ダライ・ラマ法王、政治からの引退を提案へ

2011年03月10日(木)

チベット民族蜂起から52年目の記念日の今日・・・

ダライ・ラマ法王がついにかねてからの決意を実行に移す運びとなった。

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ダライ・ラマ14世、「政治からの引退」を提案へ
http://www.afpbb.com/article/politics/2789776/6937518
2011年03月10日 15:14 発信地:ダラムサラ/インド

【3月10日 AFP】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(75)は10日、インド・ダラムサラ(Dharamshala)で1959年のチベット動乱から52年の演説を行い、政治的権限を「自由な選挙で選ばれた指導者」に譲る時が来たと述べて、チベット亡命政府の政治指導者の立場から引退する意向を表明した。

 来週のチベット亡命政府議会で、引退を認める法改正を提案するという。

 ダライ・ラマ14世は、「責任を軽くしたいから権限を移譲したいのではない。チベット人の長期的な利益を考えてのことで、私の意志がくじかれたからではない」と語り、政治的立場を退いた後も「チベットの大義のための役割は果たしていく」と強調した。
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法案が通ればの話だが、実現されれば、法王様もようやく宗教的な活動に専念できる・・・
はっきり言って、法王様忙しすぎ。昨年奈良や広島を訪れた際もフラフラの状態を押して来日されている。75歳を超えたご高齢を考えれば、公務が減るのは望ましいことだ。
民主主義・政教分離という観点からもあるべき方向性だろう。法王様がトップダウンでなく「引退を認める法改正を提案」という民主主義的な手法で引退を実現させようとしている点に、法王様の「民主チベット」への強い決意を窺うことができると言えるかもしれない。

河口湖周遊(2)

2011年01月09日(日)

河口湖周遊は後半の北岸へ。

湖北ビューラインより望む富士山
【湖北ビューラインより(1)】山陰に隠れていた富士山がちらりと見えた。

湖北ビューラインより望む富士山
【湖北ビューラインより(2)】
湖北ビューラインより望む富士山
【湖北ビューラインより(3)】

次第にその姿を現していく。

湖北ビューラインより望む富士山
【湖北ビューラインより(4)】東側の稜線がほぼあらわになった
湖北ビューラインより望む富士山
【湖北ビューラインより(4)】と思ったらまた少し死角に入った

留守が岩西より望む富士山
【留守が岩西】東の稜線が美しい

鵜ノ島と富士山
【河口湖林間学園わきより】鵜ノ島とツーショット

河口湖林間学園裏手より望む富士山
【河口湖林間学園裏手より(1)】木の桟道。この下は湿地らしい
河口湖林間学園裏手より望む富士山
【河口湖林間学園裏手より(2)】

富士山と鳥のサンクチュアリ
【鳥のサンクチュアリ(1)】
この場所に限らず、河口湖は鳥の保護区域になっていて、鳥たちがゆったりと飛んだり泳いだり捕食したりくつろいだりしていた。

葦原の向こうに見える富士山
【葦原の向こうに(1)】
葦原の向こうに見える富士山
【葦原の向こうに(2)】
いずれも河口湖自然生活館から少し西のポイント。

富士山と鳥のサンクチュアリ
【鳥のサンクチュアリ(2)】右下の船着き場に注目
少し空が赤くなってきた。

富士山と河口湖大橋
【河口湖大橋が見えてきた】

一富士二鷹?
【一富士二鷹?】あとはなすびがあれば・・・
実はここ、朝に逆さ富士を撮った時と同じポイント。ここまで来ればゴールは見えたも同然。

河口湖大橋
【河口湖北詰をくぐる】

夕陽に染まる富士山
【夕陽に染まる富士山】
とはいえ、昨日同様「夕富士」と呼ぶには上空が青すぎる。

夕闇の富士山
【夕焼けと夜闇の狭間で】
これはこれで美しいが、ピンク一色の空を背景にした富士山はこれでは無理。これにて撮影終了。あとはゴール地点を目指すばかり。

そして、17時31分・・・
スタート地点でもある船津の河口湖東南端に到着し、

河口湖周回達成!!

