シーサンパンナ-6 ~タイ族の村 ガンランバ
2007年11月22日
ジュン、タツヤと3人で、景洪からラオスへの道を40分ほど戻った、メコン川沿いの場所にあるガンランバ(橄攬壩。中国名・勐罕[モンハン])を訪れた。
ガンランバは、タイ族の伝統的な村落が残る街である。街の中心部はすっかり漢化されてしまっているが、メコン川沿いの道まで出ると伝統的な家屋を見ることができる。しかし、本格的な村落は大体、シーサンパンナ・タイ族園に纏められている。
シーサンパンナ・タイ族園ゲート
農貿市場を抜けて街の南側メーンストリートに出、そこから東へ向かうと、そこにタイ族園のメーンゲートがある。
ゲートには「シーサンパンナに来ながらタイ族園に来なければ、シーサンパンナに来たことにならない」と書かれている。いくら何でもそれは眉唾だろう、と思って入園したがどうしてどうして、シーサンパンナで訪れた場所の中で、確かにここが一番よかった。
村落を訪れる前に、メコン川沿いの道を歩いてみるが、木々に邪魔されてなかなか川が見えない。ようやく林が薄くなったところで、メコンがはっきりと見えるようになる。
ガンランバから見えるメコン川
向こう岸に、邪魔なものが何一つ加えられていない山が見え、手前の河原には畑が拓かれている。メコンの自然と人々の営みが最高の形で調和されている風景だ。都会の景洪で見るメコンよりも数段こちらの方がいい。
もう少し先に進むと、河原に下りることもできる。川べりにぽつんと一つ建っているあずま屋で一休み。この日は日差しが強かったが、湿気が無いのであずま屋で休んでいるといい具合に涼しさが感じられる。3人とも、メコンと一時の涼しさに抱かれて、しばし時間がたつのを忘れる。
メコンを満喫したところで、いよいよタイ族の村落だ。道の両側には椰子など木々や熱帯の花々、その奥には木造高床式の伝統的家屋、道には民族衣装の人々が歩いている。
タイ族の伝統的家屋
曼春満古佛寺
孔雀などとの記念撮影屋や物売りなど、テーマパーク臭さを出している要素もあるにはあるが、ここは元々、タイ族の村落の幾つかをそのまま囲うように造った公園である。人々の生活の薫りをかなり強く感じることができた。
家屋のほかにも、曼春満古佛寺など、格調高いタイ族式の仏教寺院も幾つかある。タイ国の名刹には及ばないものの、同国で見た寺院が少し思い出された。
タイ族の娘たちによる演舞ショー
この公園で最もテーマパーク臭さが出ているのが、中央辺りにある演舞場と水かけ広場。15時20分から演舞場で、色とりどりの衣装を着た100人ものタイ族の娘たちによる演舞ショーや、ミスタイ族コンテストが行われた。
その後、16時30分からは水かけ祭りの再現が、水かけ広場噴水で行われた。この祭りは、タイ族の旧正月(新暦4月ごろ)に行われる伝統の祭りで、タイのバンコクのものも「ソンクラン」の名で知られている。
初めのうちはタイ族の若者や、民族衣装をレンタルした一般観光客たちが輪になって噴水の周りを歩き、一時その輪に1頭の象が入る程度だったが、やがて「水、水!」という大きな掛け声と同時に、噴水池で水のかけ合いが派手に始まった。標的は噴水池の中に足を踏み入れた参加者だけにとどまらず、噴水池の外で見ていた観衆にまで及ぶ。中には記念写真を撮っている背後から水をかけられる一般観衆もいたが、誰も怒ることはない。完全に無礼講状態である。
水かけ祭りの再現
私たちは専ら、カメラを構えて外から見るだけで、水をかけられそうになったらカメラを守るためそれをよけるばかりだった。しかし、
「見るよりも参加したかったな」
それが、3人の一致した本音だった。
確かにガンランバのテーマパークでは、タイ族の古来の姿を見ることができた。しかし、そのことへの満足感と同時に、
[本物のタイ族の風情は、もはやテーマパークでないと見ることができないのか…]
という複雑な思いにも駆られた。
シーサンパンナはこの日で終わりとなる。
そこそこ楽しむことができたのは確かなのだがシーサンパンナ全体で漢化が進んでいたことから、私がシーサンパンナに当初抱いていたイメージとは随分かけ離れていて、「楽しむことができた」と「期待外れだった」が心の中で複雑に交錯していた。
景洪に戻り、ラオスで一緒になったダイスケと再合流する。しかし、私はこの日の夜、景洪から昆明へと移動することになっていて、彼とは3時間だけの再会となった。
3人に見送られ、景洪を後にする。 複数の国で行動を共にした仲間というものは、かけがいのないものである。またどこかで再会できることを切に願っている。