バス憧れの大地へ

雑記ブログ

旅のこと、写真のこと、チベットのこと――日々の雑感をつれづれなるままに書いています。
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青春18きっぷ旅~佐渡ヶ島

前日のうちにJR在来線で会津若松から新津を経て、新潟へ。
駅前の宿で一夜を明かし、この日は佐渡ヶ島を目指す。

行きはホバークラフト式の高速艇・ジェットフォイルで日本海を渡る。8時45分に出発して1時間で佐渡ヶ島に到着した。
佐渡ヶ島が見えてきた

最初の目的地に向かうに当たって、いきなり直行のバスがちょうどいい時間には無いことが判明。取りあえず相川という場所まで行って、そこから同じ場所へ向かう人たちとタクシーをシェアして向かうことにした。(ちなみに、7時55分に新潟港を出発するジェットフォイルに乗れば、着いたらちょうどいい時間に直行バスに乗ることができる)
道中、タクシーの運転手がいろいろと解説をしてくれる。その話によると、帰り道は下りばかりなので30分ほど歩けば先ほどのバスの終点に着くことができるという。帰りをどうしようかと考えていたので、これはいいことを聞いた。

やって来た場所は、佐渡金山。江戸時代に始まり、20世紀後半まで採掘が行われていた金鉱である。
まずは、トロッコが走っていたレールが残る坑道を歩く。太陽の光が届かない暗闇の中は、冷蔵庫のようにひんやりとしている。暗くて寒い、過酷な労働環境だ。
佐渡金山の坑道
坑道を出た途端――眼鏡が曇る。カメラのレンズが曇る。

地下から出た所にあったのは、大きな櫓と資料館。更に先には粗砕場跡もあり、往時の作業の様子がしのばれる。
佐渡金山の櫓
少し山道を上ると、大きな岩の裂け目が見える。道遊の割戸だ。遠くからでも見える佐渡金山のシンボル的存在だ。
しかし――穿った見方をすれば、この裂け目は採掘という人の営みが生み出した自然破壊の爪痕なのだ。
道遊の割戸

タクシーの運転手に言われたように歩いて山を下り、相川から路線バスを乗り継いで次の場所へ向かう。

次に訪れたのは、トキの森公園。私が子供の頃には7羽、そして2羽とどんどん減って、2003年には日本産の最後の1羽が死んで野生絶滅してしまった、「ニッポニア・ニッポン」の学名を持つトキの繁殖に尽力している施設だ。
最初の観察場所では全く姿を見ることができなかったが、ガラス張りの観察小屋ではしっかりと6羽、白い体に赤い顔のトキを見ることができた。
トキ
思っていた以上に小さく、華奢なイメージの鳥だ。これでは人間に狙われたらひとたまりも無いだろう。
トキ
今は中国生まれの個体で、ここでの繁殖を目指している。佐渡が再びトキが飛び交う島になる日は来るのだろうか。

帰りはカーフェリーでゆったりと新潟へ向かう。
佐渡ヶ島を離れる
佐渡金山でもトキの森公園でも、「人間と自然との共生」について深く考えさせられる訪問となった。

青春18きっぷ旅~会津若松

会津若松周遊バスに乗ってまず向かったのは、鶴ケ城。地元以外では会津若松城の名でも親しまれている名城だ。今ある天守閣は戦後復興建築された鉄筋コンクリート造りのもので、外観も真新しい。
会津若松城
この城は江戸時代から明治時代に移る時代に会津戦争の舞台となった場所で、城内では朝敵とされ敗戦した会津の苦悩の歴史が展示で語られていた。
天守に上ると、会津若松の城下町を四方に見渡すことができるが、その眺めの中にはあの悲劇の舞台となった山も見ることができた。
会津若松城天守からの眺め

天守閣から下りた後、近くにある県立博物館に赴くが、その近くに↓の銅像が立っていた。
新島八重銅像
新島八重
NHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれた人物である。先述の会津戦争では銃を手に明治政府軍と戦い、その後は同志社大学創始者の妻になったという数奇な人生を送った女性だ。

次に、何となく気になってバスを下りて会津武家屋敷を参観。会津戦争時の会津藩家老・西郷頼母の邸宅などを再現したもの(この場所にあった訳ではない)だ。西郷頼母と言えば、会津戦争時に妻や子供が集団自決を迫られた悲劇の人物だ。
会津武家屋敷

しかし、会津戦争最大の悲劇の舞台といえばやはり、先ほど鶴ケ城天守閣からも見えたあの山だろう。
飯盛山
飯盛山
あの白虎隊が集団自決を迫られた山だ。急勾配の階段を上った先には、彼らの墓があり、墓参の客が絶えることなく訪れる。
白虎隊の墓
墓所から少し下った所にある見晴らしのいい場所が、白虎隊自決の地だ。ここには慰霊碑が建てられ、その横には犠牲となった少年武士の像が置かれ、ちょうど鶴ヶ城を見つめる格好になっている。(私も鶴ヶ城を探してみたが、意外に遠くて分かりづらかった)
白虎隊自刃の地

