バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第6部 北インド

ダラムサラ-4 ~バグス滝とダライ・ラマ公邸

2007年9月1日

昨日と同じく、明け方は大雨だったが起床する頃にはやむ。割といい天気になってくれたので、昨日霞に阻まれて見そびれたバグス滝に再チャレンジする。
途中のヒンドゥー教寺院(シヴァ寺院)に併設されたプールのようなものに、この日は人の姿が見られた。彼らが沐浴する姿を見てようやく、それが沐浴場であることに気がついた。

沐浴する人
沐浴する人
バグス滝
バグス滝

この日はバグス滝がしっかりと見える。高さ20mほどでそんなに大きな滝ではないが、山あいの自然の風景が心に一服の清涼感を与えてくれる。いかに僻地の小さな街とはいえ、ここと比べたらダラムサラとて文明の手が加わった人里なのだから。
食堂内部
ダライ・ラマの写真とラサの俯瞰図が掲げられた食堂

街に戻って昼食。まだ腹の調子が良くないのでテントゥク(すいとんのようなもの)1杯で済ませる。
食堂の壁には、ダライ・ラマ14世の写真が掲げられ、その横には祖国の首都・ラサの俯瞰図も掲げられている。中国の占拠下にある現在のチベット本土では禁じられているダライ・ラマの写真掲示という自由を享受している一方で、祖国を離れざるを得なくなってここまで逃れ、今でも望郷の念を抱いている彼らの複雑な現状をを映し出している光景だった。

ダラムサラに来て3日目になるが、まだ肝心な場所を訪れていなかった。ダライ・ラマの公邸である。
ダライ・ラマ邸はマクロード・ガンジの南東端に位置している。勿論、門は固く閉ざされていて、謁見の許可でも得られない限り中に入ることはできず、外から見ただけでよしとしなければならない。
一応、Palace(宮殿)と呼ばれてはいるが、建物はラサのポタラ宮やノルブリンカと比べては気の毒なくらい小さく質素だ。 山の上という地形的な問題で建てられないということもあるだろうが、難民たちの苦しい生活を考えれば、謙虚なダライ・ラマ14世が豪奢な宮殿を建てることに首を縦にふる訳もないだろう。
しかし、問題なのはなぜダライ・ラマがポタラ宮やノルブリンカのような立派な御殿に住めないかということではない。なぜ法王はポタラ宮やノルブリンカに居ることができなくなったのか、即ち、なぜ法王はラサを、チベットを離れなければならなかったのか ―― 問題の根本は、そこにある。
ダライ・ラマ邸
ダライ・ラマ邸
ツクラカン
ツクラカン

ダライ・ラマ邸の正面にはダラムサラの中心寺院・ツクラカンがある。派手さや豪華さは無いがしっかりとした造りで、1000人は収容できそうなスペースを有している。勿論、仏像もマニ車もあるのでしっかりとお祈りとコルラをさせていただいた。
明後日からのティーチングもこの寺院で行われることになるのだが、床をよく見ると早速場所取りが始まっている。宿に戻ってからアキにこのことを話して「僕たちも行きましょう」ということになり、準備をして再びツクラカンへ向かう。なぜかルンタ・レストランの女将さんの娘さんたち3人(小学生)がお供として着いてきた。
場所取りを済ませた後、中庭で「こんにちは」と日本語でインド人に声をかけられる。どうやらデリーの日系企業で働いていて日本語を学習しているようだ。最近では日本企業のインド進出が目覚ましいとは聞いていたが、肝心のデリーではそのことを実感する機会は全く無く、思いがけず山奥のダラムサラで初めてその一端に触れることとなった。

2007年9月2日

翌日から始まるティーチングに備えてという訳でもないのだが、この日は近所でインターネットをした以外は宿でゆっくりと過ごす。
しかし、夜になって体に変調が発生した。先日からの下痢は既に収まっていたのだが、今度はキリキリとした激しい胃痛に見舞われてしまう。ティーチング参加に黄信号が点った。

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