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日本100名城

100名城探訪記

茨城100名城(2)―笠間城

2023年3月19日

土浦城、水戸城と巡って、青春18きっぷでの茨城100名城巡りは、最後の一つへ。JR常磐線、水戸線を乗り継いで笠間駅で下車。目的地まではバスがあればよかったが、ちょうどいい時間のものが無く、約1.6㎞の距離を時々走って徒歩で向かった。
※後で気が付いたのだが、駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りることができた。

笠間城(続100名城 No.112)

鎌倉時代に笠間氏が佐白山に築城した山城。豊臣秀吉の小田原征伐の際に宇都宮氏に攻められて笠間氏が滅亡した後、蒲生郷成によって改修された。

この城を巡る拠点となるのが、かさま歴史交流館 井筒屋。続100名城のスタンプが設置されているほか、2階の展示室では城のジオラマが展示されている。
そして忘れてはならないのは、配布されている笠間城跡めぐり案内MAP。これがあると無いとでは大違いなので忘れずに頂いていこう。
かさま歴史交流館 井筒屋
かさま歴史交流館 井筒屋
大黒石
大黒石
井筒屋をスタートして、坂本九(幼少期に笠間に疎開していた)の歌碑や、僧兵の争いの中で転がされたという伝説のある大黒石を経て、佐白山北側にある、笠間城の曲輪跡である千人溜跡へ。ここから登山道に入る。
大手門跡の石碑を過ぎ、その先一見ヘアピンカーブが続く山道だが、井筒屋で頂いたMAPにショートカットルートが明記されていたお陰でスムーズに歩くことができた。
笠間城大手門跡
笠間城大手門跡
笠間城本丸の石垣
笠間城本丸の石垣
程なくして石垣が見えてきた。石垣の間の階段を上がると、そこに広がっているのが本丸跡だ。端の方に土塁が見られる以外は、建物の痕跡などはなく、だだっ広い広場が広がっている。
笠間城本丸
笠間城本丸
しかし、笠間城はここで終わりではない。奥の方に進むと「笠間城」の石碑があり、その先には更に上へと進む階段がある。
「笠間城」の石碑
「笠間城」の石碑
笠間城天守跡への階段
笠間城天守跡への階段
階段の途中には「笠間城天守跡」の石碑――そう。この先には天守台が控えているのだ。
階段を上り進むと、石垣が見えてきた。天守台である。ただ、一部シートに覆われている。茨城は東日本大震災の被災地――その爪痕が未だに残っているのだ。
笠間城天守台
笠間城天守台
この石垣の上まで登ってみると、更に上があった。しかし、上に進む階段の手前にあったのは...
立入禁止のお願い
現在、佐志能神社付近は、東日本大震災の影響により石垣の崩落、社殿倒壊の可能性が高く、大変危険な状態となっております。
これより先を立入禁止区域と致します。
との看板。残念ながら、笠間城登城はここまでだ。
笠間城天守台の更に先
笠間城天守台の更に先
笠間城八幡台櫓跡
笠間城八幡台櫓跡
本丸に戻り、端の方にある土塁に登ってみると、八幡台櫓跡の石碑が立っていた。笠間城全体に言えることだが、明治の廃城令で建造物は取り壊され、石垣や堀跡以外の遺構は残っておらず、八幡台櫓もご多分に漏れず、ここにその建物を見ることはできない。

帰りは佐伯山南側の、宍ヶ崎櫓跡に端を発するハイキングコースを辿って下山。ほぼ1時間で井筒屋近くまで戻ることができた。
しかし、笠間城巡りはまだ終わっていない。井筒屋から北へ700mほど行った先に、真浄寺という日蓮宗の寺院がある。その境内の階段の上に、白壁の櫓が建っているのだ。破風や鯱もあり、小規模ながらなかなか立派である。
旧笠間城八幡台櫓
旧笠間城八幡台櫓
実はこの櫓、先程笠間城の土塁の上に石碑のみを見た、八幡台櫓なのだ。
先述したように、笠間城は廃城令で建造物を失うが、この櫓は当寺院に移築されて、寺のお堂として生き延びていたのである。
※真浄寺は水子を慰霊する寺院。参観の際には配慮を。

これで茨城の100名城巡りは終了。自宅からは結構離れてしまったが、青春18きっぷ利用なので帰りも2時間45分、鈍行列車に揺られて帰宅する。
アルファポリス

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