バス憧れの大地へ

雑記ブログ

旅のこと、写真のこと、チベットのこと――日々の雑感をつれづれなるままに書いています。
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2017年GW旅 走り遍路

午前6時50分。徳島県吉野川市のGuest House チャンネルカンを、大きな荷物を預けてチェックアウトし、ジョギングに出かける。
吉野川を渡り、北西に針路を取る。途中、田園や花ののどかな風景に心を癒される。
吉野川市ののどかな風景

やがて、道の途中にこんなものを見つけた。
遍路小屋
「ヘンロ小屋」――即ち、お遍路さんの休憩所である。
そう。私が走っていたのは遍路道だったのだ。

やがて、四国八十八か所の第10番札所・切幡寺の門前に到着。ここで私は、門前の店に入っていろいろなものを購入する。

白衣菅笠経本納経帳納め札線香ろうそく・手ぬぐい

これらを装備して、こんな格好に。
お遍路装備

既にお分かりだろう。私はお遍路を開始しようとしていたのだ。しかも、マラソンに打ち込んでトレーニングを重ねている最中なので、「歩き遍路」を通り越して走り遍路で巡礼しようというのである。(なので、お遍路必須と言われる金剛杖は省略してしまったが、実際のところ、この日の巡礼の最中にも金剛杖を持たないお遍路さんは結構いた)

まずは、切幡寺をお参り。
切幡寺

お遍路のお参りは基本、
1. 山門で一礼して中へ
2. 手水場で手を清める
3. 鐘を突く
4. 本堂でお経をあげ、納め札を納める
5. 大師堂でお経をあげ、納め札を納める
6. 御朱印を頂く
という手順。

私はこれが初めてのお遍路。周りの人の様子を見ながら見様見真似で1/88のお参りを完了させた。

以降もお寺とお寺の間を走り続け、私は、

法輪寺
第9番札所 法輪寺

熊谷寺
第8番札所 熊谷寺

十楽寺
第7番札所 十楽寺

安楽寺
第6番札所 安楽寺

完全には覚えてない、おぼつかない般若心経ではあったが、どうにか以上の5か所でお参りを完了させた。

時間的にも体力的にも、このへんで切り上げた方がよさそうだったので、安楽寺で「走り遍路」は打ち切ってゲストハウスに戻る。さすがに疲れて、このルートでは途中歩いてしまったりもしたが、
吉野川
ランニングコースの最後の方で渡った広く青い吉野川に心を癒されて、気分よく走り終えることができた。

走りのデータは以下の通り。

・Guest House チャンネルカン~切幡寺
  6.65km、高低差+86m、50分57秒、7分39秒/km
  ※地理勘が掴めず、何度も立ち止まって地図を見たので時間がかかった。
・切幡寺~第9番札所 法輪寺
  3.67km、高低差-71m、24分59秒、6分49秒/km
  ※途中の幹線道路から外れた遍路道からの景色が良かった。
  遍路道からの風景
・法輪寺~熊谷寺
  2.69km、高低差+66m、21分26秒、7分59秒/km
  ※高低差があってペースが落ちた。
  ※こんな道標もあり、ルートは分かりやすい。
  遍路道の道標
・熊谷寺~十楽寺
  4.06km、高低差-58m、28分58秒、7分8秒/km
・十楽寺~安楽寺
  1.21km、高低差-18m、8分8秒、6分43秒/km
・安楽寺~Guest House チャンネルカン
  8.26km 高低差-6m、61分25秒、7分26秒/km

トータル
  26.54km 195分53秒 7分23秒/km

ともあれ、初めてのお遍路は、心は穏やかに、体は健やかになるいい経験だった。
とはいえ、まだ5/88を巡ったにすぎない。何とか機会を作って、残りの札所も今後回っていきたいものだ。

2017年GW旅 小豆島・「二十四の瞳」巡礼

土庄港からバスでまず向かったのは、小豆島オリーブ公園。白亜の洋館がたたずんでいたり、オリーブ林に囲まれるように西洋風の風車がたたずんでいたりする、明るい雰囲気の場所だ。ここでは、ポストまでオリーブ色である。
小豆島オリーブ公園
小豆島オリーブ公園
また、高台の上から見る瀬戸内海の景色が見事だ。海のすぐ向こうに横たわっているのは、「二十四の瞳」の舞台といわれる岬である。
小豆島オリーブ公園からの瀬戸内海の景色

ちょうどいい時間のバスがあったので、それに乗って次の目的地へ。先ほど高台の上から見た、瀬戸内海に張り出した岬に入る。
終点の一つ前の停留所で下りてすぐの所にあるのが、「岬の分教場」だ。「二十四の瞳」で大石先生と教え子たちが心を通い合わせた舞台を再現したものである。
岬の分教場外観
木造の校舎と教室や机、そしてレトロな学用品などを見ていると、何か、先生と子どもたちの笑い声や息遣いが伝わってくるような気がした。
岬の分教場内部

バスの終点にある次の目的地は歩いて行くことも可能だが、レトロなボンネットバスが無料シャトルバスとして運行されているので、こちらを使ってもいいだろう。
レトロなボンネットバス

