バス憧れの大地へ

雑記ブログ

関西100名城巡り―飯盛城、大阪城

2022年10月11日

大阪府高槻市の芥川山城、高槻城を訪れた後、JR高槻駅から東海道線で新大阪駅へ。そこからおおさか東線で放出まで乗って更に学園都市線で四条畷で下車。ここで目指すは大東市・四条畷市にまたがる飯盛山の頂に築かれた山城・飯盛城(続100名城 No.160)だ。
飯盛城のスタンプは大東市立歴史民俗資料館、四條畷市立歴史民俗資料館、大東市立野外活動センターの3箇所にあるが、野外活動センターは駅から遠く、四條畷資料館はこの日休館していたため、当初は大東資料館最寄りの野崎駅に荷物を置いて飯盛城まで登り、同じ道を戻る計画だった。しかし、生憎野崎駅にはコインロッカーが無かったため、計画変更。荷物を四条畷駅のコインロッカーに預けて大東資料館まで徒歩で戻り、スタンプを頂いてから大東側の登山口から登り、飯盛山を縦断して四条畷側に下ることにした。
11時20分、登山口のある野崎観音から、いざ登山開始。
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飯盛山登山口のある野崎観音
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野崎城
登り始めてすぐに、野崎城の跡に行き着く。南北朝時代に四条畷合戦の舞台になった城だという。
40分ほどで、石垣跡が目に入った。ここが飯盛城入り口の「虎口」だという。
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飯盛城の虎口と石垣跡
更に南丸、千畳敷郭、堀切、土橋を経て、登山から50分ほどで、山頂の飯盛城本丸に到着した。遺構は石垣が残るくらいで、あとは石碑や展望台、銅像、防空監視所跡などが見られる。
飯盛城は、やはり南北朝時代の四条畷合戦の舞台になった城で、本丸に立つ銅像は当時の南朝方の武将・楠木正行のものだ。戦国時代には飯盛城の戦いが起こり、その後、芥川山城でもその名が挙がった三好長慶の居城となった。
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飯盛城跡
山頂の標高は316mとそこまで高くはないが、東に目をやると、天気に恵まれていたこともあり、大阪の街が見渡せるのみならず、摩天楼群の向こうに大阪湾、更には淡路島、明石海峡大橋まで見渡すことができた。
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飯盛山からの眺望
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飯盛山
南から登った飯盛山を、下りは北側へ。 伝倉屋敷跡、三本松郭跡、堀切跡、二の丸史蹟碑を経て、12時50分、四条畷側の登山口に出た。
四条畷駅近くで遅めの昼食を頂いて、今回の旅最後の城へと向かう。

締めくくりの城は、大阪城(100名城 No.54)。一度訪れたことはあるが、100名城巡りを始める前のことだったので、今回スタンプを頂くために訪れた。
JR大阪城公園駅のコインロッカーに荷物を預け、城巡りに向かう。この駅からだと極楽橋を経由するのが天守閣への一番の近道だが、じっくり回りたかった私は雁木坂、桜門を経て天守閣へと向かった。
大阪城は言わずと知れた、豊臣秀吉の居城だ。とはいえ、大阪城は大坂の陣で焼失しており、現在に残る遺構は徳川時代に築かれたものだ。天守台も徳川時代のもので豊臣時代のものとは違う位置にあるが、その上に建てられた再建天守は豊臣時代のものを想像してのものだという。威風堂々としたいでたちで、特に最上層下部に設置された金色の虎のレリーフが印象的だった。
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大阪城天守閣
天守閣に入城して100名城のスタンプを頂き、最上層まで上るが、再建当時の法律の都合もあり、内部は鉄筋コンクリート造りでエレベーターもあり、城というよりは近代的な博物館だ。
残念ながら内部に関しては、先日訪れた姫路城ほどには心を揺さぶられることは無かった。
とはいえ、やはり外観には強く引き付けられる。天守閣を後にするにも何度もその姿を振り返った。
桜門を出て振り返ってみると、門のすぐ内側にある巨大な石垣の石(枡形巨石)の向こうに天守閣のてっぺんが顔を覗かせるという絶妙なアングルを見ることができた。
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桜門から覗いた大阪城天守閣と枡形巨石
大阪城公園駅に戻る際にも、最短距離は行かずに玉造門から南外濠と一番櫓を眺め、更に東外濠沿いに進んですっかり遠くなった天守閣を眺め、と、名残りを惜しむように大阪城公園を歩き回った。
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大阪城の南外濠と一番櫓
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東外濠から望む大阪城天守閣
これで今回の城巡りは終わり。伊丹空港から羽田へのJAL便で帰宅した。

