バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

チベット、大陸中国周遊

チベット高原-1 ~ラサへ向けて出発

2001年8月1日

午前、ラサへのパーミットを待つ外国人旅行者たちが、ゴルムド市政府招待所内のCITSに集まった。
電話のベルが鳴る。CITSの職員が相手と話しながら、聞き返した。
「今日出発できる!?」
話し終わって受話器を置き、私たちの方を向いた職員の顔は、笑顔に変わっていた。
(よし、今度こそ行ける!)
私たちは再び失望感を打ち払い、出発予定時間の3時半まで招待所やその周辺で買い物をしたりして過ごした。

バスターミナルまでの迎えの車は、お約束通り少し送れて、市政府招待所に到着した。
待たされた間に集まった外国人は30人程、日本人だけでも11人にまで膨れ上がっていた。そのため、1度ではバスターミナルまで全員を送りきれず、2回に分けてとなり、ラサ行きのバスの出発時間は結局、4時半になった。
寝台バス
ラサへの寝台バス(チベット・ハイウェイにて)

ゴルムドからラサへ走るのは寝台バス。1000km以上のチベット・ハイウェイ(中国では青蔵公路と呼ばれている)を、35時間ないし40時間で走り抜け、翌々日の未明にラサ到着の予定だ。
一応“豪華バス”という名前は付いているが、やはり年期の入ったオンボロバスだ。
寝台は車内の両側に1つずつだが、1つを2人で共用する形。私の隣になった日本人男性が「1人の布団を枕代わりにして、1人の布団を2人で被れば寝心地がいい」と提案してきたことから、男2人でダブルベッド、いや幅がそんなに広くはないので、セミダブルベッドに寝るような格好になってしまった。
それでも、乗り心地は思っていた程、悪くはない。道路の舗装状態がいいのかもしれないが、以前乗ったことのある寝台バスよりもはるかに揺れが少ない。
ゴルムドを出てすぐの第1の検問を問題なく通り抜け、バスはいよいよチベット・ハイウェイをひた走り始めた。

道中、夕食のために食堂に立ち寄った。しかし、炒飯10元以上と、恐ろしいほど高い。ここに限らず、チベット・ハイウェイ沿いの食堂の値段は、どこも高めだ
食事が終わって表に出ると、肌の色の濃い子供たちが何人かいる。私たちは写真を撮ったりして、彼らと交流した。
「君たち、チベット族?」「ううん、チベット族はこの子1人だよ」「じゃあ、漢族?」「違うよ、回族だよ」
―― 分からなかったとはいえ、民族を間違えてしまうとは、失礼な失策を犯してしまった。

バスはどんどん高地へと向かう。高山病が段々、心配になってきた。チベット・ハイウェイの道中には、標高5200メートルにもなる峠越えが控えているのだ。
高山病予防としては、水をたくさん飲んで新陳代謝を良くすること、深呼吸をすること、酸素ボンベで酸素を吸うこと、薬を飲むこと、そして、例えばシリン(西寧)やゴルムドなどの比較的標高の高い所で予め体を慣らすこと、などが挙げられる。
私もシリンやゴルムドに1週間近く滞在し、青海湖で既に軽く高山病の洗礼を少し浴びてきている。しかし、バスに揺られること6時間。夜中近くになって、少し頭がぼんやりとしてきた。
[まずい、高山病の予兆だ]
そう感じた私は即、皆で共同購入した高山病の薬を服用。さらに水をたくさん飲み、余分な呼吸をしないで済むように安静にして、症状が軽くなるのを待った。

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