バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第10部 ベトナム北・中部

ラオカイ-サパ ~北ベトナムの山岳地帯へ

2007年11月28日

雲南・河口から中国を脱出し、22日ぶりのベトナム ―― この日朝までいた雲南・元陽の寒さと比べると、日差しがほどよく暖かくて心地よい。

中国国境の街ラオカイから、サパという、山地の中にある山岳民族の街へと向かおうとバスターミナルへ行ってみたが、正規のバスは無く、5万ドンというふざけた値段をふっかけてくるワゴン車の運転手がいるだけ。それを振り切って料金表のある場所へ行き、「サパへは2万5000ドンか…」と指さしながら確認したところでようやく、その値段で行ってくれる乗り合いワゴンに案内してもらった。
車に乗り込んで暫く待っていると、日本から来た母娘と一緒になり、何か通じるものを感じて話を始める。
しかし、車はなかなか出発しない。1時間以上客待ちをした挙句、人や客を乗せるだけ乗せて出発。
「これじゃ燃費悪いですよね」
移動しながら日本人の母娘とそんな話をしていたら、案の定、途中でガス欠になった。

サパへの道中、車窓からは雲南の人々とよく似た民族衣装の人々が歩く姿、そして山肌に切り開かれた棚田の風景が見える。何か、まだ元陽からの延長線上にいるようだ。

サパに到着したのは夕刻。車を下りるや否や、宿の客引きの女性たちが一斉に寄ってきた。
私と日本人の母娘は既に泊まる宿を決めていたので、彼女らを相手にせずそのままずんずん進むが、彼女らはそれでもまとわりついてくる。そして、私たちがQueen Hotelの入口をくぐると、 女性たちの一部が、
「やったぁ!!」
と歓声を上げる。どうやら、隣のピノキオ・ゲストハウスと張り合っていたようだ。
[いや、ここは人気あるからそんなに頑張って客引きしないでも…]
とも思ったが、当人たちはやはり1人でも多くのお客を、と必死なのだろう。
私はドミトリーの部屋に入り、入口近くのベッドを選ぶ。

宿を決めてそれから散歩に、という頃には既に薄暗くなっていた。街をじっくり観察するは明日に回すことにして、宿も一緒になった先ほどの母娘と、取りあえず散歩と食事に行くことにした。
サパ教会
夕刻のサパ教会

サパ教会近くのレストランで食事中、母親の方が私と同じく京都で学生時代を過ごしていたことが分かる。
「京都のどこで住んでいたの?」
と聞かれ、
「それを言ってしまうと学校名がばれてしまいますけど…」
と言いつつ、京都時代に住んでいた場所を告げると、
「ほらァ」
と、彼女は娘の方を見てニヤリと笑う。そして次に出た言葉が、
後輩♪」
何と、私の大学の先輩だったのである。聞けば、旦那さんも同じ大学だったという。
これまで、旅先で同じ大学の後輩に会ったということは何度かあったが、年齢の離れた先輩に会うのはこれが初めてだった。日本から遠く離れた場所にいながら言うことではないかもしれないが、世間は狭い。

それにしても、街を歩いている時も、食事をしてる最中も、物売りがしつこい。ベトナム人も、このしつこささえ無ければ本当にいい人たちなのだが…。

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