岬の更に先の方にあるのが、「二十四の瞳映画村」だ。ここは「二十四の瞳」という作品を扱っているというよりも、その時代(昭和初期)そのもののレトロな雰囲気を再現したテーマパークである。木造の家屋に金属板の広告、古い映画の宣伝など、なるほど、昭和初期とはこんな感じなのかな、と思わせる風景がそこかしこにある。
二十四の瞳映画村
エリア内のレストランでは、コッペパン、カレーシチュー、冷凍みかん、瓶詰めの牛乳orコーヒー牛乳という、これまたレトロな給食メニューがあり、大部分のお客がそれを注文していた。私も頂いたが、昭和後期に食べていた給食とはまた味も雰囲気も違う。
二十四の瞳映画村で出た給食
風情を楽しむのもいいが、ここはやはり「時代」に思いを馳せずにはいられない。「二十四の瞳」の教え子たちも、ある者は身売りされ、ある者は戦争に傷つき、ある者は戦死してしまう。大石先生も、大切な人を時代の流れの中で失ってしまう。「平和の群像」で感じた時同様、やはり今の世の中だからこそ、「平和」を祈念せずにはいられなかった。
二十四の瞳映画村

映画村から先程訪れたオリーブ公園までは、海を渡し船で渡る。時間がかかり、本数が少ないバスよりも、実はこちらの方が随時出発、所要時間僅か10分と速くて便利だ。
渡し船
私は当初、自転車で岬まで回ろうと考えていたのだが、山道があったりしてそれはとてもではないが無理だった。この岬の道を毎日颯爽と自転車で走り抜けていった大石先生がスーパーウーマンに思えてしまった。

2016年GW 十和田湖、久慈

早朝5時前に目が覚め、6時開始の十和田湖ガイドツアーに参加。この湖の生い立ちなどを解説してもらいつつ、昨日訪れてどんよりしていた乙女の像などを訪問。
十和田湖
朝のうちは青空もあり、乙女の像もいい感じで撮ることができた。
乙女の像

さて、天気もいいことだし、宿の自転車(ママチャリ)を借りてサイクリングに出かけることにした。
十和田湖には御倉半島と中山半島という2つの半島が並んで伸びている。これが両方見えるポイントが無いかと、秋田県側の湖畔道をペダルをこぐが、途中かなりのアップダウンがあり、変速機の無いママチャリでは歩いて押さなければ上れない坂もあった。
鉛山という場所から自転車を下りて「十和田湖西湖畔遊歩道」を歩く。小さな半島の先端にある大川岱まで行くと、
御倉半島と中山半島の見える十和田湖
見事に、広々と開けた湖の向こうに、重なるようにして横たわる御倉半島(奥)と中山半島
(手前)を同時に見ることができた。
鉛山から上った場所にある白雲亭からは湖やこれらの半島を俯瞰することができるらしいが、残念ながらその時間は無かった。次の予定に間に合うよう、来た道を自転車で引き返す。
桜と十和田湖
帰り道で見かけた、桜と十和田湖の風景。

次に向かうは八戸だが、折角だから十和田~子ノ口間は遊覧船を利用することにした。
遊覧船
先ほどまでいた「西湖」では半島に阻まれて湖全体を感じることができなかったが、これでやっと、四方に湖全体を感じることができた。
十和田湖

子ノ口で下船して、昼食後、バスに乗車。再び奥入瀬渓流を横目に、今度は山を下る。
奥入瀬渓流

八戸は乗り継ぎのみ。JR八戸線に乗車して、青森とはお別れ。岩手県に入る。
下車した終点駅は、久慈。
久慈駅前
ドラマ「あまちゃん」の舞台となった街であり、同ドラマをモチーフにした絵を描いたシャッター、いわゆる「あま絵シャッターアート」もあちこちで見られる。

ここに来たら、ウニを食べない訳にはいかないだろう。山海里という店で、「あまちゃん」の中でも登場した「まめぶ」と一緒に頂いた。
まめぶと生うに

駿府~家康公ゆかりの地

富士山頂の天気がいいという予報だったので、田子の浦あたりで富士山撮影を、と思って青春18きっぷ消費がてら東海道線で静岡・富士市へ。しかし、天気予報とはうらはらに、富士山には非常に残念な雲…
そのまま帰ろうかという思いも頭を一瞬よぎったその時、電車内の「家康公四百年祭」という中吊り広告の文字。そう。今年は徳川家康公没後400年の年だったのだ。
衝動的に行き先を富士市の更に先の静岡市に変更。家康公が少年期、円熟期、晩年期を過ごした駿府の地に建てた駿府城の跡を訪れてきました。

駿府城の巽櫓
東御門と巽櫓

天守などの当時の建物こそ残っていないものの、石垣や、再建された東御門(ひがしごもん)、巽櫓(たつみやぐら)、坤櫓(ひつじさるやぐら)などが、家康公当時の姿を思い浮かべる助けになりました。

駿府城の坤櫓
坤櫓

「今朝は富士山が見えてたんですけどね」
と、坤櫓の係員さん。
もしかすると、家康公がこの地を居に選んだのは、富士山がよく見えるからではないだろうか?などと勝手に想像してしまった。そう思うと、400年も前の偉人に、にわかに親近感がわいてしまいました。

徳川家康像
徳川家康像

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