25km、31000歩に及ぶ挑戦が完了した。

河口湖駅から高速バスで東京に戻る前に、富士山写真ミュージアムに立ち寄る。ここは食堂にもなっていて、またも甲府名物ほうとうに舌鼓を打ちながら富士山の写真の数々を楽しむ。
どの写真も個性的だ。
富士山の写真って、本当にたくさんの人が撮るから、余程工夫しないと個性的な写真を撮るのは難しいですね・・・
ミュージアムの職員に語ったその言葉は、それらの写真を見た私の偽らざる印象だった。
今回も沢山の富士山写真を撮ったが、いずれも「どこかで見たような写真」ばかりで自分の個性が出ているとは言い難い。

よし。
今年の目標ができた。
・自分ならではの富士山の写真を少なくとも1枚撮る
そして・・・
・富士五湖周回全制覇!!
チャレンジしてみるか。

 

<後日談>

「一面の夕焼けを背景にした富士山」の写真だが、むしろ東京からうまく撮ることができた。
東京から見た夕富士
今回の河口湖周遊から一夜明けた1月10日、東京・江戸川区臨海町の荒川堤防より撮影

やはり富士山を西に臨む方向(東京のほか山中湖とか)からでないとこういう写真は難しい。

 

<撮影ポイント等map>

より大きな地図で 河口湖撮影ポイント を表示

河口湖周遊(1)

2011年01月09日(日)

河口湖北岸にて朝を迎える。天気は雲一つ無い快晴。

逆さ富士
【逆さ富士(1)】宿の近くの北岸から。富士山が河口湖にくっきりと映っている。

今日は河口湖を一周する予定。余計な荷物をコインロッカーに預けるためまずは河口湖駅へ向かうことにする。

最寄りのオルゴールの森のバス停に到着し、時刻表を見ると・・・

始発が9時36分

現在の時刻は・・・9時。

この寒い中じっと待っているのは苦痛だ。動いた方がましである。
歩こう

という訳で、駅まで歩くことにする。
途中、河口湖大橋の東側を歩く。
20110109_2
【逆さ富士(2)】河口湖大橋からも見事な逆さ富士を拝むことができた。

駅のコインロッカーに荷物を預け、船津の河口湖東南端に出たところで、10時10分、いざ河口湖周遊開始! 時計回りの方向で進み始める。

暫くの間、富士山は死角に入ってその姿を拝むことはできない。先ほど渡った河口湖大橋の南詰を越え、八木崎公園に入ったところでようやく見えてきた。
八木崎公園から見る富士山
【八木崎公園から見る富士山(1)】
八木崎公園から見る富士山
【八木崎公園から見る富士山(2)】
八木崎公園から見る富士山
【八木崎公園から見る富士山(3)】

公園を出ると富士山はまた死角に入ってしまうが、シッコゴ公園の横で南に方向が変わったところで、再び民家の上に壮大な白峰が姿を見せる。
民家の向こうに見える富士山

しかし、ここを越えるとまた富士の峰は死角に。再び見えたのは遊歩道の途中にある谷崎潤一郎文学碑を過ぎた地点。緑の森の上に白い頂がちらりと顔を見せる。
谷崎潤一郎文学碑近くから見えた富士山
ここが南岸で富士山が見える最後のポイントだった。次に富士山が見えるのは北岸へ移ってからとなる。

暫く遊歩道を歩くと国道沿いに道の駅が見えてきた。ちょうど腹が減っていたのでここで昼食。富士吉田では有名らしい「イトリキカレー」が出されていたので注文してみた。小麦粉を使わずに塩とカレー粉だけで作っているのが売りらしいが、粘り気の強いキーマカレーを頼んでしまったので小麦粉を使っていないという特性は余り伝わってこなかった。味は上々。

胃袋を満たしたところで再び出発。程なくして「奥河口湖」の看板が見えてくる。ここが河口湖の西端だ。
奥河口湖

取りあえずここが中間チェックポイント。ここから先が後半戦だ。

(長くなるので2回に分けます)

>>後半に続く

<撮影ポイント等map>

より大きな地図で 河口湖撮影ポイント を表示

衝動的に・・・河口湖

2011年01月08日(土)

午前。自宅から富士山が(ビルに邪魔されながらも)くっきりと見える。

連休…
いい天気…

あの富士山を間近に見たい!

ということで・・・
衝動的に・・・
河口湖に来てしまいました!

