バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

韓国、エジプト

カイロ-5 ~イスラミックカイロ

1995年6月22日

エジプトに来て初めて、終日フリーとなったこの日、新市街の東側にあるイスラミックカイロを独りでぶらついた。
イスラミックカイロは、名前の通りのイスラム教地区。エジプトはやはりイスラム教国である、ということがよく分かるエリアだ。

まず、訪れたのがアズハル地区。その名の由来であるアズハルモスクフセインモスクをはじめ、石造りの重厚なモスクが幾つも建っている。フセインモスクに来た時にはちょうど礼拝が終わったところで、大勢のイスラム教徒が出てきていて、モスク前はかなりにぎやかになっていた。(礼拝中のモスクは異教徒立ち入り禁止なので、内部の様子は見ていない)

イスラミックカイロ
イスラミックカイロ。左側に見えるのがアズハルモスク
フセインモスク
フセインモスク

メッカに向かっての礼拝は、1日5度行われるという。礼拝を終えてモスクから出てきた人々は、男性の多くがつば無しの布帽子を、女性の全てがチャドルをまとっている。
この一帯をにぎやかにしていたのは、ムスリムの数の多さばかりではない。礼拝時の街中に響き渡る、アラビア語のコーラン ―― これこそが、イスラム社会を象徴する"音"である。
彼らの生活は、イスラム教の礼拝、戒律、そしてコーランを中心に回っているのだ。

一歩裏通りに入ってみる。道は狭いが、人は少なくなく、ここもにぎわいが感じられる。表通りのものほど大きくはないものの、ここにもモスクなどが建っていて、イスラム教が人々の心の奥同様、街の奥まで入り込んでいることを象徴的に窺い知ることができる。 イスラミックカイロの裏通り></span>
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(左)イスラミックカイロの裏通り
(右)ハーン・ハリーリー

ここアズハル地区の中心に、カイロ最大のバザールといわれるハーン・ハリーリーがある。バザールとは言っても日用品ではなく観光客向けの土産物屋の店が軒を並べている。金銀細工、工芸品、香水、絨毯 ―― そんな中、パピルスの店を見つけたので値段を確かめてみると、先日のギザツアーの途中で立ち寄ったパピルス屋よりもはるかに安かった。やはり、ツアー途中での土産屋で買い物をするものではない。
旅に出る前に、会社の同僚に「エジプトに行く」と話したところ、1人が自分の名前をヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)で刻んだキーホルダーが欲しい、と土産物を頼んできた。ちょうどこのバザールに金銀細工の店が立ち並んでいることだ。そのうちの1軒で頼むことにした。
日本人の名前をヒエログリフでどう表現するかだが、英語のアルファベットに対応するヒエログリフがきちんとあって、ローマ字をそれに従って変換すればOKだ。ちなみに、私の名前「カズ」をヒエログリフで表現すると、KAZU>となるらしい。(参考ページ:<a href=聖刻文字を使って古代エジプト人になろう!)
値段を確認したところ、キーホルダー部分とヒエログリフ部分合わせて31ドルと、半端な数字になった。
「30ドルでいい?」「OK」
実は、記憶が正しければこれが私にとって初の海外旅行での値引き交渉となる。値引き交渉もまだまだ初心者。たったの1ドルとは、かわいいものだった。 シタデルとムハンマド・アリモスク
シタデル内部に立つムハンマド・アリモスク

キーホルダーが作られている間、再びイスラミックカイロをうろつく。
イスラミックカイロの外周には、アイユーブ朝やファーティマ朝時代、即ち中世に築かれた城壁が一部残っている。
アズハル地区からずっと南へ歩くと、対十字軍の拠点だった要塞・シタデルがある。その内部にある、ドームを挟んで立つ2本のミナレットが特徴的なムハンマド・アリモスクは、"エジプト近代化の父"と呼ばれるムハンマド・アリの手によるものだ。
当たり前のことだが、ピラミッドの時代以外にもエジプト史はあるのである。これらの遺跡はそんなことを再認識させてくれると同時に、中世以降のエジプトがイスラム教とともに歩んできたことを分からせてもくれた。

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