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日本100名城

100名城探訪記

岡山100名城(3)―鬼ノ城

2023年10月8日

備中高松城登城を達成し、備中高松駅から吉備線(桃太郎線)で1つ総社駅寄りの服部駅に移動する。
小さな無人駅を出るとすぐ、次に目指す鬼ノ城(100名城 No.69)を確かに見ることができた。 服部駅から望む鬼城山の山頂に建つ鬼ノ城
服部駅から望む鬼城山の山頂に建つ鬼ノ城(赤丸)
(直線距離で)4㎞先の鬼城山の上に...
しかも麓からの標高差(比高)は約350m。中間地点の砂川公園までは平坦に近いが、その先は平均斜度10%にもなる急坂だ。ここからはバスなどの公共交通機関は無く、自分で自動車を運転するか、タクシーを呼ぶか、歩くか、の三択になる。
私の攻城のスタイルは「自分の足で」。これまでの100名城巡りの中でもトップクラスの難ルートとなるが、私は腹をくくって歩き始めた。
砂川公園を過ぎたところから傾斜がきつくなった上、道幅も乗用車が1台しか通れないほどに狭くなり、退避場所でギリギリのところを乗用車がゆっくりすれ違う場面に何度か遭遇した。坂道にさしかかってからは「鬼ノ城駐車場まであとxxxx m」の看板が大体500mおきに立てられているが、「あと1500m」のあたりから一際傾斜がきつくなる。 鬼ノ城への急坂
鬼ノ城への急坂
鬼城山ビジターセンター
鬼城山ビジターセンター
5.75㎞の道程を歩くこと70分、ようやく鬼城山ビジターセンターに辿り着くことができた。ここで100名城のスタンプを頂き、展示を見学した後、ほんの少し雨が降る中、いざ、鬼ノ城入城へと向かう。
鬼ノ城は大和朝廷によって7世紀後半に築かれた古代山城だ。倭(日本)の防衛のために築かれた施設の1つだが、史書に記載が一切無く具体的な歴史は謎に包まれている。 服部駅から望む鬼城山の山頂に建つ鬼ノ城
学習広場(展望デッキ)から望む鬼ノ城西門(右)、角楼(左)

まずは縄張手前の学習広場(展望デッキ)へ。先ほど遠く服部駅から望んだ土塁が目の前に見える。そして21世紀に入って復元された角楼、そして何と言っても西門が存在感を放っている。 間近に見る鬼ノ城西門
間近に見る鬼ノ城西門
山道を少し上がると、土塁が間近に迫り、やがて威風堂々とした西門が来る者を出迎える――いや、出迎えると言うよりは「迎え撃つ」だろう。2階に兵士が詰めるスペースがあり、そこから弓矢を射かける光景が容易に想像できた。
西門をくぐって、まずは左に曲がって坂を少し上る。その先にあるのが角楼だ。建物こそ復元されていないものの、がっしりとしていて、立派な建物が建っていたのだろうと想像させられる櫓台だ。きっと物見台のようなものがあったのだろう――角楼から西門の向こうにはそう思わせるような、総社の街を見渡す見事な風景が広がっていた。 鬼ノ城角楼跡
鬼ノ城角楼跡
鬼ノ城角楼跡から望む風景
鬼ノ城角楼跡から望む風景
一旦西門裏に戻り、今度は反対方向へ。城壁に沿った周回コースを反時計回りに巡る。
築城当時の内側敷石などが見られる道を歩いていると、ある所で看板に下へと案内された。そこにあったのは、石垣から水が流されるように作られた第1水門・第2水門だった。鬼ノ城では排水のための水門が南面に6つ発見されている。 鬼ノ城第2水門跡
鬼ノ城第2水門跡
鬼ノ城東門跡
鬼ノ城東門跡
鬼ノ城には東西南北に4つの門があったとされ、南門や東門も、西門ほどではないにせよ、門があったことが分かるように整備されていた。 鬼ノ城の屏風折れの石垣
鬼ノ城の屏風折れの石垣
東門から第5水門を通過して暫くすると、「屏風折れの石垣」と呼ばれる立派な石垣に行き着いた。石垣の上には曲輪があったように思われる広場がある。ここは守備上の重要な拠点だったということだろうか。 屏風折れの石垣上部
屏風折れの石垣上部
鬼ノ城礎石建物跡
鬼ノ城礎石建物跡
東門方向へ少し戻り、周回コースを一旦外れて内部を縦断するコースを歩いた。この道沿いにはかつての建物跡があり、礎石がはっきりと残っているのを見ることができる。
縦断コースを北へと抜け、時計回り方向に少し歩いて北門を訪れた後、再び反時計回りに歩いて、スタート地点の西門にゴール。1周するのに大体1時間強といったところだった。

鬼ノ城からの帰り道はまるでジェットコースター。自動車にだけ注意しながら勢いよく駆け下りて行った。

本日の城巡りはこれで終了。岡山の100名城・続100名城はこれでコンプリートである。
明日は東広島まで足を延ばす予定だ。

アルファポリス

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