バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

東ラダック」の記事

チェムレ・ゴンパ

2011年9月22日

タクトク・ゴンパから更にレー方面に戻るが、ここでまたちょっと寄り道。チェムレ・ゴンパを訪れた。
チェムレ・ゴンパは山腹に建つ幾つもの僧房に守られるようにして岩山の頂の上に立派な本堂が建てられている。
チェムレ・ゴンパ
個人でこうした山上のゴンパへ行く時、私は大概正面突破で麓から攻略しようとするが、今回は車で山頂の入り口まで運んでもらい、かなり楽をさせていただいた。その途中、年配の僧侶が私たちの車を止めて「乗せてくれないか?」と頼んでくる。すると、運転手は快くそれに応じて彼を頂上まで乗せてあげた。さすが、ラダックでは僧侶はいつどんな時でも大切にされるものだ。

中庭から直接入ることができるドゥカンをまず見学。ここは壁に描かれた無数の仏様が見ものだが、中には明らかに近年になって描かれたものもあった。
そのドゥカンを出たところで、先ほどとは別の老僧に連れられた若い女性と出くわした。
「あ、こんにちは」
そう挨拶されて気がついた。彼女は先日バスでティクセ・ゴンパを訪れた時に少し一緒になった日本人女性だったのだ。以後、私と吉田さんもそれに便乗する形でゴンパを歩き回る。
その次に訪れたグル・リンポチェ・ラカンも、正面に安置されたグル・リンポチェの像や壁に描かれた忿怒尊の絵が見事な部屋だった。
忿怒尊の壁画

しかし、このゴンパで一番見応えがあったのが、屋上に設置された博物館だった。
外目にはそんなに広いとも思えないのに、どうやってこんなに多くの部屋を造ったのだろうというくらい、展示室と展示物の充実した博物館だった。仏教の儀式の用具から生活用具までさまざまなものが展示されている中、最も印象的だったのが仏陀の生涯を描いたシリーズもののタンカだった。
(博物館内部は暗く、フラッシュ無しでは撮影不可能だったため写真なし)

その後も、ドルマ・ラカンやラマ・ラカンを、老僧に扉を開けて頂いては見学。いずれも、間違いなく一級品であろう像や小型チョルテンが並ぶ一級品の部屋だった。
それでも一番印象に残っているのがやはり博物館だったということが、その充実ぶりを示していると言えるだろう。

「いやー、見応えありましたね」
私と吉田さんは言い合った。今回の1泊2日の小旅行のトリがここになったというのは、最高の締めくくりだと言って差し支えあるまい。

後は、吉田さんはストクの「にゃむしゃんの館」まで、私はレーへ戻るばかりである。ここで、先ほどの女性が今度は私たちに便乗して、レーまで同乗することになった。

パンゴン・ツォとの別れ~ヤクとの出会い

2011年9月22日

車は昨日来た湖畔の悪路を、今度は立ち止まることもせずにひたすら走り続ける。しかし、昨日は山々を映し出していた部分もあった湖が、今は一面のブルーになって私たちの右手に横たわっている。これを見てカメラの虫がうずくのを抑えられるほど、私は我慢強くはなかった。カメラのシャッター速度をかなり早めに設定すると、私は車の窓を開け、湖との名残りを惜しむかのように青い湖面を写真に収め続けていた。
パンゴン・ツォ

やがて湖を離れて峠道に入ると、それも叶わなくなった。車はパンゴン・ツォに別れを告げ、来た時と同じように峠道をひた走り、チャン・ラ峠を越えていく。

峠を越えて20分ほどした時のことだった。
草原の中に牛のような動物がいるのが見える。しかし、普通の牛ではない。長い毛をふさふさと伸ばしていて、角も牛より長い。
ヤク
――ヤクである。
今回の旅で、これまではヤクと牛の交配種であるゾばかり見てきたが、正真正銘のヤクにはなかなかお目にかかれずにいた。
実は、それが私にとっては大きな不満だった。

[どうして、チベット文化圏に来ながらこうもヤクに巡り合えないのだ?]

