バス憧れの大地へ

雑記ブログ

旅のこと、写真のこと、チベットのこと――日々の雑感をつれづれなるままに書いています。
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東京カメラ部写真展・トークショー & 報道写真展

「この夏始める、旅写真・街写真」

こんなキャッチコピーに引きつけられて、本日渋谷のヒカリエに出向いてきた。
渋谷ヒカリエ
渋谷は2011年まで仕事で毎日通っていて、銀座線が地上に出たところでいつも「何か工事してるな」と思っていたのだが、工事が終わる前に渋谷勤めの方が終了。その後も渋谷に来ることはあったものの、その工事現場がこんな風になっていたことには今日初めてはっきりと気が付いた(笑)。

さて、私を引きつけた上記のキャッチコピーは、「東京カメラ部」のイベント内で行われたトークイベントのもの。この日の午前に開かれたトークイベントは谷口京さんと松本友希さんによる軽妙で楽しいものだった。(ちなみに松本さんとは、PhatPhoto写真教室に一時通っていた際にビギナークラス合同イベントで1度お会いしたことがある)
まあ、旅写真や街写真は実のところ、何度も撮っている題材ではあるが、それでも「猫などの動物の写真を撮る時はその動物の目線のアングルで」「空間をうまく利用しましょう。歩いている人を撮る場合は、その人の後ろに空間を空けた方が歩いている感が出ます」などといった発見もあった。

東京カメラ部写真展
その後は、東京カメラ部イベントのメインである写真展を参観。「1億人が選んだ、10枚」というコピーが示す通り、2013年に同部に投稿された約10万点の作品の中から延べ1億人が見て選んだ10作品を中心に、その10枚の撮影者の作品を一堂に集めたもの。「綺麗!」「すごい風景!」「いい顔してる」「どうやって撮ったんだろう?」「何だこの脱力感はw」などとさまざまな感想が心をよぎる写真の数々に引きつけられる。
無論、私には私の揺るぎないポリシーや作風があるが、「こういう撮り方もあるんだな」「実践してみたいな」という向上心・好奇心が、こうした写真展を見る度にわき起こる。

さて、渋谷に来たついでだ。お隣の恵比寿で毎年開かれているあの写真展にも行ってみるか・・・
ということで、今年も訪れた写真展が、
世界報道写真展世界報道写真展(朝日新聞社主催)

“真実”を“写す”と書いて「写真」――これが私の揺るぎない写真観だ。リアリズム溢れる報道写真にこそ、“写真”の真髄がある。
戦争、紛争、差別、虐待、貧困、病、自然界、スポーツ――時には目を覆いたくなるような、時には目を奪われるようなリアリズムの数々がそこにはあった。頭にではない。魂に、それらの写真は直接、強いメッセージを投げかけてくる。
「リアリズム」と一言で言っても、それは決して直接視覚に訴えてくるものだけではない。
今回、この写真展を参観して、私は写真のリアリズムには3種類あるように思えた。

1つは、被写体の表に直接見える物理的なリアリズム
1つは、被写体からほとばしる内面的なもののリアリズム
1つは、被写体の背景(実際に写真に写っている背景だけでなくいわゆる『バックグラウンド』全般)のリアリズム

目に見えないものをいかに見せるか――そのへんがカメラマンの腕の見せどころではないだろうか。
プロでも難しいことだ。素人の私にどこまでできるか分からないが、飽くなき挑戦を続けていきたい。

この写真展は毎年私に「写真のあるべき姿」を示してくれる。

さて、報道写真展の参観が終わったところで、もう一度渋谷ヒカリエに向かう。当初はこれで帰宅する予定だったのだが、午前中にヒカリエの会場でスケジュール表を見て、どうしてもお話を聞きたい方のトークが午後4時からあると分かったのだ。
その方は、安田菜津紀さん。
先の東日本大震災以来、フォトジャーナリストとして被災地を支援してきた若い女性だ。最近ではTBSの「サンデーモーニング」でコメンテーターとして出演することもあるので、ご存じの方もいるのではないだろうか。
実は、この方とも一度お会いしたことがある(今日はこういう話が多いが、本当のことだ)。2011年に100人100旅のチャリティー東北写真展にゲスト出演された時にちょっとだけ対面した程度のことだが、それ以来、動向・活躍ぶりが気になっていた。今回のこの機会を逃してはならぬとトークイベントに駆けつけ、イベント後には今度こそきっちりとご挨拶させていただいた。
安田菜津紀さんトークイベント
震災当時の状況、「一本松」の話、辛い状況の中で希望の星となった地元小学校の新入生の話、草の根で再開された牡蠣の養殖、お孫さんの言葉で復帰を決意した漁師さん――安田さんのとても心優しく、聡明な人柄が伝わってくるトークだった。被災地の状況に胸が痛みつつも、少しずつ表れている希望の光に少しほっとさせられる一幕もあった。

同時に、写真を撮る者として考えさせられる話もあった。
震災直後に海辺の写真を撮っていたら、義理のお父さんに「そんな津波がまた来るかもしれない所で何をやっているんだ!」とたしなめられたという。その場所の写真を撮り続けた時の安田さんの気持ちはきっと、先ほど見てきた報道写真のカメラマンに通じるものがあったのだろうが、安田さんはそんな自分の行動を「軽率だった」と自省している。真実を求めることと自分の身を守ること――使命感にとらわれすぎてその境界を見失うことは禁物、ということだ。
その他にも
「誰の目線で写真を撮るのか」
「写真で何ができるのか」
フォトジャーナリストらしい観点の言葉だ。
私はフォトジャーナリストではないが、チベットなどで時として写真を撮りながら社会情勢などにまで思いを踏み込ませることもある。そういう時には、今一度自戒として思い起こす必要も出てくるだろう。

「ちょっと写真を見て、写真の話を聞いてくるか」というノリで出かけたが、思いの外、写真について、写真を撮るということについて考えさせられた1日になった。

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