バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

東トルキスタン、大陸中国西北

嘉峪関 ~万里の長城最西端

2002年7月18日

午前からレンタサイクルで嘉峪関市の見どころを巡る。
嘉峪関は、万里の長城最西端の地だ。自転車で中心街から30分ほど西に向かうと、地名の由来にもなっている嘉峪関にたどり着く。しかし、ここは帰りに寄ることにして、私はまず、その先の懸壁長城に向かうことにした。
嘉峪関から北へ向かう道が、西に向かって90度カーブすると、向こうに懸壁長城が見えてくる。しかし、目の前に見えているにも関わらず、なかなか近づいてくれない。サドルの硬い、乗り心地の悪い自転車を、嘉峪関から30分はこいだだろうか。ようやく長城の入り口にたどり着いた。
懸壁長城
懸壁長城

懸壁長城とはその名の通り、壁のように切り立った山に“懸かる”ような感じで建てられた、険しい長城である。最大傾斜角度は45度にもなるという。実際に自らの足で登ってみると、本当に絶壁をよじ登っているかのような感覚だ。
しかし、疲れはするものの、右手は塞内、左手は塞外 ―― 自分が中国と辺境の境目にいるのだという実感が、八達嶺などよりもひしひしとこみ上げてくる。砂漠の中、という環境が、その実感の根源なのであろう。

自転車で来た道を戻り、再び嘉峪関に到着する。今度こそ関所の参観だ。
ゆるやかな坂を少し歩くと、石造りの門が見えてくる。そこをくぐると、見事な楼閣が二重、三重に巡らされているのが目に入る。
東の山海関が満州族の侵攻を阻んだ“天下第一関”なら、西の嘉峪関はモンゴル族の侵攻に備えた“天下第一雄関”である。その名に相応しく、この関は堂々とした風格を備えている。
嘉峪関
嘉峪関
関の中には将軍府が保存されているが、ここに駐屯していた将軍も、その風格に相応しい名将だったに違いない ―― 歴史のロマンが駆り立てられる。

嘉峪関の関からはさらに長城が伸びている。その先にある万里長城第一墩こそが、正真正銘・長城の最西端だ。
南へと伸びている長城のはるか向こうに目をやると、確かに砦のようなものが見える。しかしあそこまでは、どの道を行けばいいのだろうか。よく分からない。
[長城沿いに行けば、たどり着けるさ]
私は軽く考えて、自転車で道無き道を走り始めた。しかし、それが間違いの元だった。
万里長城第一墩
万里長城第一墩(恐らく矢印の部分が)
先程の懸壁長城の時と同じように、砦はいつまでたっても近づいてくれない。地面は凹凸が激しく、遠くから見た以上に起伏が激しい。それ以上に私を苦しめたのが、砂漠地帯の暑さだ。じりじりとする日差しが私の体力を奪い、飲料水もいつしか底を付いてしまっていた。補給をしようにも店の一件すら無い。土と、まばらな緑と、そこを跳ねるイナゴが見えるばかりだ。
―― もう駄目だ。これ以上進んでは命に関わる。遠目で見ただけで良しとしよう。
私は第一墩に到達することを断念し、舗装道路を捜し当てて街中へと引き返した。

後日談
その後敦煌で知り合った日本人にこの話をしたところ「え、第一墩行かなかったんですか? あそこが嘉峪関で一番良かったですよ」とのことだった。話によると、第一墩はまさにそこで長城が終わっている地点で、その先には目もくらむような絶壁があるばかりだったという。ただ、そのあたりに商店などは一切無かったとのことで、あの時の私の状況では、やはり行くのは無茶だっただろう。

体力が回復したところで、長城博物館があるという所まで出向いてみた。しかし、そこには博物館など影も形も無く、電話会社があるだけだった。どうやら移転したようだったが、捜すのも面倒臭く、しかも夕立が降り出してきたので、博物館は諦めてそのまま宿に引き返した。

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