バス憧れの大地へ

雑記ブログ

旅のこと、写真のこと、チベットのこと――日々の雑感をつれづれなるままに書いています。
最近は長文を書くゆとりが無く、更新が滞っています・・・短文ならTwitterでつぶやいていますので、右サイドナビのTwitterパーツをご覧下さい

100人100旅写真展開催中!

先日、「だから僕らは旅に出る―100人の旅日記」の出版についてお知らせしましたが、今度はその執筆者陣による写真展のご案内です。

100人100旅写真展

「100人100旅写真展」
日時:~2010年7月31日(土)※土曜午後には私も現地にいる予定
場所:旅茶箱(西荻窪駅徒歩5分) http://ameblo.jp/greenbazaar/ (以前のチベット写真展と同じ場所です)

世界各地の選りすぐり写真が揃っています! ぜひお越しを。

東京ミッドタウンにリキシャ参上!

休日の昼下がり。
東京・六本木の東京ミッドタウンに・・・
リキシャ
リキシャ参上!!

ベロタクシーではない。
正真正銘、バングラデシュ直輸入のリキシャである。

このリキシャワラー、バングラデシュ人ではなく、日本人写真家でWebサイト「たびそら」を運営している三井昌志さん。現在、「リキシャで日本縦断!」という、その名の通り沖縄から北海道までリキシャで縦断(海路はフェリー等を利用。ちなみにこの大きさでも自転車扱いなので料金は自転車料金とのこと)しつつ、日本の「はたらきもの」たちをカメラに収めている。「ご縁を大切に」とのことで道行く人に5円でリキシャに試乗してもらうということもしている。当サイトと相互リンクさせていただいている縁からその動向は以前からチェックしていたが、今回私の行動範囲内にやって来たので挨拶に伺わせていただいた。
普段は1人でリキシャをこいでいるのだが、ここ2日は別の変わり種チャリダーの2人も合流していて、東京ミッドタウンの一段下がった場所には変わった自転車がずらり・・・
リキシャなど
三井さんは近々、この東京ミッドタウンで写真展をやるとのことで、ギャラリーの視察のためにここを訪れたのだった。わたしもちゃっかりと着いて行ってしばし屋内で彼らと談笑しながら涼をとる。
サッカー代表の遠藤に似てますね
三井さんの同行者に突如言われた。いや、そんなこと言われたのは――初めてではありません。そんなに似ているのかな?

視察・休憩が終わったところで、リキシャに戻る。
「では、遠藤さん、リキシャにどうぞ」
せっかくリキシャにお目にかかったのだから乗せてもらわない手はない。私は表通りまで「5円タクシー」に乗せていただいた。
三井さん
しかし、表通りまでには結構な坂道がある。三井さんは途中で「すみません。一度下りて下さい」と私を下ろすと全身でリキシャを押し、坂が緩やかになったところでもう一度私を乗せてくれた。
普通の平地で速度15km/h程度というリキシャ。バングラデシュ製の自転車のスペックが余り高くないことに加え、荷台だけでも重いのにそこに人を乗せたりすれば相当な重さになってしまう。リキシャには以前インドを訪れた時に乗ったことがあるが、その時にもリキシャワラーが細身の爺さんだったりすると「大丈夫なのか?」と思わせられたことがある。三井さんはまだまだ若いが、それでもこのリキシャのペダルをこぐ脚には相当な負担がかかっているようである。

表通りで老夫婦を1人ずつ乗せて六本木の道を走った後、三井さんはこの日の目的地である亀戸に向かって再び、リキシャを前に進めて行った。
三井さんとリキシャ
去りゆくリキシャ
北へと向かえばすこしずつ涼しくはなるだろうが、梅雨明けして暑さが厳しさを増す今、リキシャをこぐことは相当なエネルギーを要することだろう。
体と事故にはくれぐれも気を付けて、目標へ向けて突き進んでいってください。

<三井さんのサイト・ブログ>
・「たびそら
・「リキシャで日本縦断!