3泊4日で兵庫・大阪の100名城6城、続100名城5城の計11城を巡り、ようやく3分の1に到達。まだまだ「道半ば」にも及んでいない。

関西100名城巡り―芥川山城、高槻城

2022年10月11日

早朝6時半、JR高槻駅を発着する巡回バスに乗車して、塚脇で下車。バス停には今回目指す、三好山(標高182m)山頂にあった山城・芥川山城(続100名城 No.159)の案内図が大きく掲示されていた。
バス停から坂道を上ること10分(標準タイム15分)、三好山の登山口に到着。ここから比較的緩やかな山道を登っていく。
途中何度か道先案内があり、観光地として整備されているように見えるが、実はこの山、私有地なので荒らさないように配慮が必要だ。
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三好山登山口
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「史跡 城山城跡」の碑
中腹を過ぎたあたりから多少急勾配になる。やがて「史跡 城山城跡」の碑が現れた。単なる山道のようにも見えるが、ここは既に城域内なのだ。
登り始めてからものの20分で、山頂に到着。少々拍子抜けだった。
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三好長慶を描いたパネルと、三好山からの光景
芥川山城は戦国時代に建てられた山城で、細川晴元を追放してこの城に入った三好長慶がここを拠点に、室町将軍足利義輝をも追いやって畿内を支配下に置いた。即ち、当時の畿内を統括する拠点がこの城だったということになる。
三好長慶を描いたパネルが立てられた本丸の見晴台からは、高槻から大阪にかけてを一望することができる。三好長慶もこの光景を見ながら、畿内に号令をかけていたのだろうか。
本丸の更に奥には、天守閣に相当する主郭御殿の跡がある。三好長慶を祀る祠を隅に置くばかりの広場のように見えるが、土の下には発掘調査で発見された礎石等があるという。
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芥川山城主郭御殿跡
帰りも同じ道を下ったが、途中で少し寄り道して、大手筋というより急勾配なルートを下ってみた。1分ほどで、大手門石垣と呼ばれる石垣を斜面の途中に見ることができる。
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芥川山城の大手門石垣
元の道に戻り、下山。緩やかで歩きやすい下り坂だったので、ほぼ走って下ったところ、登山口の看板に「三好山へ 40分」と書かれていたルートを往復で45分で歩き切る結果となった。

予定より早いバスで高槻駅まで戻ることができたので、その足でまず9時すぎに阪急高槻市駅の高槻市観光協会事務所に赴いて、続100名城のスタンプを頂き、そして高槻市駅から徒歩10分ほどの場所にある高槻城跡にも行ってみることにした。
高槻城は100名城にも続100名城にも数えられていないが、先程訪れた芥川山城の支城で、江戸時代には高槻藩の藩庁にもなった城である。明治の廃城令で取り壊され、今では公園化されていて、園内には復元された天守台(本来の位置とは違う場所らしいが)や、一時期城主であった戦国時代のキリシタン大名・高山右近の像が立てられている。
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高槻城公園
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高槻城跡の碑
高槻城公園の北西隅には「高槻城跡」の石碑が石垣の土台の上に建てられている。しかし、この時石碑は工事のフェンスで覆われていた。どうやら公園一帯が再整備工事の真っ最中のようだった。

