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世界への旅(旅行記)

ネパール(2012年)

パタン、ダクシンカリ ~生け贄の寺院

2012年9月15日

パタンの街並み
パタンの街並み
2日目の朝はチャイで始まった。レンガと瓦屋根の家や石畳の赤や茶色、石造りの廟のグレーで彩られた古都パタンの街角で、仲間たちとモーニング・チャイを楽しむ。
ようやく参加者全員が揃って終日過ごすことになるこの日は、カトマンズ周辺の名所巡りの1日となった。

まずはカトマンズ南西の山にあるダクシンカリへ、昨日と同じワゴン車で向かう。山あり、田園あり、湖あり、チベット仏教寺院ありのバリエーションに富んだ景色の中を進んでいく。
天気は曇りがちで、時折山肌に雲が垂れるようにして覆いかぶさったり、谷間に雲を見下ろしたりすることもあったが、むしろそんな光景が幻想的で素晴らしい。そして、そんな厚い雲に負けじと、朝の太陽が雲の向こうからまばゆいほどに輝いて見える。
9月のネパールは雨季が明ける直前の時期で、天気はまだまだ不安定だ。昨日もHappy Homeを訪問中に夕立に見舞われもした。時期を考えれば、この日はまずまず天気に恵まれたと言っていい。いや、太陽が見えたというだけでも、雨季のネパールでは上出来なのだ。

幻想的に雲がかかる谷間
幻想的に雲がかかる谷間
山と田園に雲が覆い被さってくる
山と田園に雲が覆い被さってくる

ダクシンカリは、ヒンドゥー教の女神カーリーを祀る寺院である。このカーリーという神、破壊神シヴァの妻で、殺戮と血を好むという超ドSな神だそうだ。
寺院に向かう参道の左右には食料などの露店が並んでいるが、その入り口にあったのが生きたニワトリの店だった。ニワトリたちは、この後どんな運命が自分たちを待ちうけているかを知ってか知らずか、結構穏やかな様子だった。
額にティラカを描いてもらう仲間
額にティラカを描いてもらう仲間
寺の近くに来ると、サドゥーや聖職者、女性たちが道行く人々を相手に、ティラカ(額につけるヒンドゥー教の装飾)を描いてやったり手首に聖なる糸を巻いてやったりしていた。私は今や仏教一筋なのでヒンドゥー教のお守りには一切興味が無かったが、仲間の多くがご加護にあやかろうと、おでこに赤い印をつけてもらったり腕に赤や黄色の糸を巻いてもらったりしていた。
さて、ダクシンカリは先述したように、血を好むカーリー神の寺である。そこでニワトリが売られているとなると――ここで行われることは想像に難くないだろう。
生け贄である。
この寺院では、インド・コルカタのその名もまさにカーリー寺院で行われているのとほぼ同じように、ヤギやニワトリを生け贄として捧げ、その首を切り落としていくのだ。近くでは、老若男女を問わず、頭の無くなったニワトリを手にしている人々の姿が目に付く。
寺院はヒンドゥー教徒しか入れないが、そういう悪趣味なことが行われているのなら、むしろ入ることをお断りしたい。ヒンドゥーにはヒンドゥーの事情があるのだろうが、仏教に傾倒している身としては、生け贄など生命の尊厳に対する冒涜とも言うべき酷い行為にしか思えず、好きになれなかった。

ダクシンカリ
大勢の信者が集うダクシンカリ
頭の無くなったニワトリを手にする少女
頭の無くなったニワトリを手にする少女

ダクシンカリから次の場所へ向かう途中、通行止めに出くわした。聞くところによると、この道で先日死亡事故があり、それに対する抗議の封鎖をしているとのことだった。
さて、困ったな――と一瞬思ったが、私たちには強い味方がついていた。それは、私たちの乗っていたワゴン車がツアーバスだったことだ。お墨付きをもらっている正規のツアーバスは、こういう時でも優先的に通してもらえることになっているのだという。しかも私たちは、「もう帰国するから急いで空港に行かないと!」との口実(嘘)までも付けて、封鎖の中を通してもらった。

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