レーの土産屋には「Yak Yak Yak」とか「Hard Rock Yak」などと刺繍されているTシャツが売られているにもかかわらず、である。
ヤクのいないチベット文化圏なんて――と思い始めていた矢先の出会いに、私はようやく、チベット文化圏に来た感慨をほぼ完全に満たすことができた。後は、ヤク肉の料理さえ食べられたら・・・(おい)

(ちなみに、ヤクとゾの見分け方は、角が後ろに反っているのがヤク、反らずに上に伸びているのがゾであるとのこと)

パンゴン・ツォでホームステイ(2)

2011年9月22日

まだ夜も明けきらぬ薄暗い中、カメラを片手に外に出かける。パンゴン・ツォはまだ黒く染まったままだが、湖の西の向こうにそびえる山とそれにかかる雲は赤く染まり始めていた。
そして、6時半。湖の東の向こうの山の上に明るい光の塊が浮かび始めた。
日の出である。
日の出
折しも、この日は秋分の日の前日。あの太陽はほぼ真東に姿を見せているはずである。

それからは、朝の散歩がてら湖と農村の姿を写真に収めて歩く。
岸辺に近づいたところで、昨日から探してみてありそうでなかなか無かったタルチョ(五色の祈祷旗)をようやく廃屋(もしくは建設中の家屋)の屋根の上にようやく見つけた。やはりチベット文化圏の湖にはこれがなければ様にならない。
パンゴン・ツォとタルチョ
その他、賽の河原に積み上げられるような石の塔が幾つも湖の岸辺にあるのも印象的だった。
パンゴン・ツォと石の塔

午前8時。ホストファミリーの家に戻ってラダック風パンとバター・ジャムとミルクティーという朝食を頂く。簡素な食事だが、この簡素さが田舎でのホームステイらしくていい。

午前9時。車に乗り込んでレーへの帰途に就く。僅か一晩だったが、景色も空気も人も、全てがゆったりとしていて心地の良い一晩だった。ホストファミリーの皆さんには大変お世話になり、別れが名残惜しかった。
ホストファミリーの皆さん
ホストファミリーの皆さん、お世話になりました。

パンゴン・ツォでホームステイ(1)

2011年9月21日

この日はパンゴン・ツォのほとりで一夜を明かす。泊まるのはゲストハウスではなく、民家の一部屋を利用した雑魚寝部屋だ。このような宿泊形態を、ラダックでは「ホームステイ」と呼ぶ。

私たちが泊まったのは、スパンミクの山側の斜面を少し上がった所にある民家だ。若い夫婦と、老夫婦の4人で経営しているアットホームな所だ。皆穏やかないい人柄で、おじいさんは足が悪いものの気持ちはまだまだ元気である。
201109210401.jpg

日が暮れるまで辺りの写真を撮り歩く。高台から望むパンゴン・ツォとその向こう側に見える山々の景色は雄大であり、その手前に見える農村風景は牧歌的で、自然とスローライフという2つのテーマが実によくマッチしている。
201109210402.jpg

日が暮れて、食事時となった。台所と居間が一体になった部屋に通され、今回の旅で初めてとなるテレビを見つつ、奥さんが作ってくれた、豆や野菜を炒めたベジ料理をご飯にぶっかけた素朴な料理を頂く。
201109210403.jpg
民家の台所で料理を準備する奥さん

「おかわりはいかが? どんどん食べてください♪」
こういう温かさもホームステイらしくていい。

食事が終わり、外に出てみると、レーやストクで見る以上に見事な星が空を彩っていた。天の川まではっきりと見ることができる。(写真撮影は失敗)

気がかりだったのは夜寝る時の寒さだった。今回初めての寝袋の出番か?とも思ったが、外の寒さと比べ、室内は暖房も入っていないのに十分に暖かい。服装をしっかり重装備にすれば、備え付けの綿の掛け布団1枚で十分に快眠できた。

パンゴン・ツォ

2011年9月21日

車が進むにつれ、パンゴン・ツォは次第にその姿を露わにしてきた。一段高い所に敷かれた道路の下に、真っ青な湖面を横たえている。
真っ青な湖と言えば、私はこれまでにも、チベットのココ・ノール(チベット名:ツォ・ゴンポ、漢字名:青海湖)、ナムツォ、ヤムドク湖やペルー~ボリビアのティティカカ湖などを見たことがあるが、それらに比べると青さがやや淡い気がする。しかし、それはまだこの地点が湖の端っこで深さが足りないせいもあるかもしれない。
201109210301.jpg
クリックでパノラマ写真表示

