バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

東トルキスタン、大陸中国西北

敦煌-1 ~シルクロードの象徴

2002年7月19日

嘉峪関から次に目指すは、シルクロードの象徴的存在とも言える、敦煌だ。敦煌は列車駅と街が130kmも離れており、アクセスはターミナルが市内にあるバスの方が便利だ。しかし、私の立てた計画では、カシュガルまでの大部分が列車利用となる。
[この際だ。大連からカシュガルまで、ずっと列車で行ってやろう]
朝7時半、私は敦煌に向かう列車に乗り込んだ。
途中まではデッキで過ごしていたが、列車員が私が外国人だと知り、前回に続いて席を優遇してもらった。
席についた後は、好奇心旺盛な中国人との会話が続いた。
1人が尋ねてきた。「南京大虐殺を知っているか?
ついに来た。これまで不思議と聞かれたことの無かった、この質問が。
私は南京での事件そのものが無かったとは思わないが、虐殺された人数が30万人という中国サイドの主張は全く話にならないでたらめだ。しかし、周り全てを敵に回しても面倒である。私は適当に答えておくことにした。
「日本軍には、間違いなく責任があると思います」
私がそう答えると、尋ねてきた男性が返してきた。
「ああ、認識が有るんだったらいいよ。知らないっていうんだったら、それでバイバイだよ!」
何とかはぐらかすことができた。

11時、敦煌駅(旧・柳園駅)に到着。そこから更にバスに乗ること2時間強。嘉峪関からの全行程を6時間近くかけてようやく、敦煌の街に到着した。

後日談
現在では敦煌の街により近い場所に新敦煌駅ができている。聞くところによると、柳園一帯はそれ以降、さびれる一方だという。

飛天賓館の8人部屋ドミトリーに落ち着いた後、街中の散策に出掛ける。
敦煌は市街地から離れた所に観光地が集中しており、街そのものはこぢんまりとしている。
敦煌の市場
敦煌市内の市場。ハミ瓜などの果物が並ぶ
しかしその分、落ち着いていて過ごしやすい街だ。街角にはハミ瓜やスイカが並ぶ市場が出ている。そんな雰囲気や街並み、街のサイズ ―― 全てがシルクロードのオアシス都市そのものである。

日本語環境でインターネットができると聞いて、街中にあるyingyingカフェに出向く。「インターネットをしたい」と、中国語で店のママに言うと、「やらなくなったのよー」と、日本語が返ってきた。噂には聞いていたが、見事な日本語だ。取りあえず日本語が打てるインターネットカフェを教えてもらったが、他にも日本人客が2人いたこともあって、ついでにアイスコーヒーをいただいていくことにした。
北京以来、6日ぶりの日本語会話が弾む。私も今後の旅行計画などを話した。
「28日の日曜日に、(東トルキスタン)カシュガルにいたいんですよ」
「日曜バザール見たいんでしょ?」
さすがは、シルクロード旅行者を数多く相手にしてきたママ。ちゃんと分かっている。

その後はママに教えてもらったインターネットカフェで友人たちにメールを送っただけ。本格的な敦煌巡りは翌日以降に回すことにした。
それにしても、ドミトリーの同屋たちは、遅くまで帰ってこない。鳴沙山あたりを見に行っていたのだろうか。

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