バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

バラナシ(2)~火葬ガート

2011年10月18日

バラナシで過ごしたこの日、日中はガートをぶらぶらして過ごしたのだが、その中で一番時間を費やしたのがハリシュチャンドラ・ガートだった。
このガートは、火葬場である。火葬場ガートといえばマニカルニカー・ガートが有名なのだが、このガートはマニカルニカーのように旅行者に対して“薪代”を要求してくる連中(薪代と言いつつその金は彼らの酒やドラッグに換わるらしい)もおらず、ゆっくりと火葬の様子を見ることができる。よその家の火葬の様子を見るなど悪趣味で不謹慎だと思われるかもしれないが、そうしていると人の“生”と“死”について考えることができるので、私は決して悪いことではないと思っている。
但し、煙や炎が写真に入っただけでトラブルの原因になるので写真撮影には注意すること(と言うより、撮影しないのが身のため)。

日中ともなると、火葬場ガートには梯子様の担架に乗せられて布にくるまれた遺体がひっきりなしに運ばれてくる。遺体はまず、ガンガー(ガンジス川)の水辺に運ばれ、ガンガーの水で清められる。こんな汚い水でも、彼らにとってガンガーの水は聖水なのである。

そして、殆ど丸太の太い薪が岸辺に組まれ、その上に遺体が載せられる。よく見ると、遺体によって薪の量が違っている。社会的地位、あるいはカーストによって、薪の量が変わってくるのかもしれない。
薪の上に載せられた遺体の上に更に薪が置かれ、僧侶がかすかに火のついた藁束を手に、遺体の周りを回りながら清めるように煙をふりかける。何周かした後、遺族とおぼしき人々が僧侶について更に遺体の周りを回る。不思議なことに、その遺族の中に女性はいない。いや、その火葬場そのものに、海外からの旅行者以外に女性が一人もいないのである。宗教上の理由からだろうか。

そして、僧侶がその藁束を別の者に渡すと、渡された者はそれを強く振って火の勢いを強める。その藁束は再び僧侶の手に渡り、薪の下に差し込まれる。火葬の開始だ。
薪が太いので、火はなかなか強くならない。時折火薬が投入され、火は次第に勢いを増していく。薪のほかに、遺体をくるんでいた華やかな布や遺体を運んできた担架も燃料として投入される。
やがて火は、赤々と燃えて薪を、遺体を焦がしていく。そして真っ黒になった遺体の頭の形が、腕の形が露わになる。数日前までは命を宿していて、先程までその顔かたちをはっきりと留めていた人間が、単なる“モノ”へと変わっていく過程だった。肉が燃え残ろうものなら、近くの野犬の餌にすらなってしまうのである。
燃え尽きた後は、ガンガーから甕にくまれた“聖水”を僧侶が振りまいて残り火を消すことになる。使い終わった甕は、焼け跡のそばで地面に叩き付けられて粉々にされる。

そこから先は見ていないが――恐らく、灰となった遺体は風に乗ってどこかへ飛ばされるか、ガンガーの水に流されるか、或いはそのままガンガーの岸辺の土と同化していくのだろう。

ヒンドゥー教の死生観についてはよく分からない。しかし、傍目で見ていた私はやはり仏教の死生観から、目の前で焼かれていった者が「よき来世を得んことを」祈るばかりだった。

人が“世を生きるための仮の姿”を消していく現場を見ながら、私はやはり“生”と“死”について思いを巡らせていた。

――人はいずれ死ぬ。

その時になって、
「悔い無き人生だった」と思うことができるか?
「“良く生きること”ができた」と思うことができるか?
「世のため人のため、何かをなし得た」と思うことができるか?

今回、比較的長い時間をかけてラダックを巡ることを思い立ったのも、実はいつ訪れるか分からない死の間際に「ラダックにだけは行っておきたかった」と思いたくなかったからだった。
しかし、ラダック行きを実現した今でも、やりたいことはごまんとある。人間の煩悩は108程度では済まないのではないかと常々思っている。

「悔い無き人生だった」と思いたい。
「“良く生きること”ができた」と思いたい。
「世のため人のため、何かをなし得た」と思いたい。

実はこれらも、全ては煩悩である。

そう考えると、私はまだまだ全く生き足りていない。
全てにおいて「悔いなく」「良く」「世のため人のため」完全に生き切ることは至難の業だろうが、その域に少しでも近づけるよう、いつ訪れるか分からない最期の時まで、精一杯、全ての力を出し尽くして生きていきたい。

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