間もなく帰国へ

現在、リマのセントロ(旧市街)。

昨日、ナスカからここに移動したのだが、一昨日のナスカにて、ナスカ・ライン(日本では『ナスカの地上絵』といわれている)はセスナの上からくっきりと見ることができた。

ここで、私のテンションはピークに達した。

[これで、旅を終わらせてもいい・・・]

それは、今回の旅に対してばかりではない。
2007年のアジア周遊の旅が終わった後、「旅の終わり」という気がしなかったあの時から続いている宙ぶらりんな気持ちに、ようやく一区切りつけることができそうなのだ。
――多分。

いずれにせよ、あと14時間ほどで帰国の便に搭乗することになる。
充実した旅となったが、もう少し、ここリマを巡ることにしよう。

詳細については、帰国後に連載予定の旅行記をお待ちいただきたい。

チチカカ湖

先日も書いたように、プーノはチチカカ湖に抱かれた街だ。
9月22日、一日かけてチチカカ湖巡りのツアーに参加する。

まずはプーノからすぐ近くのウロス島を訪問。「島」とはいってもトトラという葦を利用した人工的な浮島の総称である。ここにはきちんと人が暮らしていて、チチカカ湖の恵みを受けながらスローライフを営んでいる。

そして、沖にあるタキーレ島へ。移動に時間がかかったが、それでも地図上で見ると湖全体の6分の1程度を進んだにすぎない。
タキーレ島から望むチチカカ湖の景色は圧巻だった。これまで私が見たことのあった中で最大の湖はチベットのココノール湖(ツォ・ゴンポ。中国偽名は青海湖)。チチカカ湖はその2倍近くあるというが、もっと広いようにも思われた。また、これまで見た中で最も青かったのは同じくチベットのヤムドク湖やナムツォだったが、そのいずれよりも青く感じられた。
上記チベット諸湖はいずれも神聖視されていて船でクルーズということができなかったのに対し、チチカカ湖では(ゆかりの神話はあるのだが)船での航行がOKだったおかげで身近に感じることができたのも、この湖に対する感慨を増幅させてくれた。
そして、プーノとは反対側のはるか向こうに見える雪山――あそこはもうボリビアなのだ。

スケールといい美しさといい風情といい、これまで見た中で断トツの湖である。気がつけば、マチュピチュを訪れた時よりも沢山の写真を撮っていた。

プーノ

マチュピチュを訪れて十分満足したところで、クスコからプーノへと移動。

バスで7時間少し南下(とはいっても標高はむしろ上がった)し、最後の山を越えたところで、プーノの街とその背後に横たわる広大な湖が見えてきた。
チチカカ湖――ペルー・ボリビア2カ国に跨る国境の湖である。

チチカカ湖

バスを降りて宿を定め、旅行社で翌日以降のスケジュールを定めた後、早速、チチカカ湖を望むことができる高台を求めて歩き回った。
しかし、どこへ行っても建物や電線に邪魔され、ようやく見つけた見通しのいい場所も地元のチンピラまがいの男どもに因縁をつけられてどなり返しながらその場を退散。ようやく、その男どもとは対象的に愛想のいいインディオのおばちゃんが「ここからだとよく見えるよ」と手招きされた場所からようやく、気分よくチチカカ湖を望むことができた。

しかし、プーノから見えるチチカカ湖はそのほんの一部にすぎないのだ。
明日はボートで沖まで行く予定(ペルー側だけだが・・・)

マチュピチュ

まる1日かけて、クスコからマチュピチュへ日帰りで出かけてきた。

列車で3時間弱。マチュピチュ村の駅から更にバスで山道を約20分かけて入場口に到着し、そこから少しばかり歩くと・・・

マチュピチュ

眼下に、そこそこ大規模な、当時の様子がよく分かる「天空の都市」が姿を現した。

「そこそこ大規模」と書いたものの、それは飽くまで「普通の感覚で言えば」ということであって、山の上の限られたスペースという地形や造られた時代(15世紀)を考えると、やはりその規模、そして石造りの建造物の精巧さには驚嘆させられざるを得ない。この遺跡が冬の離宮であったと考えられていることを思えば、十分な規模である
段々畑があり、貴族や技術者の居住区があり、宗教的設備あり――太陽の神を信仰してきたインカの人々の暮らしぶりが目に浮かんできそうだった。アルカパやリャマが少しばかり放牧されてもいたが、これらの動物もきっと、この都市が栄えていた当時にも放牧されていたことだろう。

そして、高台でこの都市遺跡を見下ろしながら、私はやはり、インドの北、中国の西にある、他民族に征服された天空の国のことに思いを馳せていた。

中央アジアの天空の城・ポタラ宮の主ダライ・ラマ14世猊下は他民族の侵略・征服の後にインドへと亡命した。
猊下がポタラ宮にお戻りになり、今では”遺跡”と化してしまったポタラ宮が再び”遺跡”の地位から脱却する日はいつ来るのだろうか・・・

※一部のエントリーにて写真をアップさせました!

