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国立故宮博物院展@東京・上野

東京・上野の東京国立博物館で開催中(~2014年9月15日)の『国立故宮博物院展』。台湾好き、中国文明好きとしては見逃してはならない展覧会だ。会期末になると混雑するので行くなら今のうちと、この日、同博物館を訪れた。
国立故宮博物院展

Facebookで同行者を呼びかけたところ、大学時代のサークルの友人という思いがけない顔が名乗りを挙げてくれ、思いがけないプチ同窓会にもなった。

この展覧会、開催前にはポスターの表記に「国立」の文字が冠されていないという問題から開催が危ぶまれる一幕もあったが、この展覧会の出処はまぎれもなく、中国文明の正当なる後継者・中華民国の国立の博物館である。何を思って「国立」の文字を外したのか、さっぱり意味不明、理解不能だ。

さて、展示の方だが、実のところ私は中華民国(台湾)を訪れたら欠かさず行くことにしているので、既に2度本場を参観している(1回目/2回目)。それでも、最初に書いた通り、この展覧会は台湾好き、中国文明好きならサボリは切腹ものの必須科目なのだ。
それに、たった2度の訪問であの博物院の全ての展示物を見れているはずがない。なぜなら、あの博物院で公開されているのは所蔵品の氷山の一角にすぎず、展示品は一部を除いて頻繁に入れ替えられているからだ。案の定、中には「あ、これ現地で見た」というものもあったが、展示品の大多数は見覚えのないものばかりだった。

入場して暫くは、書道や水墨画の作品が続き、途中で玉(ぎょく)などの宝物がちょっとだけ展示されている。地味だが日本文化のルーツが垣間見える意義深い展示だ。
展示室を抜けるとそこには故宮博物院グッズの販売コーナーがあった。そこで買い物をして
「何かもの足りないけど、これで終わり?」
と一瞬思ったが、よく見ると

「第2展示室⇒」

という案内がある。
   ・
   ・
   ・
紛らわしいことをするな
土産屋があったら普通、それで終わりだと思うだろう・・・。
東京国立博物館ともあろうものが、何とも意味不明な配置をしている。勘違いをして途中で帰った参観者もいたのではないか?

ともあれ、参観続行だ。
と言うより、後半こそ本番である。いくらこの展覧会に来ても、この後半を見なければやはり切腹ものだろう。
宋、モンゴル元、明、満洲清の時代を中心とした金属器、磁器、漆器、書、絵画(前半のような水墨画以外にもカラフルなものもあった)といった、中国文明の粋とも言うべき傑作がずらりと並んでいる。
中でも満洲清朝の乾隆帝は相当なコレクターだったらしく、小さな小箱の中に、ドラえもんの4次元ポケットさながらに幾つもの小さな文物が収められたコレクションは、小さいながらも一際存在感を放っていた。

そして、最後の最後に、この展覧会の最大の目玉展示物・・・

翠玉白菜

――は、開幕から2週間限定の展示で既に里帰りしていた。(そりゃそうだろう。あの博物館No.1の展示物をそんなに長期間貸し出すはずもない)
その代役となったのが、この記事上の看板右側にも写っている

人と熊

黒い熊と白い人間が力比べをしてる姿を描いた玉細工だ。
まず、たった3、4センチの小さなサイズにこれだけの情景を表現していること自体が驚きだ。
それ以上に驚きだったのが、
この文物の白と黒が、
 後から色を着けた
 白の玉と黒の玉をくっつけた
という訳でなく、素材の時点で天然に黒と白の玉がくっついていた
ということだった。
翠玉白菜も同様で、素材の時点であの白と緑が重なりあっていたらしい。
天然の素材、職人の技術――どちらを欠いても実現はあり得なかった、まさに“奇跡”の作品だと言っていいだろう。

さすが、中国4000年の伝統を引き継ぐ国の博物館。
崇玉の文物の数々に今回も引き付けられたし。そしてやはり、日本文化の源泉はここにあるのだと再認識させられた。
現在大陸を占拠している連中はその伝統文化を自ら壊そうとしたカスでありクズであるが、それ以前の中国伝統文化にはやはり敬意を払わずにはいられない。

最後に、
2度目に本場・台北の国立故宮博物院を訪れた時に感じたことを、ここに再掲する。
=====================
――確信した。

中国共産党は、中国伝統文明の破壊者である。
中華民国は、中国伝統文明の保護者である。

どちらが中国文明の継承者と呼ぶにふさわしいか――もはや言うまでもあるまい。
中華民国こそが、正統なる中国文明の継承者なのだと言っていい。


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