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日本100名城

100名城探訪記

福島100名城(2)―向羽黒山城、会津若松城

2023年8月25日

会津若松駅前の宿で朝を迎え、まず向かったのは、街中にあるあの名城ではなく、もう1つ、会津若松市の南に隣接する会津美里町にある山城だった。会津若松駅から登城口まで直通のバスもあったが、今回は青春18きっぷの旅だったので、それを有効活用しようとJRで最寄りの駅まで行ってそこから歩く選択肢を採った。
会津若松駅を7時41分発のJR只見線で出発。通学の高校生でごった返す列車に揺られて、3つ目の会津本郷駅で下車。すぐに目指す山・白鳳三山が見える。歩いて20分ほどで登山口に到着した。
この先の山の上にあるのが、向羽黒山城(続100名城 No.111)。戦国時代に蘆名盛氏が白鳳三山の上に築いた山城で、蘆名氏滅亡後も伊達政宗や上杉景勝により詰めの城として存続した、東北最大級の天然の要害である。 向羽黒山城登城口
向羽黒山城登城口
向羽黒山城跡整備資料館
向羽黒山城跡整備資料館。入り口前に続100名城スタンプがある
登城口の坂を上り始めてすぐ、向羽黒山城跡整備資料館に到着。ここが向羽黒山城の続100名城スタンプがある唯一の場所だ。入り口外に常設されているスタンプを頂いて、先に進む。
向羽黒山城への道は舗装された緩やかな林道だったが、山道を進む散策路もある。最初に到達した曲輪・三曲輪(三の丸)から山道が延びていたので、二曲輪へ向かう道かと思って突き進んだが、至る所に蜘蛛の巣が張っていて、ここ数日誰も通っていないと思われる道だった。 向羽黒山城三曲輪
向羽黒山城三曲輪
向羽黒山城一曲輪への入り口
向羽黒山城一曲輪への入り口
10分以上歩いて、ようやく林道に戻った。さて、どこまで来たのかと思って見渡して見つけた案内板を見たところ、一曲輪(本丸)への入り口――どうやら二曲輪をすっ飛ばしてここまで到着してしまったようだった。
二曲輪は帰りに見ればいいと思い、そのまま一曲輪を目指す。 向羽黒山城堀跡
向羽黒山城堀跡
上り始めてすぐに、堀跡に出くわした。堀というと平らなところに掘られているイメージがあるが、ここの堀は山の斜面上に傾斜して掘られている。
一曲輪への道はしっかりと階段が整備されていて、歩きやすいのは歩きやすかったが、階段を上り切って「よし、ここがゴールか」と思ったらまだ階段の続きがある、ということを何度も繰り返させられて、気持ちが折れそうになる。
階段を歩くこと7分、ようやく「向羽黒山城一曲輪」の標柱がある一曲輪に到着。会津盆地の田園風景を見渡す絶景こそ、ここに城が築かれたゆえんなのだろう。 向羽黒山城一曲輪
向羽黒山城一曲輪
下りは二曲輪を経由するルートを採ったが、二曲輪は見晴らしがいいだけの公園となっていて、「城」をイメージさせる要素は虎口以外殆ど残っていなかった。

向羽黒山城登山口に戻り、やはり青春18きっぷを生かしたく思い再び徒歩で会津本郷駅へ。JR只見線で七日町駅で下車してバスに乗り換え、今度こそあの城へ向かう。
会津若松城(100名城 No.12)
室町初期に蘆名氏が館を築いたのが始まりとされ、黒川城と呼ばれていた戦国時代に伊達政宗が蘆名氏を滅ぼし城を手にしたが、豊臣秀吉の奥州仕置で没収され、代わって入った蒲生氏郷により天守建造など大改修が行われ、「鶴ヶ城」と改められる(地元では今でも『鶴ヶ城』の名前で親しまれている)。
先程の山城・向羽黒山城と打って変わって、この城は平城で、入るまでは城あるあるで「鶴ヶ城入口」バス停からは曲がりくねった道を歩かされたが、坂を上る必要はなく容易に本丸まで辿り着くことができた。天守に、そこから延びる続櫓(走長屋)、そしてその先に開いた鉄門などを見ることができる。 会津若松城天守
会津若松城の(右から)天守、続櫓(走長屋)、鉄門
この城は100名城のスタンプ集めを始める前の2015年にも訪れていたので、今回はスタンプを取得するだけ――でもよかったのだが、スタンプは天守に入らないと取得できないし、元よりここまで来て天守に入らず素通りする気持ちにはなれなかった。入場券を買って、石垣の中をくぐる入り口からいざ、入城。
会津若松城の天守は鉄筋コンクリートによる復元再建で、中は会津若松の歴史を語る展示館になっている。当時使われていた武具等の遺物の展示、上にも書いた領主の変遷の説明などがされていたが、やはり印象に残ったのが、この地で起きたあの悲しい出来事に関する展示だ。
会津戦争
明治初期に新政府軍と旧幕府軍が争った戊辰戦争で会津藩は旧幕府軍側につき、新政府軍の激しい攻撃に見舞われた。城が激しく損傷したのみならず、少年兵たちで編成された白虎隊が集団自決するなどの悲劇が起きた戦争だ。 会津若松城天守の会津戦争に関する展示
会津若松城天守の会津戦争に関する展示
会津若松城から望む会津磐梯山と飯盛山
会津若松城天守から望む会津磐梯山(左上)と飯盛山(中央)
天守最上階に到着。四方の景色がよく見える
ここで最も見るべき方向は、北東。天気に恵まれ、会津磐梯山の鋭い山容がよく見える。
そして、会津若松の街の向こうの一番手前に見える山が、飯盛山。先述の白虎隊が集団自決をした悲劇の地だ。

天守内部を一通り見て、階段を1階まで下る。売店の出口でようやく、会津若松城の100名城スタンプを頂くことができた。

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