バス憧れの大地へ

日本100名城

100名城探訪記

九州北部100名城巡り(5)―基肄城、久留米城

2022年5月3日

次の城を目指して、西鉄太宰府駅を出発。大野城の遺構に到達することを断念したことで、出発時間は50分近く前倒しとなった。
まず西鉄二日市駅へ。そこから歩いてJR二日市駅へ移動し、今度はJR鹿児島本線に乗車する。
基山駅で下車し、次に向かうは佐賀県基山町の基肄城(続100名城No.184)。これもまた、白村江の戦敗戦を機に建てられた城である。
ただ、基山駅にはコインロッカーも無ければレンタカーもレンタサイクルも無い。一番手前にある遺構・基肄城水門跡近くまで行くコミュニティバスがあるのだが、この日に限って運休だった。仕方が無いのでひとまず、ボストンキャリーをガラガラ転がしながら20分弱歩いて、続100名城スタンプのある町民会館へ向かう。
スタンプを頂いた後、ボストンキャリーを事務室で預かってもらって(本来は預からないが今回は特別に)、町民会館で頂いたアクセスマップと道の途中にある案内板を頼りに、歩いて水門跡へ出発。往路は上り坂基調で時間がかかり、40分かけてようやく着くことができた。
写真
基肄城水門跡
水門跡は幅26m、高さ8.5mほどの石塁の下部に4か所の排水口が開けられている。
基肄城の南の入り口になることから、このエリアは「南門」とも呼ばれる。基山の上、面積63万平方mにも及ぶ大規模な山城で、山の上にも数々の遺構があるが、私は遺構の端にでも行きつけばこれでよしとして、水門跡だけ参観して来た道を引き返した。
復路は下り基調で歩きやすい、と言うよりは時々走ることすら可能で、30分で町民会館に到着。ボストンキャリーを受け取って基山駅へ向かう。
当初はこの日運休だったコミュニティバスを使うスケジュールを組んでいたが、バスの時間に左右されない徒歩にすることで、却って基山での所要時間を30分ほど短縮することができた。

この日の城巡りはこれで終わりにして、福岡・久留米で1泊後、翌早朝に久留米城(続100名城No.183)を訪れる、という予定だったが、太宰府と基山で思いがけず時間を短縮できたおかげで、久留米到着が1時間以上早まった。これなら、今日の営業時間中に久留米城の続100名城スタンプを押せる施設に赴くことができる――ということで、列車を下りるや否や、久留米城へと急いだ。
写真
久留米城石垣
久留米城は豊臣秀吉の天下統一後に毛利秀包によって大改築が行われ、その後一度は江戸時代初期の一国一城令により廃城となったのを有馬氏が建て直した城だ。明治時代の廃藩置県で再び廃城となり、今の本丸跡は有馬記念館と神社があるばかりで大名の居城だった名残は殆ど無いが、石垣はその当時の雄姿を見事に留めている。
城内を本丸跡の背後の石垣縁まで歩いてみると、筑後川と宝満川が合流する絶景が見えた。
写真
筑後川と宝満川の合流地点
この光景を見ているだけで、この地が水運の要で、だからこそこの場所に城が築かれたのだ、ということを想像することができる。

アルファポリス

コメント(0)

コメントする

<新着記事>

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索
お勧めメディア(Amazon)
チベットの大地へ