バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

中国・雲南、貴州

昆明(西山森林公園) ~失敗転じて福となる

2002年2月2日

昆明市街から西に少し離れた所に、西山森林公園という、比較的規模の大きい、森と寺廟の光景に恵まれた場所がある。バスを2つ乗り継いで到着した高嶢から、私は山道を登り始めた。
太華寺
太華寺

道中、華亭寺太華寺といった寺廟を参観。赤い壁・柱や金色の文字などは典型的な中国の寺廟ではあるが、庭木や花が違うからであろうか、華北の寺廟とはどこか違う、独特の雰囲気を醸し出している。
太華寺からしばらく歩くと、分かれ道にぶつかった。そこに立てられていた案内図を見ると、次の目的地・龍門石窟への近道が、右側の道にあるように見えた。そちらの道からハイカーとおぼしき人たちが下りてきたこともあって、私は即、右側の道を進み始めた。
ややきつめの上り坂を歩くこと30分、ひなびた人里にたどり着いた。しかし、そこからの道は、どう考えても龍門石窟からは離れていく方向にしか伸びていない。
(間違えた!)
私は慌てて来た道を引き返した。先程の分かれ道から左の道を進むと、あろうことか5分程で、目当ての龍門石窟へ向かうリフト乗り場に到着した。1時間もの貴重な時間を、無駄に費やしてしまった。
龍門へのリフトは2人掛け。私は1人だったので1人で乗ることになると思いきや、観光客が多かったことと、前に並んでいた若い女性も一人旅だったことから、係員は「はい、一緒に乗って!」と、私と彼女を1台のリフトに押し込んだ。ふと見ると、彼女の鞄から、 龍門石窟
龍門石窟
見覚えのある黄色い本の背表紙が顔をのぞかせている。果たして、彼女は日本人だった。
Nさんというその女性は、有給休暇を取って神奈川から1人で来たといい、これまでも中国に何度か来たことがあるようだ。旅の話題を中心に、自然と話は弾んだ。
龍門石窟と言えば真っ先に思い浮かぶのが、洛陽郊外にある見事な石仏群だが、ここ昆明の龍門石窟は、それとは全く様相を異にしている。まず第1に、扱われている宗教が道教である点が根本的に違う。第2に、洛陽のものが像をメーンにしているのに対し、こちらは彩色豊かな廟をメーンとしている。
昆明の龍門石窟の最大の特徴は、滇池に面した切り立った崖の中腹に、へばりつくようにして建てられていることだ。廟そのものよりもむしろ、そういう場所に建てられていることと、滇池を一望できる景色の方が見どころと言っても過言ではない。残念ながらこの日はやや霧が出ていて、滇池は余りよく見えなかったが、それでも眺めの開放感は格別である。場所が場所だけに石段の傾斜も割合急で、少々脚が震えた。
龍門石窟の参観を終えて、街中に帰ろうか、という段になって、Nさんは往復券を買っていた関係で、来たルートと同じロープウエー+滇池の渡し舟で帰ることになったが、私は彼女の「高いお金を出してまで乗るほどのものじゃないと思いますよ」という言葉もあって、普通にバスで戻ることにし、夕方6時に昆湖飯店で再び落ち合うことにした。
昆湖飯店で待ち合わせた私たちは、Nさんの希望もあって、まずインターネットカフェでインターネット。 過橋米線
雲南名物・過橋米線の20元セット
その後、夕食は雲南の名物・過橋米線を食べようということになった。
過橋米線というのは、米でできたそばのような米線の、独特な食べ方。次のような由来があるという。
昔、科挙を受けていた男が勉強に夢中になる余り、食事を取るのも忘れて、奥さんが作ったせっかくの料理も毎日冷めてしまっていた。そこで奥さんは一計を思いついた。熱々のスープの表面に鶏の油を敷いて冷めにくくし、さらに米線と具を別に用意して、男が好きな時に熱々の米線を食べられるようにした。奥さんがその料理を運ぶ際に橋を渡ったことから“過橋米線”の名が付いたという。
具の入れ方にも順序がある。いきなり米線を入れてしまうと冷めてしまうので、まずはウズラの卵、それから火の通りにくい順に肉などを入れて、最後にメーンの米線を入れるのだ。
私は今回の旅行以前にも食べたことがあるし、今回も既に2回食べていたが、Nさんは初めてらしく、かなり珍しそう、且つ、かなり満足な様子だった。
Nさんは翌日、昆明からの直行便で日本に帰ることになっていたので、1日限りの旅の道連れとなったが、石林でテレビのクルーと一緒になった時に勝るとも劣らない、楽しい1日となった。もしあの時道に迷っていなかったら、彼女と出会うことはなかった ―― 人の縁の不思議さを覚えた一件だった。

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