バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

スリランカ、インド

シーギリヤ-3 ~岩の上の宮殿跡

2015年4月30日

シーギリヤ・レディやミラー・ウォールを経て辿り着いた広場ライオンのテラスは、「ここからが本番」の言わば中間地点だった。目の前には、シーギリヤ・ロックの狭い方である北側面が岩肌を見せている。「狭い方」とは言っても、それでも150mもあるのだから半端ない大きさだ。(ちなみに長辺は200mほど。岩盤の厚さも200m近くある)

そびえ立つシーギリヤ・ロック
そびえ立つシーギリヤ・ロック

岩の一番下には巨大なライオンの左右前足が刻まれている。古くはライオンの頭も刻まれていたらしく、岩全体がライオンの姿で敵=モッガラーナ王子を威嚇していた格好だ。
その左右前足の間が「ライオンの入り口」。そこをくぐると、その先は“天国への階段”だ。ほぼ垂直な岩の側面に設置されたつづら折りの階段を左へ右へと上っていくのだが、ライオンのテラスから頂上までの高低差は60mほど(推定)。勾配はきつく、一歩歩くごとに息が上がり、暑い夏の昼下がりなので汗も噴き出る。気分が高揚するとついオーバーペースになってしまう悪い癖も出てしまい、この階段を僅か5分程度で上ってしまった私は、頂上につく頃には息絶え絶えになってしまっていた。
シーギリヤ・ロックの王宮跡
王宮跡

岩の上にあるのが、カシャパ(カーシャパ、カッサパ)王が造営した宮殿の跡だ。
階段を上り切って到着したのが、岩の上でも一番標高の高い場所だった。やはりと言うか、王宮跡はそのシーギリヤ・ロックの一番高い場所に座していた。しかし当時のカシャパ王は、この場所から国を見下ろすと言うよりも、モッガラーナの進攻を恐れて下界に目を光らせていたのだろう。

王宮跡から先は、下り坂だ。一段下がった場所には住居跡、ダンスホール跡など、高地に人が暮らしていた痕跡がありありと残っているその光景は、以前ペルーで見たマチュピチュを想起させるものがあった(マチュピチュほどに保存状態は良くないが)。
中でも目を引くのが、「王のプール」。天然の水源と言えば雨しか考えられないこの岩の上にこれだけ大きなプールがあるというのが何とも不思議に思える光景だ。

シーギリヤ・ロックの遺跡
シーギリヤ・ロックの遺跡
王のプール
王のプール

そして、ここで見るべきは岩の上ばかりではない。周囲を見渡すと、緑のジャングルに360度囲まれている。日本では見られない熱帯の風景が見事だ。
想像の翼を広げて、逆側からこのシーギリア・ロックを眺めた様子を思い浮かべてみる。うっそうとした樹海の中に突如この巨大な岩山が浮かんで見える光景は、自然が織り成した奇跡としか言いようがない。

シーギリヤ・ロックの周囲は360度ジャングルだ
シーギリヤ・ロックの周囲は360度ジャングルだ

ジャングルという“隔絶”。
岩の上という“隔絶”。

この2重の“隔絶”が、復讐を恐れるカシャパ王をこの地に招いたのだろう。

歴史と自然のロマンを体いっぱいに浴びて、暑さにへばりつつも、心地良い余韻を胸に下界に戻る。

一旦は宿に戻ったのだが、思い直して再びカメラ片手にシーギリヤ・ロックの近くに寄ってみた。
時刻は午後5時半すぎ。運が良ければもう少しで「あれ」が見られる時間だ。
そして、午後6時10分――その時は来た。
空が、シーギリヤ・ロックが、みるみるうちにピンク色に染まっていく。
夕日に染まるシーギリヤ・ロック
夕日に染まるシーギリヤ・ロック
夕焼けだ。
スリランカに入国して最初に見た光景が朝焼けだったので、もしかしたら見られるのではないかと思っていたが、ビンゴだった。素の姿だけで十分神秘的なシーギリヤ・ロックがそれに輪をかけて神秘的な姿になる瞬間だ。

陽が落ちた後、シーギリヤの中心街にある小さな食堂で夕食をとる。偶然隣の席になったアジア系の若い男性は、偶然にも一人旅の日本人だった。
ゴールデンウィークだったこともあって、今回の旅の最中、日本人ともちょくちょく遭遇したが、この日はダンブッラで、シーギリヤの参道で、そしてここでと3回も日本人と遭遇した。また、ライオンのテラスでは日本人を案内して来たという現地ガイドにもお会いした。そして、私自身も含めて共通していたのは、いずれも大人数の団体客ではなく1人~2人の個人客だということだ。
大掛かりなツアーには至らないがそこそこ日本人にも人気が出ている――スリランカは今、日本人旅行者にとってそんな立ち位置にあるような印象を受けた。

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