関西100名城巡り―黒井城、篠山城

2022年10月10日

出石城を訪れた後、まずバスでコウノトリの里として有名な豊岡へ。かなり日本海に近づき、兵庫県縦断も間近だったが、ここで再び南へと針路を変える。
JR山陰線の特急こうのとりで福知山へ。ここには続100名城No.158・福知山城があるが、福知山城は2019年に訪れたことがあるので今回は素通り。そのままJR福知山線に乗り継いで次に向かう。
下車したのは、兵庫県丹波市の黒井駅。ここにあるのは黒井城(続日本100名城 No.163)(別名保月城、保築城)だ。駅にはコインロッカーが無かったので、続100名城スタンプが置かれている春日住民センターに大きな荷物を置かせてもらい(『預けてもらい』ではなく、ただ単に置くだけ)、いざ城跡へと向かう。
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城山。この山頂に黒井城跡がある
黒井城は城山(標高356m)の山頂に築かれた山城だ。14世紀前半に赤松貞範によって築城され、戦国時代には赤松直正と明智光秀(先程素通りした福知山城の城主)が攻防戦を繰り広げ、光秀が攻め落とした歴史を持つ。
山城なので当然山登りになる。低い山とはいえ結構急峻だ。「ゆるやかコース」と「健脚コース」があり、登りはゆるやかコースを歩いたが、それでもかなりの急勾配である。しかも、入ってすぐの地点と、山頂手前の地点の2箇所に、熊よけの扉がある。少し緊張感を持って山道を進んだ。
20分ほどで山頂に到着。まずは東曲輪跡の石垣が出迎える。
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黒井城東曲輪跡
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黒井城三の丸跡
更に三の丸、二の丸と突き進む。この山を麓から見ると山頂がテーブルのように平らになっているのが印象的なのだが、歩いてみると実に、小山の上の城にしては広い敷地面積になっている。
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黒井城本丸
そして本丸に到着。360度見渡せる眺望が見事だ。ここから赤松直正が明智光秀を迎えたのかと、想像力がかき立てられる。
一番奥には「保月城跡」の石碑が、山頂の城跡全体と城下を見渡すようにたたずんでいた。
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黒井城本丸の「保月城跡」石碑
帰りは「健脚コース」を歩いて急いで下山。荷物をピックアップして再びJR福知山線に乗り込んで南へ。
16時、篠山口駅に到着。次の城は16時30分で入場が終わる。大事を取ってタクシーを利用したが、10分ほどで入場口前に到着することができた。
この地の名城は、篠山城(日本100名城 No.57)。関ヶ原の戦いの後の江戸時代初期、豊臣氏や西国の外様大名に対する備えに、徳川家康が池田輝政や藤堂高虎らに築かせた城だ。東南隅に天守台はあるものの、余りに強固にできすぎたために天守閣が築かれなかったという。
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篠山城大書院
天守閣の代わりに篠山城を象徴するのが大書院(復元)。一層建てながら三角屋根が印象的な堂々としたその姿は、どこか京都の二条城を思わせる。
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篠山城大書院内部
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篠山城の石垣と堀
大書院内部の参観と城跡巡りを終えて再び城外に出る。あらためて石垣や堀に注目してみると、先述した「強固すぎて天守閣が建てられなかった」というエピソードがさもありなんと思えてくる。

本日の城巡りはこれで終了。篠山口駅から福知山線で一気に尼崎まで出て、東海道・山陽本線に乗り継いで3日間巡ってきた兵庫県に別れを告げて、大阪府に入る。
この日は、高槻で一泊。次の日も朝一番で城巡りだ。

関西100名城巡り―竹田城(2)、出石城・有子山城

2022年10月10日

午前5時、スマートフォンのアラームの力を借りて起床。支度して表に出てみると、昨日悩まされた雨は降っていない。
宿から歩いて1分の竹田駅に待機していたジャンボタクシーに乗り込んで5時25分、雲海ツアーへと出発する。
前日「まちなか駐車場」から30分かけて歩いた道だったが、車だと10分足らずで立雲峡の駐車場に到着。既に多くの乗用車が停まっていたが、ツアーのガイドによるとこの日は少ない方で、多い時は駐車場に入り切れず坂道の途中に路上駐車する車も多いという。
環境整備協力金(300円、今回はツアー料金に含まれていた)のチケットを管理小屋で渡して、展望台へと向かう。タイムリミットは7時20分だ。
昨日下見に来た第三展望台を通過して、第二展望台へ。大部分の人は更にその上の第一展望台・立雲峡テラスまで登っていたが、私は
・ここが竹田城とほぼ同じ標高だというので、むしろちょうど良さそう
・この日は他にも山登りを控えているので体力を温存したい
・腰を据えてシャッターチャンスを待つ時間を多くしたい
ということで、ここで足を止めて、三脚を立てて一眼レフカメラをセッティングし、「その時」を待つことにした。
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立雲峡から見える、竹田城背後の山