白虎隊については先ほど鶴ヶ城でも展示を見たが、全員15~17歳の前途ある少年たちで、ずらりと並んだ似顔絵を見ていると胸が痛くなった。
権力者が始めた戦争で犠牲になるのはいつも庶民。特に未来ある若者がこんなことで命を散らせるなんて、余りに悲しすぎる。
やはり、二度と若者を戦地に送るようなことは絶対あってはならない
勿論、戦争なんかで命を散らせてはならないのは若者に限ったことではないが、白虎隊の悲劇に触れて思うことはやはり若者のことだった。

青春18きっぷ旅~猪苗代湖、会津若松

会津若松で一夜を明かし、いざ会津巡り。

まずは、会津若松からちょっと足を延ばして、猪苗代湖へ。猪苗代駅から徒歩30分弱で湖畔に到着した。
湖畔には葦が群生していたが、葦原の切れ目を見つけてその先に目をやると、そこは湿原。それ程数は多くなかったが、鳥たちの楽園になっていた。
猪苗代湖
そして、この猪苗代は日本が世界に誇ることができる偉人を輩出していた。
野口英世である。
湖から目と鼻の先の場所に彼は生まれたのであり、その場所には野口英世記念館が建てられていた。
記念館内には野口の生家が再現されていて、彼が幼い頃に手に火傷を負った囲炉裏も再現されていた。
野口英世生家(再現)
しかし、彼はこの火傷があったからこそ医学を志し、後の功績に繋がっていったのだから、人生とは数奇なものだ、
それにしても、海外に行くことがまだまだ一般的ではなかったあの時代に、世界を股に掛ける偉人が「海外」から一番遠い東北の内地ど真ん中から生まれようとは、奇跡に近いものを感じる。

猪苗代から会津若松に戻る。
会津若松市を巡るなら、周遊バス「ハイカラさん」「あかべぇ」が便利。運賃は均一210円なのだが、1日乗り放題切符が500円なので、これを買って3回乗れば元を取ることができることになるが、私はこの日計5回乗って「倍返し」で元を取ることができた。
会津若松周遊バス

さあ、本日のメインイベントに向けて、いざ出発!

青春18きっぷ旅~水戸、会津若松

職場が夏休み…
今年は5連休も夏休みがとれてしまった。

特に予定もないし、どこか旅行に行きたいところだが…

この時期、国内線も国際線も航空券は馬鹿みたいに高いし、マイルも使えない。
高速道路は混む。

しかし、この時期だからこそ使える安上がりな旅の方法がある。

青春18きっぷ!!

ということで、年末年始に続いて鈍行列車の旅に出る。
前回は西へ向かったので、今回は東の未到達県を攻めることにした。

ということで、まず向かったのは…

茨城県水戸市

こんな方々が出迎えてくれた。
水戸黄門

まず向かったのが、
茨城県立歴史館
茨城県立歴史館
貝塚やら水戸学やら尊皇攘夷などの展示が興味深い。茨城出身の歴史上の人物がずらりと並んでるコーナーもあり、平将門、間宮林蔵、二宮尊徳、横山大観など「彼らも茨城出身だったのか」と思わせられるような著名人が数多くいた。

博物館の近くには水車小屋や蓮の池を見ることができる公園も。
水車小屋
蓮池

そして、水戸と言えばやはり、
偕楽園
偕楽園

偕楽園の竹林
緑あふれる庭園に心を癒やしたり、
好文亭
好文亭で古めかしい建築や絵画に触れたり、
吐玉泉
吐玉泉に清涼感をもらったり、

いろいろな楽しみ方ができる公園だ。
ただ、ここに来るなら梅園の美しい春先がよかった。次に来る機会があったらぜひその時期を狙いたい。

そして、水戸の歴史を感じられる場所といえば
弘学館
弘学館
水戸学の総本山だった場所だが、見ることができるのは何もない部屋か当時の文物の展示室だけ。「学校」だったというイメージを膨らませるために、どこか一室で人形を使った講義の様子の再現などやってみてもいいような気がした。

昼食にはネタとしてこんなものを頂いたw
印籠弁当

茨城は以上。JR水郡線、磐越西線を乗り継いで次なる未到達県へ。

行き先は、福島。会津磐梯山が私を出迎えてくれた。
会津磐梯山

会津若松で下車。本日はここで宿泊だ。
会津若松駅

夕食は迷わすこれ。
喜多方ラーメン
喜多方チャーシュー麺
煮干しダシのきいたあっさり系で、太くて平たい縮れ麺が特徴。喜多方に行く時間が無さそうだったのでとりあえず会津若松で頂いた。

明日はじっくりとこの近辺を巡る予定だ。
ただ、この一帯は観光地であるだけでなく、東日本大震災の被災地でもあるのだ。そのへんを忘れずに歩きたい。

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