新宿から高速バスで2時間弱で河口湖駅に到着。駅舎の向こうに逆光ながら富士山がくっきりと見える。
河口湖駅
湖畔に出て、湖の向こうに富士山が見えるロケーションを求めて北岸へと足を進める。やがて、山の陰に隠れていた富士山が顔を出した。
河口湖大橋の下を抜け、オルゴールの森を過ぎたあたりで撮影心をくすぐる景色になってきた。ちょうどいい所に民宿があったので素泊まり4700円で泊めてもらうことにする。窓から富士山と河口湖がしっかりと見える。

宿で荷物を下ろした頃には陽が大きく西に傾いていた。
富士山
少し早いが、夕富士を撮りに行くことにした。
しかし、少し出るのが早すぎた。空が赤くなるまで少し待たなければならなかったのだが、先ほどまでとは比べ物にならないほど冷え込んできた。かじかむ指をこすりながらカメラのシャッターを切る。
雲ひとつ無い空の西側が赤く染まってきた。しかし、空全体を染めるまでには至らず、真南にある富士山の周りは、山裾こそ赤く染まっているものの頂の更に上は青さを留めていて期待していた「赤富士」とまではいかなかった(写真はホワイトバランスを調整=色温度を高くしたもの)。
夕富士
明日は周囲約20kmの河口湖をコルラする予定。

↓夕食にいただいた甲府名物・ほうとう。冷えた体が温まる。
ほうとう

>>2日目に続く

「ブクログ」に登録

2010年12月01日(水)

へえ、こんなサービスがあったんだ・・・

と、私の目を引いたのが「ブクログ」。
これは、Web上に自分の仮想本棚を作ってそこにお気に入りの本を並べるというもの。本のランキングもあって、たくさんの人に登録されればされるほど、上位に挙がって注目される・・・

うん。
これは使える!

ということで・・・
拙著『チベットの大地へ』を早速登録してみました!
レビューやお気に入りの一文などを追加してみて(自分でやるってのも空しいが・・・)、こんな感じで表示されます

という訳で・・・
皆様にお願いがあります。

皆さんも自分の本棚に『チベットの大地へ』を登録して下さい!!
そして、お読みになられた素晴らしい方は、どうかレビューなどお書き頂ければと存じます。

何卒宜しくお願い致しますm(_ _)m

『チベットの大地へ』の詳細はこちら

震災のジェクンドは、今・・・

2010年11月28日(日)

昨日のことになりますが、第10回「チベットの歴史と文化学習会」に参加してきました。
モンゴルを軸にチベットについて語られた特別講演も聴きごたえがありましたが、今回心に突き刺さったのがジェクンド震災のその後の様子でした。
現地を訪問した作家の渡辺一枝さんが写真を交えて報告して下さった8月時点での現地の様子は・・・

  • 建物が倒壊し、政府が用意した青テントで生活や商売を営む人々。
    家の倒壊を免れた人々も、余震に警戒してテント暮らしをしているようです。
  • 学校・病院を優先的に再建しているようです。
  • 政府(漢人)主導で推し進められる復興計画。
    既にジェクンド空港が建設されていることから、観光客を誘致できるような再建がなされるのでは、という懸念もあります。
  • 救いを求める人々の心情からか、マニ塚(石に経文やマントラを彫ったマニ石が積み上げられてできた塚)の規模が大きくなっていたとのこと。
  • 小中学生は引き続き地元で授業を受けられるが、高校生は外の省で授業を受けることを余儀なくされている。(洗脳教育のため、ということでは必ずしもないようで、条件が整えばジェクンドに戻ることを前提にしているとのこと)
  • ここぞとばかりに社名をアピールする復興支援企業。

そして、必ず政府を通して行うこと、との前提となっている義捐金がどれ程現地に行きわたっているか不透明な現状、これまでにこの学習会等で募った義捐金の使途を明かすことができない現状・・・
「震災復興のために私たちができること」という課題の答えは、残念ながら今回も明確にはできなかったように感じられました。

何か、やり切れなくなってしまいます。

震災復興の方針といい、最近話題になっているアムド地方での漢語教育押し付け問題といい、漢人政府主導で有無を言わさずに推し進められる政策に対する憤り、そしてそれに対して何をすべきか答えが見出せない自らの非力さに、今少々凹み気味です。

