤ・ロックにまつわる歴史物語を紹介しよう。

時は5世紀。シンハラ王朝のダートゥセーナ王にはカシャパ(カーシャパ、カッサパ)とモッガラーナという息子たちがいた。母が平民出身のカシャパは、母が王族の弟モッガラーナに王位継承権を奪われることを恐れてクーデターを起こし、父を捕らえ弟を追放した。王位を奪ったカシャパ(カシャパ1世)は父に全財産をよこすように迫るが、「貯水池が全財産だ」と言われて逆上し、父を殺してしまう。モッガラーナの報復を恐れたカシャパ1世はそれから逃れるようにしてシーギリヤ・ロックの上に宮殿を造り、そこで自ら手にかけてしまった父の供養の日々を過ごす。しかし11年後、カシャパはモッガラーナの進攻を受け、自害する。

雄大で美しくも見えるシーギリヤ・ロックだが、そんな血塗られた歴史があったのだ。

さあ、いよいよこの岩山にチャレンジだ。
岩へ向かう参道の途中で偶然会った日本人男性(私以上の弾丸日程でスリランカを訪れていた)と暫くは話をしながら歩くが、上りに差し掛かるとつい血が騒いでしまい、独りでずんずん先へ進んでしまった。

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