午前6時。辺りは一面の雲で真っ白。何も見えない。雲が出ているという天候は、今回狙っている風景を見るには好条件なのだが、少し高い所にかかりすぎている。
しかし、暫く待っていると、目当ての山の更に背後にそびえる高い山々が見えてきた。少し雲が薄くなってきたようである。もう少し低くなってくれれば…
じっくり待っているうちに、6時23分。雲の間にうっすらと何かが見えた――竹田城である。
初めは霞の向こうにうっすらとシルエットが見える程度だったが、みるみるうちに雲が薄くなっていき、昨日上った天守台の形がはっきり分かるようになってきた。
そして、6時30分…
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雲海の中にたたずむ竹田城
雲海の中に、竹田城の全貌がはっきりと見えるようになった
まさに、今回の旅で姫路城以上に目当てにしていたのが、この絶景だった。まさしく「天空の城」である。
しかしその僅か1分後、竹田城は再び雲に覆われて見えなくなってしまった。6時54分ごろに一瞬ちらりと見えはしたが、先程のように全貌が見えることは無かった。
[満足のいく写真は撮れた。これでいいだろう]
会心の一枚を撮ることができたし、これ以上いい気象条件になることは無さそうだったので、まだ少し時間はあったが、7時、三脚を片付けて展望台を後にした。

7時40分、宿に戻るや否や出発の準備をし、竹田駅へ。8時18分の電車で更に北へと向かう。
和田山駅で播但線から山陰線に乗り換え、8時40分、八鹿駅で下車。すぐにバスに乗り換えて30分ほどで、兵庫県豊岡市の出石に到着した。
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出石の街並み。右に見えるのが辰鼓楼
出石にある名城は、出石城・有子山城(続100名城No.162)。戦国時代に守護大名山名祐豊が有子山の山頂に有子山城を築城し、その麓に城下町が栄えた。城下町は今でも国の重要伝統的建造物群保存地区とされ、街中に建つ日本で2番目に古い時計台・辰鼓楼はその象徴的存在になっている。有子山城は1580年に羽柴秀吉に落とされ、その後1604年に廃城となり、山麓の郭と館のみが出石城として江戸幕府に届けられた。堀と石垣が現存のものとして残っている。
出石観光案内所で続100名城スタンプを頂き、荷物を預けて城巡りに出る。
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出石城。背後の有子山山頂に有子山城跡がある
出石城は本丸跡に建つ2つの櫓(復元)がシンボルとなっている。登城橋から城内に入り、二の丸からツイン櫓を眺め、櫓に挟まれた本丸を散策していると15分ほどで歩き尽くせるこじんまりとした城跡だ。
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出石城の石垣と本丸西隅櫓
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有子山城登山道入口
城跡東の鳥居が並び立つ階段を一番上まで歩くと「史跡 有子山城跡」と刻まれた石碑がある。ここからが有子山城の山道だ。
10分ほど登ってみたが、余りに急で、山登りに慣れているはずの私でも音を上げるほどだ。城跡まで行っているとバスの時間に間に合いそうにないし、この後どうしても山頂まで登りたい山が控えている。有子山城の史跡まで行くことは断念。出石城を巡り、山道に少しだけ足を踏み入れただけでよしとし、引き返すことにした。

城下町を少し散策している間に、いい時間になった。私は荷物をピックアップし、次の城へ向けてバスで出石を後にした。

関西100名城巡り―竹田城(1)

2022年10月9日

天下の国宝・姫路城を楽しんだ私は、姫路駅11時52分発のJR播但線に乗り込み、瀬戸内海沿いから兵庫県を北へと進む。
姫路では曇りの空模様だったが、山奥に入るにつれ、弱いながら雨が降ってきた。
寺前で一度乗り継いで、13時27分、竹田駅に到着。ここが本日の目的地だ。
駅からすぐの宿に荷物を預けようとしたがチェックイン時間前でスタッフが不在だったため、駅のコインロッカーに預け、先に駅にあった100名城スタンプを頂いて、傘を差すほどではない小雨の中、城巡りに出発した。