そんな中にも、光は僅かながらありました。

実は、渡辺一枝さんとほぼ同時期にジェクンドを訪れていた知人(このブログにも度々ご訪問頂いています)に現地の写真を見せて頂いたのですが、見る前に
「この状況ではさすがに『笑顔』の写真は撮れなかったんじゃないですか?」
と尋ねたところ
「いや、それが意外と笑顔でしたよ」
とのこと。アルバムのページをめくってみると、瓦礫の山となった街や寺院、避難用テントの写真の中に、確かに笑顔を向けているチベタンたちの写真が少なからずあったのです。
「こんな状況でも笑顔になれるのは、仏教への信仰があるからですかね」
と、その知人。

――同感。

それに付け加えるとすれば、これも仏教への信仰から来ていることかもしれませんが、私がダライ・ラマ法王をはじめチベットの人々に常日頃感じているオプティミズム(楽観的主義)的な心の持ち様もあるのではないかと思いました。
そして、今回の悲惨な震災の中、命を落とさずに済んだことに対する喜びもあったのではないでしょうか。

纏めれば・・・
「命をお救い頂きありがとうございます。
命あっての物種。生きていれば何とかなる」

とでもなりますでしょうか。


より大きな地図で
チベット・カム地区ジェクンド を表示

今気が付いたのですが、google mapでジェクンドの写真画像が震災後のものになっています・・・

拙著『チベットの大地へ』まさかの・・・

2010年11月21日(日)

今月無事発売されました拙著『チベットの大地へ』ですが・・・

紀伊国屋新宿本店で・・・

まさかの・・・
『チベットの大地へ』
平積み!!

同店3階の「海外事情(東アジア)」のコーナーに置かれているという情報は既に察知していて、新宿に出たついでに本棚をチェックしたところ・・・
「あれ?無い」
1冊だけの仕入れでもう売れてしまったのかな?と思いきや、ふと視線を下に落とすと・・・

上の写真のとおりでした!!

ちなみに、私の方からは何の働きかけもしていません。完全に、書店側の独自判断によるものです。

いやぁ・・・

素直に・・・

嬉しい!!

飲み会の集合時間が間近だった関係で今回は写メだけ撮らせて頂いてその場は立ち去りましたが、次は知人のアドバイスもあり、POPの設置をお願いしようかな~と考えています。
<追記>
POPの設置、お願いしてきました。(2010/11/22)

しかし・・・
痛いのは・・・
まさか平積みされるとは夢にも思っていなかったので、帯を付けずに済ませてしまったこと OTZ

本書の詳細はこちら

出版のご案内―チベット旅行記本『チベットの大地へ』

2010年11月04日(木)

チベットの大地へ
重要なお知らせです。

ついに・・・
やってしまいました・・・

当サイトの2007年チベット旅行記が書籍化されました!

今度は共著ではなく、単独での出版です!!
とは言っても、公序良俗に反しなければ誰でも、どんな内容でも出すことのできる自費出版ですが・・・


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『チベットの大地へ』
出版元:ブイツーソリューション 発売:星雲社
四六判184p 1,300円(税別)

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趣旨は、『100人100旅』の中で書いた2001年のチベット旅行記と同様、チベットの“光”と“影”の光景を描き、チベットの素晴らしさチベットが抱える問題を伝えようというものですが、今回はそれに加えて、それらの光景を目の当たりにして揺さぶられた私の心の移り変わりも重要な要素となっています。
当サイトの旅行記がベースではありますが、かなりの加筆・修正が加えられていますので、ぜひ本の形で再度お読みいただければと思います。

既にamazonをはじめとするオンライン書店でも予約が始まっていますが、私の手元にも100冊近くありますので、手売り・通販いずれかの方法でお分け致します。ご希望の方はご連絡ください。特にサイン入り(笑)が欲しいという奇特、もしくは物好きな方はぜひこちらから。
なお、書店には書店の方から注文が無い限り配本されない方式の契約のため、書店の本棚には基本的に並ばないとお考えください。

出版に至った経緯などについてはまた追い追い書いて行きます。今回は取りあえず、ご案内まで。

詳細・購入はこちら
立ち読みする

祝・劉暁波氏ノーベル平和賞受賞

2010年10月08日(金)

余り書いている時間が無いのでとりあえず一報を・・・
当サイトでも取り上げてきた「08憲章」の起草者の1人である中国の民主活動家・劉暁波氏にノーベル平和賞が授与されることが決まっりました。

『ノーベル平和賞に劉暁波氏 服役中、中国当局の反発必至』(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010100801000695.html

