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日本100名城

100名城探訪記

岡山100名城(2)―備中松山城、備中高松城

2023年10月8日

朝一番の7時半前に伯備線の列車に乗り込んで岡山駅を出発。武家屋敷で有名な倉敷を経由(既に過去に2度訪れていたこともあり今回は通過)して、8時18分、備中高梁駅に到着。
時間によっては登城口までバスもあるのだが、この時間帯は生憎バスが無く、2㎞弱の道を歩いて向かう。
駅を出発して程なくして、目指す備中松山城(100名城 No.68)の天守が見えてきた。 臥牛山(松山)の山頂に建つ備中松山城
臥牛山(松山)の山頂に建つ備中松山城(赤丸)
2㎞先の山の上に...
備中松山城は臥牛山(松山)の山頂近くに鎌倉時代に建てられた城をベースに戦国時代、三村氏が拡張する形で築いた山城だが、詰めの城で常用はされず、地理的な不便さから江戸時代には「御根小屋」と呼ばれる麓の武家屋敷群で執務が行われ、明治の廃城令の際にも取り壊しは行われず放置されたという逸話が残る。
登城口に向かう途中、「御根小屋」跡地に隣接する石火矢町にある武家屋敷通りを歩く。江戸時代当時の名残りが残る場所だ。 高梁の武家屋敷通り
高梁の武家屋敷通り
備中松山城の登城口
備中松山城の登城口
武家屋敷通りを抜けると小高下谷川という細い川に突き当たる。この向こうが「御根小屋」のあった場所だ。
川に沿って坂道を上ると「←遊歩道」と書かれた立札が立つ橋に行き着いた。自動車の場合はここから更に上がった先にある駐車場からのアクセスになるが、私は歩きなのでこの橋を渡った先になる登城口から、8時42分、標高差320mの山歩きをスタートさせる。
ほぼ中間地点である、自動車の場合のスタート地点・ふいご峠を通過。暫くすると、それまで木々しか見えなかった景色が一変。まずは中太鼓櫓跡の石垣が出迎えてくれる。
歩みを進めると、階段の上に、更に立派な石垣が現れ、道を吸い込むように間口を開いている。ここが大手門だ。 備中松山城大手門跡の石垣
備中松山城大手門跡の石垣
備中松山城の三の平櫓東土塀
備中松山城の三の平櫓東土塀
大手門をくぐり、石垣や現存する遺構である三の平櫓東土塀などを目にしながら、更に上へ。
9時17分、「小松山」山頂の二の丸広場に到着。その先にある石垣の上に築かれた塀や門の内部が、本丸だ。その一番奥には天守を見ることができる。 備中松山城二の丸跡から望む本丸の建物、現存天守
備中松山城二の丸跡から望む本丸の建物。右が現存天守
先述したように、備中松山城は地理的な不便さから明治の廃城令の際に取り壊しではなく放置という扱いを受けたが、お陰で、修復は必要だったものの生き抜くことができた。なので、備中松山城の天守は現存12天守の1つに数えられる。そして山城ということになると唯一の現存天守ということになるのだ。 備中松山城天守
備中松山城天守
備中松山城天守内部
備中松山城の三の平櫓東土塀
本丸の入城口で100名城のスタンプを頂き、天守に入城する。勿論木造であり、当時の趣をそのまま伝えている。
本丸を出て裏手に回ってみると、本丸の一番北側に二重櫓を見ることができる。更に二の丸広場の最北端には後曲輪跡、九の平櫓跡があるが、建物は残っていない。
更に奥へ行った大松山にも天神の丸跡などの遺構があるのだが、ここまでで十分であろうと、そこまで踏み込むことはしなかった。 備中松山城二重櫓
備中松山城二重櫓
備中松山城の猫城主・さんじゅーろー
備中松山城の猫城主・さんじゅーろー
ちなみに現在、備中松山城の城主に任命されているのは「さんじゅーろー」という名の茶白の雄猫である。

もしかしたら予定より早い列車に乗れるかもしれなかったので、急いで下山し、備中高梁駅までも時々走って行ったお陰で、1本早い列車に乗ることができた。これで今日の日程にかなりの余裕ができた。

備中高梁駅から伯備線で総社駅まで乗車して、吉備線(桃太郎線)に乗り換え。ワンマンのローカル線に揺られ、備中高松駅で下車する。
徒歩8分ほどで、備中高松城(続100名城 No.171)の跡に到着。まず、この城が水攻めに会った時の様子を表した「水攻図案内盤」が出迎えてくれた。
備中高松城跡 水攻図案内盤
備中高松城跡 水攻図案内盤
備中高松城は戦国時代、毛利輝元家臣の清水宗治が城主となった城だが、歴史に名を残しているのが先述した「水攻め」だ。織田信長軍の羽柴秀吉が中国攻めをした際に、堤防を築いて近くを流れる足守川の水を引き込んで城を湖の孤島としたものだ。戦況が膠着する中、秀吉の元に信長が本能寺で明智光秀に討たれた「本能寺の変」の一報が入り、秀吉は宗治の切腹と引き換えに講和して京都に踵を返した「中国大返し」でも有名だ。
城の痕跡は殆ど残っていないが、城域は「備中高松城址公園」として整備され、かつての本丸、二の丸、三の丸が認識できるようになっている。また、二の丸跡に建てられた備中高松城址資料館では、往時の姿をしのぶことができる展示などが行われている(続100名城スタンプもここで頂いた)。 「宗治蓮」が群生する備中高松城の堀跡と本丸跡
「宗治蓮」が群生する備中高松城の堀跡と本丸跡(橋の向こう)
自らの命と引き換えに城兵の助命を果たした清水宗治は今でも慕われていて、堀跡を夏に彩る蓮は「宗治蓮」の名で呼ばれている。また本丸跡広場には宗治の首塚が、本丸跡の北外れには胴塚が、東の妙玄寺境内には自刃の地が祀られている。 備中高松城本丸、清水宗治首塚
備中高松城本丸跡広場。中央が清水宗治首塚
清水宗治公自刃の地
清水宗治公自刃の地
城址公園から南東へ1㎞ほど歩いた場所に、秀吉が水攻めで築いた蛙ヶ鼻築堤跡がある。当時の堤が残っているほか、発掘調査で当時の地表まで掘り下げた窓が地面に空いていて、杭列や俵痕などの痕跡を見ることができる。 蛙が鼻築堤跡
蛙ヶ鼻築堤跡
蛙が鼻築堤跡の発掘調査
蛙ヶ鼻築堤跡の発掘調査
備中高松城の周辺は田園地帯が広がるひなびた田舎だが、ここで歴史の一大転換点となった出来事があったのかと思うと、歴史へのロマンがかき立てられ、この街に彩りがプラスされたように思われた。

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