天空バス」に乗って向かったのは、竹田城(100名城No.56)。百名城巡りを始めて以来ずっと憧れ続けていた「天空の城」だ。
下車したバス停名は「竹田城跡」だったが、ここから竹田城址までは山の上まで坂道を上る必要がある。通常20分ほどというが、私は同じバスに乗ってきた大勢の観光客とかち合いたくなかったため、走りを交えて10分強で入城口まで上り切った。
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竹田城址入口
竹田城は、15世紀に応仁の乱の西軍総大将・山名宗全の配下大田垣氏によって、古城山(標高357m)山頂に築かれた山城だ。その後1580年に羽柴秀吉によって落とされて羽柴秀長などが城主となり、赤松広秀が城主の時に整備された。しかし関ヶ原の戦いで広秀が西軍について敗戦の将となり死亡し、その後廃城となるが、運よく石垣等の遺構はそのまま現在まで残っている。
入城口から階段を上っていくと山頂に到達。400年以上前の石垣が出迎えてくれた。
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竹田城の石垣
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竹田城二の丸から望む天守台
北千畳跡、三の丸を経て二の丸に出ると、天守台が見えてきた。
天守台は城跡一番の高台である。城跡全体を見渡せると同時に、眼下に雲が広がるその下に、円山川沿いの集落や田畑を望むことができる。
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竹田城天守台からの眺望
青空の下で見たい姫路城とは対照的に、この城は雲とのコラボが魅力。天候によっては周りが雲海に包まれて城が雲海に浮いているような光景を見ることができるとのことだ。今回はそこまでびっしりと雲が広がっている訳ではなかったが、下界がくっきりと見えるこの景色も見事であることは間違いない。
天守台からの眺めを楽しんでいる間に、雨が強くなってきて、傘なしでは厳しいほどになってきた。ここで城を下りることにする。
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竹田城南二の丸
南二の丸に出た頃には、辺りはすっかり霞に覆われていた――と言うより、竹田城そのものが雲の中に入ってしまったようである。

竹田城跡バス停まで歩いて下り、15時25分のバスで竹田の街中に戻る。但し、下車したのは最初に乗車した竹田駅ではなく、「まちなか駐車場」のバス停。ここで下りた方が次の目的地に近かったからだ。
目指したのは、竹田城のある古城山と円山川を挟んで対面にそびえる朝来山の中腹にある立雲峡。条件が良ければ雲海の上に浮かぶ竹田城を望むことができるスポットだ。
公共交通機関は無いので、自動車か徒歩ということになるが、健脚自慢かつペーパードライバーの私は勿論、徒歩で向かう。但し雨が相変わらず強いので、レインコートを着込んで出発する。
円山川の橋を渡り、暫く歩いたところで右側に立雲峡への道標が見えた。そこから先の上り坂は、アスファルトで整備された道だが歩道は無い。それでも天気のせいか、自動車の走行は殆ど無く、安心して歩くことができた。
まちなか駐車場からだと歩いて40分ぐらいかかるという道のりを、30分ほどで歩き切って、立雲峡駐車場に到着。ここには高さの違う展望台が幾つかあるが、その中の一番下にある第三展望台まで上ってみた。
しかし、古城山は何とか雲の中にシルエットが見えるものの、どれが城の遺構なのかさっぱり分からない。
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この日立雲峡から眺めた古城山
明日の早朝にもうワンチャンスある。この日の撮影は無理と判断して、下山した。

駅に戻って荷物をピックアップした後、宿に入る。
チェックイン時に、明朝(この日と同じく徒歩で向かうつもりだった)立雲峡に行く話になった。
「立雲峡までボックスタクシーで行く(ネット上では公開していない宿泊者にだけ教えている)ツアーがあるので、それに参加しませんか?」
この日のお試しで、歩いて上ることもそんなにきつくはないとは分かっていたが、翌日は竹田城以外にも山城を上る予定がある。体力を温存するため、そのツアーに乗ることにした。
これがラストチャンスだ。果たして、あの光景を写真に収めることができるか。

関西100名城巡り―姫路城(2)

2022年10月9日

姫路駅近くの宿で夜を過ごし、明けて午前8時、姫路城へと向かう。
天守閣の入城開始時間は9時。到着した時はまだ入城待ちの列がそんなに長くはなかったので、昨日訪れていない場所を回ってみた。
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姫路城の、黒田官兵衛普請の石垣

姫路城は14世紀中頃に赤松氏に建てられたものが起源で、その後戦国時代~江戸時代に黒田氏・羽柴氏・池田氏を城主とした間に拡張された。
天守閣の東南たもとに来てみると、立派な石垣を間近に見ることができる。これは名将・黒田孝高(官兵衛)の普請によるものだという。

