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日本100名城

100名城データ

米子城

よなごじょう

米子城

続日本100名城 No.169

場所
鳥取県米子市久米町(地図
築城時期
室町時代(1470年頃)
築城主
山名氏
主な城主
山名氏、尼子氏、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏
分類
梯郭式平山城(海城)
遺構
石垣、枡形虎口、竪堀、石切丁場
概要
15世紀に山名宗之によって米子の中海に近い飯山に築かれた砦が始まりとされる。1591年、豊臣政権下で西伯耆の領主となった吉川広家が中海の良港に隣接した湊山に築城を開始し、四重天守を築く。関ヶ原の戦いの後に広家が岩国に国替えとなった後は中村一忠が伯耆一国を領して初代米子藩主となり、城主となって築城を受け継いで1602年ごろ完成。この時広家が建てた四重天守の隣にもう1つ、独立式望楼型4重5階の天守が築かれる(広家の天守はのち古天守、副天守と呼ばれる)。中村氏の断絶後は加藤氏、池田氏、荒尾氏が城主を務める。
明治に入り、米子城は荒尾氏から藩庁へ引き渡され、建物の大半が売られた後に取り壊されるが、石垣や竪堀などは現在も残っている。
久米城、湊山金城の別名あり。
公共交通機関による
アクセス
登城口の二の丸表御門まで、
・JR山陰本線 米子駅から法勝寺線バスで米子城入口下車、徒歩5分。
・米子駅から徒歩15分。
二の丸表御門から本丸まで山道を徒歩20分程。
100名城スタンプ
米子城スタンプ
米子市立山陰歴史館(終日)(地図
米子城跡三の丸番所(地図
探訪記の該当部分
山陽・山陰西部100名城―序・この地域の歴史
山陽・山陰西部100名城(9)―松江城、米子城

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