バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

大陸中国・西安―河南―北京

盧溝橋(未達) ~乗車拒否

1993年12月31日

京劇
梨園劇場で見た京劇
前日の夜、前門飯店の梨園劇場で京劇を見た心地よい興奮が、朝になってもまだ残っている。その気持ちのまま、今回の北京最後の観光へと繰り出した。
目指すは、盧溝橋中国人民抗日戦争記念館。決して気分のいい所ではないが、南京大虐殺記念館同様、日本人として避けて通ることは許されない場所だ。
まずはバスで向かおうとしたが、どこから乗っていいかが分からない。タクシーを捕まえても「帰りに乗せる客がいない」と、乗車拒否をされる始末。いたずらに時間を過ごすだけに終わってしまい、結局あきらめざるを得なかった。
もう一つ訪れたかったマテオ・リッチの墓も、見つからずじまい。(後日談:マテオ・リッチの墓は、地元の学校の敷地内にあるらしい)
結局、この日訪れたのは、取り立てて目新しさも感じられなかった、道教寺院の白雲観だけ。
欲求不満が残るばかりの、観光最終日となってしまった。

旅の終わり ~不十分だった情報収集

1994年1月1日

新しい年が明けた。とは言っても、中国で祝う正月は旧正月なので、この日の北京の街中は、至って静かだった。
翌日が帰国となるこの日は、土産のショッピングに充てると前から決めていたので、この日は観光を全く考えずに、即、友誼商店へと向かった。しかし、買い物をするには金が足りない。友誼商店に着くとすぐに、店の中の中国銀行で、1万円を両替した。しかし、渡されたのは…

全額、人民幣!!

―― 冗談じゃない、明日で帰国だというのに、本来外国人が持ってはいけない人民幣を握らされてたまるか!
必死になって抗議したが、なぜか受け入れてもらえない。
[こんなの、日本円に換えられないし、税関で見つかったらまずい…。]
今まで「どうやって金を使わずに済ませようか」と考えていた私の思考回路が、一転して「どうやって金を使おうか」という方向に切り替わった。
取りあえず、友誼商店で欲しいだけの土産を買いあさった。それでも、まだかなり残っている。
そこで、翌日の帰国便が朝早かったこともあって、空港近くのホテルにタクシーで向かった。フロントで「人民幣じゃなくて、兌換券で払ってくれ!」と言われたが、無理に人民幣で払わさせてもらった。
宿代を払っても、まだ残りは多い。あとは、豪勢な中華料理を食べること位しか、使い道が思い浮かばない。私は空港へ歩いて向かい、豪華そうなレストランに入った。
どんなメニューを頼んだか、全部は覚えていないが、カエルの脚を食べたことだけは覚えている。あまり肉付きが良くなく、骨っぽくて、それ程美味いものとは思えなかった。
結局、1日で1万円はとても使い切ることはできなかった。

1994年1月2日

半月の旅程を終え、いよいよ帰国。
本来、国外持ち出し不可の人民幣を隠し持ちながらも、無事出国審査を済ますことができた。

待合室で、同じ便で日本へ帰る男性と、しばし話をした。
「いやあ、昨日両替したら、全額人民幣で渡されて、参りましたよ」
「あ、兌換券なら、去年いっぱいで廃止になったみたいですよ

――え?

何と言うことだ。ホテルでも兌換券を請求されたので、そんなことは思いつきもしなかった。そうとは知らず、無駄な心配と苦労を、昨日一日していたことになる。
考えようによっては、中国経済の歴史的な転換に、現地で遭遇できて幸運だったのかもしれないが、そんな大ニュースを、事前に知っていなかったとは…。
最後の最後で、とんだ失敗をしてしまった。
4月からは、社会人になる。これまでのような長旅は、今後難しいかもしれない。
しかし、廬溝橋など見損ねた所も数多くあるし、中国の大地と、文化と、人と、これからも接していきたい気持ちは強い。

<完>

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