最初のドライブインで暫く湖を散策。さすがにチベット文化圏の湖だけあってタルチョも飾られている――のだが、チベット本土のナムツォに比べるとその数が圧倒的に少ない。更に、その後南岸を南東へと進むことになるが、それ以降タルチョは殆ど見られなくなってしまった。

ここから先の湖岸の道は悪路が続いた。四駆の車でなければ進むことはまず不可能だろう。

少しばかり東へ進んだところで、運転手が「ここもビュースポットですよ」と車を停めた。どうやら、パンゴン・ツォを一躍有名にしたインド映画『Three Iriots』の撮影現場がここだったらしい。
ここでは、残念ながら湖の青さは影を潜めていた。その代わり、逆さ富士のように周囲の山々が湖面に移るという別な形での美しさを見せてくれた。
201109210302.jpg
ここで、湖の水をちょっと口に含んでみる――少ししょっぱい。塩湖だった。

更に悪路を南東へと進み、この日の宿泊場所となるスパンミクを一度通り過ぎてマラクへと向かう。
実は、マラクは現在のところパンゴン・ツォ湖畔で外国人が行くことができる限界地点であり、しかもほんの昨年まではスパンミクまでが限界地点だったのだ。

なぜ、外国人の行ける場所が制限されているのか――その答えは即ち、この湖に行くためになぜパーミットやパスポートチェックが必要なのかの答えでもある。

実は、パンゴン・ツォはインドと中国チベット本土の国境を跨いで大地に横たわっている(インド・ラダック側は湖全体の4分の1にすぎない)のである。そしてこのエリアは、インドと、チベットを占拠している中国との国境紛争(1962年)の舞台となったのだ。そういう敏感な場所であるが故に、外国人の入域が厳しく制限されているのである。
201109210303.jpg
湖の東側(右)と山の向こうは中国チベット本土だ

ラダックを訪れる旅行客に人気の湖にはパンゴン・ツォのほかにツォ・モリリという所もある。人によってはツォ・モリリの方が神秘的でいい、と勧めることもある。しかし、私が敢えてパンゴン・ツォを選んだ理由にはこれがあったのだ。

[この湖は、チベット本土と繋がっているのだ・・・]

湖の青さを見るまでもなく、その事実があるだけで、パンゴン・ツォを目の前に私のテンションはピークに達した。
そして、東の方に向かって私はひっそりと叫ばずにはいられなかった。

Free Tibet!!

パンゴン・ツォへの道

2011年9月21日

次の目的地は、パンゴン・ツォである。「ツォ」とはチベット語で「湖」という意味であり、パンゴン・ツォは東ラダックにある東西113kmの巨大な湖である。しかし、今回行けるのはその西の端の方にすぎない(その理由についてはまた別途記述する)。

ティクセから暫く南東に進み、カルという街で進路を北東へと変更する。ここで、1回目のチェックポイント。パスポートとILPと呼ばれるパーミットのコピーを提出する(察しのいい方ならこれだけで目的地がどういう場所だか、お分かりになることだろう)。

チェムレ・ゴンパを横目に通り過ぎ、8時45分ごろ、車は峠道に入る。つづら折の道をずんずん登っていくうちにこれまでは遠目に見上げていた雪山がどんどん間近に迫ってくる。しまいには道の脇に雪が積もるようになってきた。
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9時30分。峠道のピークであるチャン・ラ峠に到着。海抜5360mというとてつもない高さの峠だが、こんな高い所でもバスが通っているという。
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ここで無料の紅茶を頂いて体を温める。更に、峠に建てられた寺院にもお参りを――しようとしたのだが、参堂がタルチョで飾られていた割には祀られていたのはヒンドゥー教の神々だったので、お参りはやめて見るだけにとどめた。

峠を越えれば後は下るばかりだ。やがて峠道は終わり、その後はひたすら谷あいの道を進む。
暫くして、2回目のチェックポイント。ここではILPの提出のほか、台帳に氏名・国籍・パスポート番号・サインを記入させられる。こういうこと、以前にこの近辺のどこかでやった覚えがある・・・
更に、チェックポイントとは関係ない全く別の場所で通行料10ルピーを支払う。

そして、正午少し前、灰色の砂が川のように横たわる谷の向こうに、真っ青な湖が顔を見せた。
201109210203.jpg
パンゴン・ツォ到着まであと少しである。

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