バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

フィンランド国旗フィンランド

フィンランド地図

概要

ヨーロッパ北部(北欧)のスカンジナビア半島付け根に位置する国。西にボスニア湾、南にフィンランド湾に面している。北部ラップランドのロヴァニエミには66度33分線が通っていて、そこから北は北極圏である。

紀元前から南にフィン人、北部にサーミ人の祖先が住み、ゲルマン文化の影響を受けながら発展する。
中世に入ると、8~11世紀にかけてスウェーデン、ノルウェー、デンマークが国家を形成する中、フィンランドでは国という形では纏まらなかった。
西からスウェーデンがカトリックを、東からノヴゴロドがギリシャ正教を布教してきたが、12世紀、この両国の間でスウェーデン・ノヴゴロド戦争が勃発し、フィンランドもこれに巻き込まれる。同戦争が終結し、1362年、フィンランドはスウェーデン国王を選出する地区の1つとなり、スウェーデンに同化されていく。そして、スウェーデンとロシアに挟まれる位置にあるフィンランドは両国の緩衝地帯としての宿命を負わされていく。
1808年、ロシアとスウェーデンとの間でフィンランドを巡るフィンランド戦争が勃発し、ロシアが勝利。フィンランドはロシアのアレクサンドル1世をフィンランド大公とする立憲君主制の大公国となった。次のロシア皇帝アレクサンドル2世の時期には、フィンランド人は「自由の時代」を謳歌し、民族的基礎を築いていく。
しかし19世紀後半、ニコライ2世の時期には自治権が剥奪され、ロシア化が進められていくが、逆にフィンランド人は民族意識を強め、20世紀初頭、第一次ロシア革命が起こるとニコライ2世はフィンランドの自治権廃止を撤回する。
1917年、フィンランドは独立を宣言するが、有産階級と労働者階級の間で内戦が勃発。白軍が勝利するも今度は王党派と共和派に分裂。総選挙で共和派と社民党が勝利すると、フィンランドは共和国としてパリ講和会議で認知される。
第2次世界大戦ではロシアと争って多額の賠償金を負わされ、更にナチス・ドイツに接近したことにより敗戦国となる。
戦後は独自の努力と中立国スウェーデン人からの援助によって復興を進め、東西冷戦では中立を保つ(ノルディックバランス)。福祉国家建設を進め、人口1人当たりのGDPが世界一になるまでに成長する。1995年、欧州連合(EU)に加盟。

かつては農業と林業が中心だったが、近年はITなど工業部門が盛んになってきている。

気候は亜寒帯湿潤気候に属し、北極圏に近い(一部国土は北極圏内)ため、夏季は太陽の沈まない白夜、冬季は太陽が一日も昇らない極夜の時期もある。

人口約530万人、面積338,400平方km。首都はヘルシンキ。
通貨はユーロ。民族はフィン人が92%、スウェーデン人が5.5%、サーミ人が0.1%、ロマ人が0.1%。公用語はフィンランド語(93%)、スウェーデン語(6%)。英語もよく通じる。宗教はフィンランド福音ルター派教会が多数。日本との時差は-7時間(サマータイム時は-6時間)。
コンセントの形状はC C

ビザ(日本人の場合)
以下の要件を満たした有効なパスポートを持った日本国籍の方がフィンランドを含むシェンゲン協定加盟国に入国する場合は、ビザの取得は免除。
  • シェンゲン協定加盟国からの出国予定日から3ヵ月以上あること。かつ、パスポートの発行日より10年以内であること。また、パスポートの未使用ページが2ページ以上あること。
  • 滞在期間があらゆる180日の期間内で最大90日間であること。
日本からのアクセス
成田、関西、中部、福岡から直行便あり。
主な都市・観光地(青字は到達済み)
ヘルシンキ、エスポ―、ヴァンター、タンペレ、ハメーンリンナ、トゥルクナーンタリ
ユヴァキスラ、サヴォンリンナ、ヨエンスー
オウル
ロヴァニエミイヴァロサーリセルカ
リンク
当旅行記の該当部分

※リンク先ページの[前][次]はエリア別ではなく「時期順」モードのものです。

フィンランド、スウェーデン

ヘルシンキ-1~漆黒の夕方
ロヴァニエミ-1~サンタクロース村
ロヴァニエミ-2~ラップランド一の都会
ロヴァニエミ-3~オーロラ遥か遠く
ロヴァニエミ-4~アルクティクム博物館
ロヴァニエミ-5~オーロラ遥か遠く(2)
サーリセルカ-1~北極のリゾート地
サーリセルカ-2~オーロラ遥か遠く(3)
サーリセルカ-3~トナカイのそりに乗って
ナーンタリ、トゥルク~ムーミンの島(冬は上陸不可)とフィンランドの古城
タンペレ~ムーミン美術館
ヘルシンキ-2~漆黒の朝を散歩
ヘルシンキ-3~スオメンリンナ島
ヘルシンキ-4~最後の街巡り、最後のオーロラチャンス

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