石川・福井100名城(2)―金沢城、福井城
2025年6月7日
七尾を出発して1時間40分のほぼ13時、JR七尾線~IRいしかわ鉄道線の列車は金沢に到着した。
石川県の名城は(奥まで入っていなかった七尾城は別として)私の最初の名城巡りの旅で既に攻城を済ませていたので、当初の予定では今回は金沢も素通りして福井まで向かう予定だったのだが、先ほど七尾城の駐車場でボランティアの方からこんな情報を得ていたのだ。
「今日、金沢で金沢百万石まつりというお祭りがあって、金沢城までパレードもあるんですよ」
「え、今日?」
全くキャッチしていなかった情報だ。しかし、偶然この日にこの地に来たのも、何かの巡り合わせだろう。私は七尾城からの下山を急いで乗る列車を2時間早めて、急遽金沢で寄り道をすることにしたのだった。勿論、まつりだけではなく、 2014年、2019年に続く3度目の訪問となる加賀百万石の象徴・金沢城(日本100名城 No.35)も訪れる。
パレード「百万石行列」は14時20分開始で、金沢駅から金沢城まで行われる。ごった返す前に城巡りをしておくか、ということでまずは金沢城を訪れることにしたが、何分にもパレードがあるため車道は交通規制が行われ、バスも迂回運転だ。駅から1.7㎞ほど離れた城跡まで20分以上歩いて向かうのが最善となった。
金沢百万石まつり開催中の金沢城 三の丸広場北側の大手門から入城し、新丸広場、河北門を経て三の丸広場へ。ここもまつりの会場になっていて、パレード開始前に既に太鼓パフォーマンスなどの出し物が行われていて熱気を帯びている。
内堀を渡って橋爪門をくぐり、二の丸広場へ。この年から二の丸では御殿の復元工事が開始され、この時も広場は工事の真っただ中だった。数十年かかるともいわれる大規模工事で、完成を私が生きて見ることができない可能性すらある。
金沢城 菱櫓前での太鼓パフォーマンス
金沢城 五十間長屋と工事中の二の丸広場(手前)外から眺めるだけでなく、五十間長屋の内部にも入って見学。木造で復元されていて、展示では築城の技術などを知ることができる。
金沢城の100名城スタンプは2019年に既に頂いていたが、今回の登城記念としてここの窓口でまた別紙に頂いておいた。
先述したように、金沢城はこれで3回目の訪問になるが、それでもこれまで見逃していた場所はあった。こともあろうに、本丸である。今回それに気が付いてようやく本丸広場(本丸園地)を攻めたが、遊歩道はあるものの、木々がうっそうと茂っていて、三の丸や二の丸に比べて明らかに整備から取り残されていた。但し、本丸を支える石垣は重量感があって見事だった。
金沢城 本丸園地
金沢城 本丸の石垣余り時間が無かったので、隣接する兼六園は今回はパスしようかとも思っていたのだが、この日はちょうど無料開放されていたので、ならば折角なので、と入園してほんの少しだけ見学させて頂いた。
兼六園そろそろパレードが差し掛かる頃かな、ということで、15時前に城巡りを打ち切って金沢のメインストリートに出る。福井へ向かう列車の時間も気になったので、パレードの進行方向とは逆向きに駅へと進みつつ、市民手づくりのパフォーマンスを楽しむ。
金沢百万石まつりのパレード
金沢百万石まつり 北乃きいさん演ずるまつ
金沢百万石まつり 石原良純さん演ずる前田利家金沢駅まであと少しというところでようやく、今回のパレードの目玉である、北乃きいさん演ずるお松の方(前田利家の妻)を、そして駅前でいざ出陣、と声を上げる石原良純さん演ずる前田利家を拝見することができた。
金沢駅を16時15分に出発して17時40分、福井駅に到着。本日からここに宿を取って福井の城巡りとなる。
宿は福井駅から徒歩15分ほどの場所に取ったが、その途中にちょうど福井城(続日本100名城 No.137)がある。これも2019年に訪問済みだが、宿を急ぐ必要も無いので寄り道して見学する。
福井城は戦国時代に織田信長の将・柴田勝家が築城した「北ノ庄城」の跡地に関ヶ原の戦いの後、徳川家康の次男・結城秀康が築いた平城だ。明治の廃城令で建物は全て破却され、現在ではかつての内堀である堀と石垣に囲まれた本丸が当時の様子を伝えている。
福井城 結城秀康像南側の堀に架かる御本城橋を渡った先の、かつての大手門の傍らでは、結城秀康の像が出迎えてくれる。その背後の、現在では県庁や県警などの建物が建つ敷地が、かつて御殿があった場所だという。
一旦外に出て、堀沿いに南側から西側へと、石垣を楽しみつつ歩みを進める。
西側の堀のほぼ中央に、白い壁の御廊下橋が架かっているのが見える。本丸の西にあった西三の丸御座所と本丸の間を藩主が行き来するための橋だったという。築城400年を記念して2008年に復元されたもので、この橋とその先に繋がる廊下橋御門(天守台下門、山里口御門)が福井城唯一の復元建築物ということになる。
福井城 本丸石垣と御廊下橋
福井城 天守台跡の石垣廊下橋御門から本丸跡へと入ると、石垣造りの台が北西角に鎮座している。更にその上には、天守台、そして一回り小さい控天守台が鎮座している。
天守台には1669年に焼失するまで、4重5階、高さ30m程の望楼型天守が建っていたという。今は台が残るのみだが、30mもあれば最上階からは越前の国を一望できたことだろう。
福井城 天守台(左)と控天守台(右)控天守台を見ると、石垣が斜めにひしゃげているのが分かる。1948年の福井地震によるものだという。マグニチュード7.1の地震だったそうだが、自然の猛威がひしひしと感じられる。
福井城 天守台上部。奥が控天守台
福井城 「福井」の語源となった福の井その控天守台の南側には、当時の井戸「福の井」が整備されている。現在県名となっている「福井」が由来なのだという。これもまた「歴史の語り部」だ。
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