バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

スリランカ、インド

デリー-2 ~チベット難民居留地・マジュヌカティラ

2015年5月6日

次の目的地までは、レッド・フォートから約6km。ニューデリー駅に下り立ってからここまでずっと歩いてきたが、さすがに今回はメトロを利用することにした。
取りあえずオールド・デリー駅まで行けばメトロに乗れるだろうと思い、チャンドニー・チョークという道を西へ進む。ここはオールド・デリーらしい混沌にあふれた繁華街だ。歩道は人で溢れ、車道は主にリキシャで溢れていて、両脇には商店が賑わいを見せている。また、ジャイナ教の寺院あり、キリスト教の教会あり、シーク教の寺院あり、イスラム教のモスクあり、勿論ヒンドゥー教の寺院もありと、インドの主要な宗教の寺院が並んでいて、まさにインドの縮図といった様相だ。

チャンドニー・チョーク
チャンドニー・チョーク
オールド・デリー駅
オールド・デリー駅

タウン・ホールのところで右折して、マハトマ・ガンディー公園を横目に見ながら北へ進んだ先に、レッド・フォートを意識したかのような赤い駅舎のオールド・デリー駅が見えてきた。さて、メトロの駅はどこだろう ―― よく分からなかったので人に尋ねながらようやく地下への入り口を見つけた。しかし、その駅の名は「デリー」ではなく「チャンドニー・チョーク」 ―― 先ほど歩いていた道の名前ではないか。どうやらここまで来る途中のもっと手前に駅の入り口はあったらしい。

メトロに乗って、下車したのはビダン・サブハ駅。ここから目的地まではリキシャが便利ということだったので、地上に出て客待ちをしているサイクルリキシャに近づくと、リキシャワラーが私を一目見ただけで行き先を見抜き「乗りなよ!」と呼びかけてくる。
サイクルリキシャで10分弱ほどで、ヤムナー川のほとりにある目的地の入り口に到着。そのゲートには、こう書かれていた。
チベット難民居留地・マジュヌカティラ入り口
マジュヌカティラの
チベット難民居留地入り口
TIBETAN REFUGEE COLONY
即ち、チベット難民居留地である。私が来たのはマジュヌカティラと呼ばれている地区だが、ここには中国共産党によって不当に侵略・支配され弾圧を受けているチベット本国から難を逃れて流れ着いてきたチベット難民たちが首都デリーで生活を共にするコロニーがあるのだ。
この時私は、ここへ来るまでにもFree Tibetの気持ちを高めようと、チベット国旗・雪山獅子旗をあしらったTシャツを着ていた。だから先ほどのリキシャワラーも、私を一目見て行き先を見抜いていたのだった。
実は、この地区に来ること自体は初めてではなかった。2007年2011年に、チベット亡命政府のあるインド北部のダラムサラからデリー行きの夜行バスに乗った時、その終着点としてマジュヌカティラの地を踏んだことが2度あったのだ。しかしいずれの時も居留地の中まで入ることはせず、そのままメイン・バザールに直行してしまっていた。
この次こそはきちんと訪問したいと思っていた私は、デリーでの飛行機の乗り継ぎ時間が15時間もあるこの機会に、今回のインド入国の最重要課題としてマジュヌカティラを訪問しようと決めていたのだった。
ゲートをくぐってすぐに、小さな寺院が2つ並んで建っていた。寺院の周りにはマニ車も設置されていて、チベットの人たちは本国にいる時と同様に(宗教の自由が保証されているという意味ではそれ以上に)チベット仏教の信仰にいそしむことができている。
チベット難民居留地・マジュヌカティラ入り口
マジュヌカティラ入り口近くの寺院
一方の寺院にはダライ・ラマ14世の写真が掲げられていた。法王様を目の敵にする中国共産党が不当に支配している本国では見られない光景だ。
もう一方の寺院には「Pray for Nepal(ネパールに祈りを)」というポスターが貼られていた。この日の僅か11日前、首都カトマンズを中心としたネパールで大規模な地震が発生し、甚大な被害をもたらしていた。チベット人にとってネパールは、チベット本国にあってもここインドにあっても隣国であり、チベット同様にチベット仏教が信仰されている国であり、そしてインド同様多くのチベット難民が住んでいる国である。心を寄せずにいられるはずもない。仏教の民らしい慈悲の表れだ。
さて、時刻は間もなく午後1時。どうせならここでチベット料理の昼食を取りたいと思って、お昼時に着くように調整して来たのだ。街中を歩いて見つけたツォ・ペマというレストランに入り、モモ(チベットやネパール式の餃子もしくは小籠包)、トゥクパ(チベット式うどん)、バター茶という、チベット料理の王道とも言うべきメニューを頂いた。
モモとトゥクパとバター茶
モモとトゥクパとバター茶

食後暫く、マジュヌカティラの街中を歩き回ってみた。
所狭しと建物が並んでいて、道は狭く、自動車が入ってくることはできない。バイクが停めてあるのを時々見かけたが、街中の移動の基本は徒歩だ。狭い路地の両側には商店や露店が並んでいて、食料や日常生活品のほか、訪問客をターゲットにした土産物が売られている。
そして、中国共産党支配下のチベット本国では即逮捕となってしまう、ダライ・ラマ法王の写真、チベット国旗、Free Tibetの文字が何の遠慮もなく掲げられている。ここには確かに、チベット本国には無い自由がある。
しかし、言うまでもなくここはチベットではない。街中の看板にはチベット語よりも英語が目立ち、道行く人々はチベット人ばかりでなくインド人の比率も比較的高い。
マジュヌカティラの街中
マジュヌカティラの街中
以前ダラムサラで感じたことと同じだった ―― やはりここも、借り物の地にすぎないのだ。亡命チベット人にとっては、自由を享受できる喜びよりも、祖国の置かれている状況と、その祖国を離れざるを得ない状況に対する苦悩の方が遥かに大きいに相違ない。
そんな所に、幾らチベットに思いを寄せているとはいえ、1人の外国人が単独で、しかも日帰りで訪れて、何ができると言うのだろうが。レストランで食事をして、土産物を買って、僅かばかりの金を落として行くことしかできなかった。

―― 何が、「この次こそはきちんと訪問したい」だ。
これでは到底、「きちんと訪問した」うちに入らないではないか。

リキシャで居留地を後にした私の胸には、悔しさばかりが溢れていた。
この次来ることがあれば、何ができるかをもう少し考えて来た上で、もう少し腰を据えて滞在してみたい。

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