バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

ブッダ入滅の地・クシナガル

2011年10月20日

前日の8時半から16時半、実に8時間かけてブッダ入滅の地・クシナガルに到着。着いたその日は既に暗くなり始めて何もしなかったので、今日がクシナガルを巡るただ1日の日ということになるのだが、農村地帯の中の小さな街(村)なので、1日あればむしろ時間はたっぷりある。

早朝。朝日に誘われて宿のほぼ正面にある大涅槃寺を訪れる。
大涅槃寺

ここに安置されているのが、クシナガルの代名詞と言うこともできる寝釈迦仏だ。ブッダ臨終の瞬間を再現した像である。足と頭以外は布で覆われているが、これもブッダが入滅の時に掛け布団を被っていたということを表しているのかもしれない。

朝早くから、海外アジアの集団巡礼者が参拝に来ている。この日遭遇したのはタイの一団。やはり仏教国として知られる国である。寝釈迦仏の周りに座して、僧侶の説教に耳を傾けながら熱心に祈りを捧げ、最後は集団でお釈迦様の周りをコルラする。
大涅槃寺の集団参拝客
彼らはその後も本堂に隣接するストゥーパの傍らで読経にいそしむ。その敬虔さが見ていて心地いい。

クシナガルはブッダ入滅の地という面が強調されがちだが、ブッダ最後の説法の地でもある。その場所といわれる地には現在、黄金仏が安置された小さな堂が建っている。像そのものは裸体で、布も何も着せられていない、まさに裸一貫の仏様というのがちょっと目新しい。
黄金仏

大涅槃寺のある中心部から東に外れた場所にはラマバール・ストゥーパという未完の茶色い仏塔が建っている。ここは、ブッダが荼毘に付された場所らしい。見た目にはストゥーパと言うよりは小山のような外観だ。発掘もまだ行われていないらしく、今後の研究に期待、といったところだ。
ラマバール・ストゥーパ

かつての遺跡の他にも、チベット、ビルマ、韓国などの寺院や日本・スリランカ仏教センターなどが建ち並んでいるのはブッダ悟りの地のブッダガヤなどと同様。日本庭園を正面に置いた政府ブッダ博物館もある。仏教が廃れてしまった仏教生誕の地・インドにおいて仏教の聖地を仏教国各国が力を合わせて盛り立てようとしている様子が伺える。
クシナガルのチベット寺
チベット寺(ちょっと安っぽいのが残念)

クシナガルのビルマ寺のストゥーパ
ビルマ寺のストゥーパ

クシナガルの韓国寺
韓国寺

クシナガルの日本・スリランカ仏教センター
日本・スリランカ仏教センター

クシナガルの政府ブッダ博物館と日本庭園
政府ブッダ博物館と日本庭園

いろいろ並べてはみたものの、やはりここクシナガルの主役で最も輝いているのは何と言っても寝釈迦仏である。私はその不思議な魅力に引き込まれて、3度、4度とお参りし、最後は五体投地までしてしまった。
寝釈迦仏
像なので勿論、顔が変わることはないのだが、その表情は角度によっては憂いを帯びたものとなり、また別の角度から見るとにこやかにも見える。実際のブッダも、死の間際には憂いと安らかな気持ちの両方が胸を去来していたのかもしれない。

ふと、昨日バラナシの火葬ガートで考えていた“生”と“死”のことがまた頭をよぎった。
ブッダほどの方なら満ち足りた人生を終えることができたのではないかと、凡人の私にはつい思えてしまう。しかし、彼とて何とかしたいがどうしようもできないことは幾つもあったはずだ。カーストやそれによる貧富の差、人々の病の苦しみ等々――それらを少しでも和らげんがために彼の教えは後世まで広く伝わった訳だが、残念なことに今なおそれは解消には至っていない。彼もまた、思い残すことがありつつの死だったに相違ない。
とはいえ、私の心に深く残ったのはやはり、にこやかに見える角度からのその姿だった。解脱を達成したブッダは涅槃の向こうから、入滅の時より今に至るまで、そしてこれからも、穏やかな表情で私たちを見守ってくれていることだろう。

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