バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

韓国、エジプト

ソウル ~僅か数時間の訪韓

1995年6月19日

名古屋からの大韓航空機が、ソウル・金浦空港(仁川空港は当時まだ無かった)に到着。イミグレーションを通過する際、私が提出した入国カードの「渡航目的」の欄にはこう書かれていた。
"Transit"

本当の目的地は、まだ先にあった。しかし、その場所への格安航空券を買い求めたところ、ソウルで乗り換えの大韓航空利用となり、乗り継ぎの時間が空港でじっとしていては暇を持て余すこと間違いない長さになってしまったため、せっかくだからその数時間を利用してソウルの街に出ることにしたのだ。

空港を出て、バスでソウル中心街へと向かう。道中の風景は、日本とそう変わらない。しかし、右側車線を走る自動車たちが、ここが日本でないことを物語っていた。
街に到着すると、日本との違いが明らかになった。ビルが並ぶ風景そのものは日本の都会とよく似ているが、そこに書かれている文字は無論、ハングルである。そしてソウルには、500年の都という顔がある。歴史的建築のある風景は、日本とは明らかに違う。どちらかと言うと、中国の古都・西安を彷彿とさせる雰囲気がある。

景福宮・光化門
景福宮の(左)光化門
景福宮・斉寿閣
同・斉寿閣

ソウルの歴史的建築の代表とも言えるキョンボックン景福宮)を訪れてみた。かつての李氏朝鮮の王宮であり、閔妃殺害事件など朝鮮史上の重要事件の舞台となった場所でもある。
正門である光化門から王宮内に入る。日本の侵略時代に数々の建築物が移築され、もしくは取り壊された景福宮は復旧工事の最中で、慶会楼などは工事の足場に囲まれてしまっている。それでも、勤政殿、斉寿閣などの主要な建築物を見ることができた。 李舜臣像
李舜臣像
建築物は中国風の様式に似ているが、中国建築の派手な赤・金主体の彩りに比べ、韓国の歴史的建築は茶色に近い色を基調にしていて、落ち着いた、質実とした印象を受けた。
敷地内にはチマ・チョゴリを着た女性たちの姿も見られる。関係者が観光客向けに着飾っているのだろうが、こんなところにも韓国を感じることができる。

光化門から景福宮を出てそのまままっすぐ進むと、道路の真ん中に古い時代の甲冑をまとった男の銅像が立っている。李舜臣だ。それまでの日本の天下人が誰一人行ってこなかった他国の侵略に初めて手を染めた日本人・豊臣秀吉の朝鮮出兵を退けた、朝鮮民族の英雄である。
韓国ではいまだに反日感情が弱くないが、その根っこが400年も前にあり、しかも20世紀という記憶の新しい時代に韓国併合を経験していたとなるとなると、それもまた致し方がないのかな、という気もしてくる。しかし、日本が朝鮮半島を再度侵略する可能性がほぼゼロになった今、その気持ちをライバル意識程度に抑えて互いに高めていく方向に行ってくれれば、と切に思う。

その後、李舜臣像から東へ行った所にあるトンデムン東大門)を見たところで、タイムリミットになってしまった。
ミョンドン(明洞)にもナムデムン(南大門)にも行っていないし、グルメの方面でも空港で昼食にしたキムチラーメンしか食べていない。"韓国らしさ"或いは"韓国の何たるか"を感じるには余りに時間が短すぎた。
しかし、これから向かう国に比べれば、韓国ははるかに行きやすい、と言うより、ちょっと気が向けばすぐに行くことができる国だ。韓国料理だって、日本ほか他の国でも手軽に食べることができる。
そう考えれば、後ろ髪を引かれることもない。私は空港に戻り、イミグレーションで出国手続きを済ませ、カイロ行きの大韓航空機に乗り込んだ。

航空機の窓の外に美しい夕日が見え、やがて赤の景色が黒へと姿を変えていく。
これが私にとって初めての、空の上での宿泊となった。

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