 【ロンドン共同】ノルウェーのノーベル賞委員会は8日、10年のノーベル平和賞を、中国の著名な民主活動家、劉暁波氏(54)=国内で服役中=に授与すると発表した。「長年、中国で基本的人権(の確立)のため、非暴力的な手段で闘ってきた」ことなどが授賞理由。人権状況の改善を中国に強く迫った形。中国在住の中国人がノーベル平和賞を受賞するのは初めて。受刑者への授与も異例だ。

 民主化運動が武力弾圧された天安門事件(89年)の指導者の一人である上、国家政権転覆扇動罪で今年2月に実刑が確定した同氏への授賞決定を、中国政府が内政干渉とみなして反発を強めるのは必至だ。

 中国の人権問題に絡む受賞は、89年のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世以来。中国の傅瑩外務次官は今年6月、劉氏に賞を与えないよう、同委周辺に圧力をかけたことが明らかになっており、今後ノルウェーとの外交問題に発展する可能性がある。

 天安門事件の際、北京師範大学講師だった劉氏は、天安門広場で戒厳令に抗議してハンストを実行。08年12月には、中国の一党独裁体制廃止などを訴えた「〇八憲章」を発表した。中国の裁判所は09年12月に国家政権転覆扇動罪で懲役11年などの実刑判決を言い渡し、今年2月、控訴を棄却。

まずは受賞おめでとうございますと言いたい。この受賞が、中国における人権問題と人権活動に対する国際社会の注目を集めることに繋がるのは確実だろう。

しかし、一方の中国共産党は相変わらず強硬的な手段に出るばかりだ。

『ノーベル平和賞:中国、報道中断 妻の会見中止』(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/wadai/nobel/news/20101009k0000m040065000c.html

 中国の国内総生産(GDP)は10年に日本を抜き、世界2位となるのは確実だ。しかし、中国は気候変動問題をはじめ国際会議では「途上国」の立場を主張し続け「責任ある役割を果たしていない」との批判も強い。劉氏への平和賞授与は、人権問題を含め、中国が大人の国になるよう求めたものとも言える。

 欧米諸国から人民元の切り上げを求められながらも、応じていない中国へのくすぶる不満や、領海問題で周辺国とたびたび衝突している中国に対する脅威論の台頭も、授賞の背景にありそうだ。

 一方、こうした“警告”に対して、中国は激しく反発している。

 「ノーベル平和賞に対する冒とくだ」との外務報道官名のコメントをウェブサイトに掲載したほか、ノルウェー政府との外交関係にも影響が出ると予告した。中国政府はノルウェー政府に対し、劉氏への平和賞授与は中国とノルウェー両国の関係に「否定的影響を及ぼす」と圧力を加えたほか、報道官は9月末に「法律を犯して刑罰を科された人物。ノーベル平和賞の趣旨に反する」と述べるなど、人権問題で国際社会の批判を浴びることに警戒感を強めていた。

 また、劉氏の妻、劉霞さん(49)は当初、北京市内で記者会見する予定とされ、自宅近くには海外メディアの記者ら約100人が集まっていた。しかし、授賞決定が発表されても劉霞さんは現れず、自宅に通じる道は公安当局者に封鎖された。香港の人権団体「中国人権民主化運動情報センター」は、劉霞さんや親族が取材を受けることを公安当局が禁止したと伝えた。

 報道管制も敷かれた。授賞発表を生中継していた米CNNや英BBCの映像も、劉氏の授賞決定が伝えられると画面が真っ黒になり、音声が聞こえなくなった。NHKの海外向け放送も、関連したニュースになると同様の状態となった。

いや、そういう体質から脱却せずにそういうことを繰り返すから内外から批判を受けるのだということが理解できないのだろうか・・・

 

<参考ページ>
08憲章全文(日本語)
(本日、このページへのアクセスが殺到しています・・・)

被災のラダックとドゥクチュへ支援のお願い

2010年08月17日(火)

震災のジェクンド、先日第一報を書いた地滑り被害のドゥクチュのほか、チベット文化が伝わるインド・ラダックでは洪水が発生と、ここのところチベットで天災が相次いでいます。

今月発生したラダックとドゥクチュの被災に関し、ダライ・ラマ法王事務所から支援のお願いのアナウンスがありました。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2010/100816_bokin.html

何卒ご協力お願い致します。