クスコ

クスコに到着。

ここには飛行機で来たのだが、眼下には雲を突き出るようにしてアンデスの高原がすぐ近くに見え、ここが数千メートル級の高地なんだな、ということを実感させられた。

そして、クスコの街。
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ぶっちゃけ言って
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一目ぼれ!!

こんなにクラシカルな街は久々だ。

ただ・・・
これって南米のクラシカルではなく・・・
スペインのクラシカルなんだよな・・・

――はあ。
複雑な気分。

※現在、写真をPCに取り込めない状態なので、取りあえず文章のみでの報告です。

ペルーより

現在、ペルー・リマの空港にいます。
間もなく、あのマチュピチュに近いかつてのインカ帝国の首都・クスコへと向かいます。

チベット芸術フォーラムの皆さん、講演会当日のお手伝いができず、本当に申し訳ありません。
東の天空の城のふもとより、成功を祈っています。

間もなく搭乗のため、手短にて失礼いたします。
詳しくは帰国後に連載開始の旅行記にて・・・

チベットクラシックコンサート テチュンリサイタル2009

東京・サントリーホールにチベット音楽の第一人者・テチュンさんを招いてチベット音楽コンサートが開かれ、私も開演前と後はスタッフとして、開演中はオーディエンスとして参加した。
Techung
(写真はイメージ)
集合場所に行ってみると、テチュンさんご本人がまるでボランティアスタッフの一員かのようにごく自然にその場にいて、スタッフ一人ひとりと挨拶をかわしている。

指定席は全て売り切れ、自由席もほぼ満席という盛況の中、古くから伝わる歌、テチュンさんのオリジナル曲合わせて10数曲が演奏された。どの曲も目を閉じるとチベットの風景が思い出され、また映画「雪の下の炎」で挿入歌として使われた曲が演奏された時にはパルデン・ギャツォ師の顔が目に浮かび、涙すら浮かんでしまった。
前半はクラシックコンサートらしく、会場は静かに音楽を聴いていたが、後半に入ると、テチュンさんの呼び掛けもあってある時は手拍子が入り、ある時はステージと客席の間でかけ合いがあったりするなど、まさに演奏者と聴衆が一体となった、理想的な演奏会となった。
アンコール前の最終曲が終わると同時に、ルンタ(経文を印刷した小さな色紙)がステージにまかれる。シンプルに徹した演奏会がこの瞬間、華やかに彩られ、拍手の後、熱いアンコールの手拍子が沸き起こった。

そして、テチュンさんの演奏に負けず劣らず印象に残ったのが、チベット人の子どもたちの歌だった。
当日の解説によると、チベットでは日本でいうわらべ歌のような歌が極めて少ないそうで、テチュンさんは7年前から子どもたちに歌を通して民族のアイデンティティを育んでもらおうとプロジェクトを進めており、ようやくレコーディング可能なところまでこぎ着けたという。
この日舞台に上がった子どもたちは在日チベット人の子どもたちで、子どもらしいはにかんだ表情が初々しかった。司会の方が「お名前は?」と尋ねても「・・・」と声を出して答えられないちびっ子もいて、「おいおい、ちゃんと歌えるのか?」と心配したが、いざBGMが流れると、きっちり2曲歌ってくれた。
子どもたちにとってはいい経験、いい思い出となったことだろう。この子どもたちが歌を通してチベット人のアイデンティティを受け継いでくれることを願ってやまない。

ステージ終了後も、テチュンさんはサイン会をしてくれたり、記念写真に入ってくれたりと、来客の方々やスタッフと気さくに接してくれた。音楽だけでなくこの気さくさが、テチュンさんが人を引き付けるゆえんなのだろう。

テチュンさんのコンサートは大阪でも開かれる。

2009年9月25日(金) START 19:00 (18:30 OPEN )
全席自由席 ¥2,500

大阪ミナミ道頓堀 中座 くいだおれビル4階 studio ZAZA
TEL 06-6212-3005

http://www.ray-light.net/eventnews/enjoytibet2.html

関西の皆様、チベットの伝統芸能をぜひご堪能あれ。

<追記>
1. スタッフの方が撮影した当日の動画です。

2. 全然気がつかなかった!! あの日の会場にあの大物アーチストが来客として来ていたなんて・・・
http://www.u3music.com/message/index.php?m=1&d=2009091422351j.xml