8時半ごろ、入城列につく。
天守閣を眺めながらの待機となったが、前日の青空とは対照的に、この日は曇り空。「白鷺城」とも呼ばれるこの城の白壁は保護色のように曇り空にとけ込んでしまっていた。やはりこの城は青空の方が映える。
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姫路城天守閣
9時、入城開始。
しかし、入城口から天守閣までが遠い。平山城なので坂道が多く、門も多い。まず菱の門をくぐり、三国堀を横目に歩くと今度は「いの門」、二の丸、「ろの門」と続く。その先の、鉄砲等を撃つために開けられた狭間(さま)が二の丸に向けてずらりと開けられた城壁沿いの将軍坂を上ると今度は「はの門」。そこをくぐると、目の前に城壁。ここでも狭間の列が待ち構えている。
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姫路城の将軍坂
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姫路城の「にの門」
その先のヘアピンカーブも、防備の工夫の一つだ。更にその先にある「にの門」は天井が低いトンネルで、出口手前で90度右に曲がっている。出た先に鉄砲隊が待ち構えていたりしたら一たまりもない。
城はやはり、戦いのための設備だ。これでもかと言うくらい、鉄壁の守りを誇っている。
2つの小天守の横を抜けて、やっとのことで、天守閣入口に到着。所要時間は5分程度だったが、もっと歩いた気がした。
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姫路城天守閣入口
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姫路城天守閣内部
国宝である現存天守閣なので、内部は勿論木造。現役だった在りし日に想像力を巡らせながら、上へ上へと足を運ばせる。
上がるにつれて床面積が狭くなっていく。中からでも天守閣の形状がよく分かる。
急な木の階段を何度も上って、5層7階の大天守最上階に到着。
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姫路城天守閣最上階
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姫路城天守閣最上階からの眺望
最上階からは姫路の街を360度パノラマで望むことができる。これだけよく見えれば遠方から軍が押し寄せてきてもすぐに察知することができただろう。

天守閣を下りた後は、備前丸という大きな広場から、来た時とは違うルートで入場口近くの菱の門へ。
そこからすぐに出ずに、門右側の坂道を上ると、西の丸に行くことができる。
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姫路城西の丸
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姫路城西の丸の百間廊下
西の丸南端のワの櫓から北端の化粧櫓へと続く城壁内部には百間廊下と呼ばれる廊下が通っていて、内部を歩くことができる。江戸時代初期に本田忠刻の妻としてこの城に移り住んだ千姫(徳川秀忠の娘)のために造られたものだという。

存分に姫路城を堪能して、姫路公園の外に出る。入る時に既に見てはいたが、姫路城の堀とその内側を固める石垣も実に立派だ。
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姫路城の堀と石垣
姫路城の入城料金は1000円だが、隣接する好古園とのセット料金で1050円と、僅か50円のプラスで好古園を訪れることができる。時間があれば行ってみようとセットの入場券を購入していたが、何とか目標の電車に間に合いそうだったので少しだけ覗いてみることにした。
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好古園の御屋敷の庭
好古園は姫路城西御屋敷跡に、姫路市制100周年を記念して1992年に造られた日本庭園だ。見どころはいろいろあるが、私は時間が気になったので潮音斎、御屋敷の庭と松の庭だけ楽しんで、次の城へと向かうことにした。

関西100名城巡り―赤穂城、姫路城(1)

2022年10月8日

明石城登城後、明石駅で明石焼きを昼食として頂いた後、JR山陽線で西へ。一旦この日宿泊する姫路で下車して宿に荷物を預けた後、更に西へと向かう。

次に訪れたのは、赤穂城(100名城No.60)。江戸時代初期に浅野氏によって築城された平城だ。
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赤穂城三之丸大手隅櫓

播州赤穂駅から徒歩10分ほどで、外堀と三之丸大手隅櫓にたどり着く。その外堀に架かる橋を渡って大手門をくぐると、何度も角を曲がらされて城内を進む。
やがて内堀の向こうに立派な城壁が見えてきた。本丸門をくぐり、更に櫓門(100名城スタンプはここにある)をくぐった先が本丸である。
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赤穂城本丸の外側
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赤穂城天守台
赤穂城は明治の廃城令以降、多くの遺構が壊され、現在あるのは復元されたものだ。大きな天守台が奥にあるが、明石城同様、ここに天守閣が築かれることは無かった。

