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日本100名城

100名城探訪記

琵琶湖周辺100名城(5)―佐柿国吉城、玄蕃尾城、大垣城

2023年9月3日

小谷城登城を達成し、河毛駅に戻って北陸本線で更に北へ向かう。
近江塩津で列車を乗り継ぎ、滋賀県を越えて福井県へ。敦賀で小浜線に乗り換え、今度は西へ進む。
美浜駅で下車。駅に併設された観光案内所でレンタサイクルを借りて、線路沿いに東へ20分進む。
次に目指すは、佐柿国吉城(続100名城 No.139)。戦国時代、若狭国と敦賀国の国境の山に武田氏重臣の粟屋勝久が築いた山城だ。越前国の朝倉氏の度重なる来襲を退け、「難攻不落の城」として称えられ、朝倉を攻めた織田信長、羽柴秀吉、徳川家康もこの城を訪れたという。 佐柿国吉城が建つ城山
佐柿国吉城が建つ城山
若狭国吉城歴史資料館
若狭国吉城歴史資料館
若狭国吉城歴史資料館に自転車を置き、ここで続100名城のスタンプを頂いた後、いざ、攻城。核心部は山の上だが、麓にも石垣や居館跡など、城の痕跡を見ることができる。 佐柿国吉城麓の石垣
佐柿国吉城麓の石垣
国吉城居館跡
国吉城居館跡
城山は標高200mほど。スタート地点が70mほどなので、高低差130mの軽い山登りだ。15分ほどで本丸直下に到着。本丸の壁面には石垣を認めることができる。本丸入り口近くの堀切から北西側には、5つの曲輪が連なっている(連郭曲輪跡)。 佐柿国吉城本丸下の石垣
佐柿国吉城本丸下の石垣
若狭国吉城歴史資料館
佐柿国吉城連郭曲輪跡のII郭
堀切から15mほど上に上がった山頂に、本丸が広がっていた。今回滋賀で見てきた数々の山城からは琵琶湖を一望することができたが、ここから見えるのは更に広い海(若狭湾)の絶景だった。 若狭湾を見下ろす佐柿国吉城本丸
若狭湾を見下ろす佐柿国吉城本丸
下山の途中、来る時に二の丸をスルーしていたことに気づき、立ち寄ってみる。
立派な土塁が延びる奥に虎口があるが、ここは食い違う形で土塁に挟まれた「食い違い虎口」になっている。 佐柿国吉城二の丸
佐柿国吉城二の丸。右奥が食い違い虎口
本日の城巡りはこれで終了。しかし、この近くにはもう一つ、行くのが面倒な山城がある。この日はその城へのアクセスに便利な敦賀駅前の宿に1泊して、翌日に向けて英気を養う。

2023年9月4日

朝7時44分、バスで敦賀駅を出発。
到着した刀根バス停は、北陸自動車道刀根パーキングエリアすぐ近く。ここが今回目指す名城の最寄り公共交通機関停留所なのだが、ここから先コンビニエンスストアはおろか、商店の1つも、更には自動販売機も一切無い。敦賀駅出発前に十分に準備を済ませて、ここからの道に臨む。
片側1車線で歩道も無い福井県道・滋賀県道140号敦賀柳ヶ瀬線を歩くこと2㎞弱。かつては鉄道が通っていた柳ヶ瀬トンネルに行き着く。目指す城へはここの手前で左折して、更に傾斜のある林道を2㎞歩くことになる。 柳ヶ瀬トンネル。玄蕃尾城へはここで左へ
柳ヶ瀬トンネル。玄蕃尾城へはここで左へ
国吉城居館跡
玄蕃尾城駐車場の受付ポスト
林道をひたすら歩いて最後のヘアピンカーブを曲がって程なくして、道は行き止まりになっていた。そこは駐車場になっていて、一番奥には仮設トイレと、パンフレットや続100名城のスタンプが置かれたポストが設置されている。
ここが今回目指す名城・玄蕃尾城(続100名城 No.140)のベースキャンプだ。
玄蕃尾城は、福井県と滋賀県境の柳ヶ瀬山の尾根上に築かれた山城で、織田信長の死後、羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦い(1583年)では勝家がここに本陣を敷いた。
続100名城のスタンプを頂いて、いざ、登城開始。 福井側の玄蕃尾城登城口
福井側の玄蕃尾城登城口
福井側からの道と滋賀側の道の合流点
福井側からの道と滋賀側の道の合流点
福井県・滋賀県境ということで、私が採った福井側からのアクセスのほか、滋賀側の余呉からのアクセスも可能だ。福井側の登城口を出発して、少し坂道を上ると滋賀側の道との合流点に達する。
合流点から延びる坂道が城の縄張への道だ。やや急な坂道を上ると、柳ヶ瀬山の尾根に取り付く。まだ城までは少し距離があるが、ここからは緩やかな尾根道だ。
登城口から歩き始めて20分ほどで、立派な土塁が見えてきた。この内側が、玄蕃尾城の縄張である。 玄蕃尾城に到着
玄蕃尾城に到着
玄蕃尾城本丸への土橋
玄蕃尾城本丸への土橋
1つ目の郭を抜け、土橋を渡って虎口をくぐると、その先が主郭だ。
非常に保存状態が良く、周囲を囲む土塁が、奥の方の櫓台(天守台)が、建物こそ再現されていないが、当時の姿のまま残っている。 玄蕃尾城主郭
玄蕃尾城主郭
更に奥に進むと、兵站基地として使われていたとされる広々とした搦手郭もある。その周囲に掘られた空堀も保存状態が良く、切り立った口を開いていた。 玄蕃尾城搦手郭
玄蕃尾城搦手郭
玄蕃尾城の空堀
玄蕃尾城の空堀
城の保存状態の良さにも心を奪われたが、山奥であるが故か、空気が非常に清々しく感じられた。周りから聞こえてくるツクツクボウシの鳴き声も耳に心地良い。暫しの間、郭の中を、土塁の上を、櫓台の上を歩きながら心の洗濯をした。
かつてここに居た柴田勝家も――いや、恐らくは戦でそのように感じる余裕は無かっただろう。

来た4㎞の道を歩いて戻って、刀根バス停から12時48分発のバスで敦賀駅に戻る。
この日が最終日だったので、ここからは列車で自宅のある方向へと向かうことになるが、途中にもう一つ、琵琶湖に近いと言えば近い城がある。訪れる時間もあったので、途中下車して訪れてみた。 大垣城の天守と東門
大垣城の天守と東門
福井から滋賀を抜けて、ここは岐阜県。
訪れたのは、大垣市の街中にある大垣城(続100名城 No.144)。戦国時代、重要な戦略拠点として織田氏や斎藤氏により争奪戦が繰り広げられた城だ。復元された天守や東門、当時の石垣などがある。
大垣城石垣
大垣城石垣
関ヶ原の戦いにおいては石田三成ら西軍の根拠地となり、諸将がここで軍議を行い、杭瀬川の戦いで東軍を相手に勝利を収める。関ヶ原の本戦で西軍が敗北すると東軍に攻囲され、降伏勧告を受け入れて落城した。 天守は明治の廃城令を生き延びて国宝に指定されたが、第2次大戦の空襲で焼失。戦後、鉄筋コンクリート造りで外観復元された。
佐柿国吉城、玄蕃尾城同様、歴史の節目で重要な役目を果たした城である。

今回の城巡りはこれで終了。大垣駅で新幹線のチケットを購入し、帰途に就く。

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