第9回「チベットの歴史と文化学習会」

いつも東京・春日で開催されている「チベットの歴史と文化学習会」に参加してきました。

今回の特別講義のテーマは「チベット“解放”の言説をめぐって」というもの。私が当サイトの「中国官製『チベットの50年』の虚構」で疑問を投げかけた中国共産党の「農奴解放言説」について社会人類学者の大川謙作氏が語って下さいました。

要点を言いますと、

  • 「農奴解放言説」とは、1959年の動乱後の「民主改革」の強行=ダライ・ラマ政権解体とチベット旧社会の崩壊 を指す用法
  • 中国共産党の言う「解放」とは1950~1959年の間は「海外帝国主義の解放」だったのが1959年以降は「封建農奴制からの解放」に変わり、1959年から意味が変化・混乱した。
  • 1951年の「17か条協約」(1959年に解消)では「チベットの現行政治体制に変更を加えない」「チベットに関する各種の改革は、中央は強制しない」と定められていて、1951年~1959年の間は今日の香港のような「チベット版一国家二制度」とも言うべき共存が存在していた

つまりは、中国共産党の言う「封建農奴制からの解放」という口実はチベット侵略当初から言われていたものではなく、完全な後付けだった、ということです。

では、「農奴」をめぐって

  • チベット語で「農奴」は「zhing bran(シンテン)」。但し、これは新しい造語で、「農奴」という漢字にチベット語の発音を当てはめたものにすぎない。
  • 旧社会で使われていた言葉は「ミセー」。これは人口の80~90%を占める貴族でも僧侶でもない平民を指していたが、中国共産党の理解ではこれが「農奴」だった。
  • ミセーは少額の現金を支払うことで好きな場所に赴いて好きな職業を選択することが可能だった
  • 当時のチベットは中央集権的で、封建制=分権的状況と見れば不適当。

ということ。即ち、従来言われている「農奴制」「封建制」とは異質なものだったということになります。

その後は、イギリスBBSが作成した1949年~1980年代のチベットの様子を映し出した映像を見たり、チベット漫談テカルや民族楽器の演奏でちょっと一息ついたり。

最後に、ジェクンド大地震の被災地映像を見ながら私たちに何ができるかについて考えました。
「現地で支援をしたい」と勢いで行ってしまっても結局は何もできずに足手まといになることも少なからずあるようです(阪神大震災の時にもそういうことがあったらしい)。現状で自分ができることと言えば、現地で救援活動をしている方々に送られる募金に力を貸すぐらいのことしか無いのだろうか――そう思うと、無力感に打ちひしがれもします。

現在のチベット本土の様子

チベット本土に行った知人がその時の様子をブログに書いています。

http://ameblo.jp/dream-for-children/entry-10588498434.html

ここに書かれている大体のことは既に耳に入ってきていますが、知人の現地レポートということで生々しさを感じました。

私が2007年に訪れた時には、コピーも自由にできたし、セラ僧院にも個人で行くことができたことを考えると、かなり締め付けは強くなってきているようです。

ダライ・ラマ法王75歳のご生誕の日

ダライ・ラマ法王

本日はダライ・ラマ14世猊下75歳のお誕生日。
75歳ともなるとどうしても○○(不謹慎なので伏字)が気になってしまう。昨年の両国国技館の講演ではいつものお元気さが感じられず、途中でお薬をのまれていたりもして本気で心配してしまった。
しかし、今年の長野横浜での講演会でそんな懸念は払拭! 今年の法王様はすこぶるお元気でした。

来年も、再来年も、その先もずっと、そのお元気さをどうか保ってください。

チベットが自由が取り戻すその時を
どうぞお見届けになってください。

Long Live, Dalai Lama !!

※写真は、2010年2月27日のロサル・パーティーの時のもの

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索

<新着記事>