なお、赤穂城といえばあるエピソードで有名だが、私は、1人の老人を47人がかりで寄ってたかってフルボッコにした挙句に殺したあのテロル話が大嫌いである。

姫路から西は列車の本数が少ないので、うまく時間を調整して播州赤穂駅に戻り、再び姫路に戻る。
駅から出ると、(先ほど立ち寄った際に既に見てはいたが)一直線の大手前通りの向こう、約1.3㎞先にあの国宝の見事な天守閣がすっきりと見える。
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姫路駅前から見る姫路城
姫路城(100名城No.59)である。
そのまま歩いて城へと向かうと、堀に到着する300mほど手前に石垣があった。中曲輪がここまであったことを示す証拠である。手前の国道2号線はかつて中濠だったという。
外曲輪は更に今の姫路駅あたりまで広がっていたというから、驚きの広大さだ。
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姫路城中濠の城壁
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「国宝姫路城」の石碑
姫路駅から10分ほど歩いて「国宝姫路城」の石碑の立つ堀端に到着。その先の桜門橋が姫路城への入り口だ。
姫路城に来るのは今回が2度目。しかし初来訪は実に30年近く前で、大改修前であり、100名城のスタンプを集め始める前だ。ひとまず入城口横の管理事務所でスタンプを頂く。
既に入城時間を過ぎていたので、大改修後の姫路城内を巡るのは明日に持ち越し。少しばかり夕日が映える「白鷺城」を時々振り返りながら、姫路公園を後にする。
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少し夕日が映えた姫路城
夜になって夕食をとろうと駅前に出てみると、先ほども見たアングルで、大手前通りの向こうにライトアップされた姫路城が輝いていた。
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ライトアップされた姫路城

関西100名城巡り―洲本城、明石城

2022年10月8日

午前6時10分、東京からの夜行バスが神戸・三宮駅の西側に到着。休む間もなく、駅東の神姫バス神戸三宮バスターミナルに移動して、6時50分発の淡路島への高速バスに乗り込む。
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三熊山の上に佇む洲本城
明石海峡大橋を経過して8時すぎ、洲本バスセンターに到着。下車するとすぐに、三熊山の頂の上に洲本城(続100名城No.164)を見ることができた。

今回の旅は、兵庫と大阪北部の100名城巡りである。

洲本城を目指す途中で、ちょっと寄り道。大浜公園では、松原と砂浜の向こうに広がる大阪湾を望むことができる。
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大浜公園
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下の城の一角にある淡路文化史料館
洲本城には、三熊山の上の「上の城」と麓の「下の城」がある。「下の城」に残る石垣は江戸時代初期のものであるという。
下の城の一角にある淡路文化史料館で、開業前ではあったが続100名城のスタンプと案内図を頂くことができた。
三熊山に登頂するルートは東ルート、西ルートがある。私は距離の短い西ルートを登ったが、工事の影響で直登するルートしか選べず、標高133mしかないとはいえ、えらい急登を歩かされた。
10分少しで、石垣が見えてきた。そしてその先の本丸跡に、天守が現れた。
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洲本城模擬天守
洲本城は戦国時代に安宅氏によって築かれ、羽柴秀吉を総大将とする淡路討伐の後、仙石秀久、そして脇坂安治が城主となった。脇坂安治の時に天守と石垣が築かれるが、江戸時代に廃城。今ある模擬天守は1928年に展望台として築かれたもので、かつての天守閣を復元したものではない。日本最古の模擬天守なのだが、老朽化が激しく今は立ち入り禁止となっている。
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洲本城の石垣と石段
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洲本城からの眺望
三熊山は低い山ではあるが、やはり島の高台からの眺望は格別だ。長細い淡路島の向こうに、本州の六甲山まで見ることができた。

急勾配の西ルートに懲りて、下山は東ルートをとる。遠回りに見えたので往路は回避したのだが、それ程のものではなかった。行きも帰りもこのルートにすべきだった。

洲本バスターミナルから高速バスで、舞子まで。ここでようやく、行きも帰りも渡った明石海峡大橋を客観視することができた。
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明石海峡大橋
舞子からJRの快速で1駅。子午線の街・明石に到着。
駅前すぐにあるのが明石城(100名城No.58)。江戸時代初期に小笠原氏によって築城された平山城だ。
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明石城
石垣と四隅の櫓が立派で、特に正面のJR明石駅方面から見えるツイン櫓・巽櫓と坤櫓は、日本に12基しかない現存の三重櫓だ。この時ちょうど巽櫓の内部が公開されていて、中の様子を見ることもできた。
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明石城巽櫓内部
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明石城天守台と坤櫓
本丸に天守台はあるが、天守閣は結局築かれなかった。
そして巽櫓わきの物見台に上がってみると、明石ならではの景色があった。
明石城の向こうに明石大橋――過去と現代のコラボと言っていい。
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明石城と明石大橋のコラボ

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